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主催講座8「変貌する秋鮭漁業環境を生き抜く」

第2回「石狩の秋鮭とともに~水産加工と販売の60余年~」

2022/09/07

 8月24日(水)主催講座8「変貌する秋鮭漁業環境を生き抜く」の第2回「石狩の秋鮭とともに~水産加工と販売の60余年~」を開催しました。講師は佐藤水産(株)名誉副会長の太田 善晴さん。受講者は36名でした。
以下は講演の概要です。
  
創業者・佐藤三男会長 
 当社の創業者佐藤三男会長は福島県福島市飯坂出身。酒問屋等の多岐にわたる商家の生まれ。小さいころから身体が大きく福島商業高校に入り柔道の道に。福島に佐藤三男ありと言われるくらい柔道が強く、師匠に京都伏見の武道専門学校への進学を推薦され何とか狭き門を合格した。武専は全国からの強者ぞろいでノイローゼになり、先輩のすすめで京都伏見稲荷の眼力社をお参りすることに。「お願いするのではなく誓うのだ」と言われそこで精神を鍛えられた。卒業時は柔道五段、首席で卒業。その後、樺太の教員となったが徴兵制度で軍隊に入隊、熊本士官学校を経て月寒聯隊に。石狩浜の演習時に新潟出身の大網元・吉田庄助氏に気に入れられ、その長女ふみと結婚。そこから石狩との縁が始まった。
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石狩の秋鮭との出会い
 戦後、石狩に戻り学校の先生を目指したが柔道の先生の道はなし。漁師も合わず佐藤商店は奥さんに任せ自らは石狩の漁協から譲り受けたトラックで鮭の卸問屋を始めた。その後、札幌のデパート五番舘に、自分で仕入れ自分で売るテナントで入り鮭の小売りを始めた。五番舘の店での鮭の販売価格は高かった。昭和40年当時は石狩川に渡船があった。石狩漁組の近くに工場を保有し新巻鮭などを造り始めた。工場は工場長をはじめ全員が女性。石狩のお母さんたちのパワーには驚いた。
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飽くなき商品開発への挑戦
 その後、鮭が獲れなくなり厳しさが増した。この当時は鰊加工や鮭の塩切山漬けをやった。石狩に鮭の塩切(新巻鮭)の名人がおりその力を借りおいしい新巻鮭の製造に取り組んだ。その後「熟成新巻鮭」を開発、後に雪のエネルギーを生かした天然の「雪中熟成鮭」へと進化。当社のヒット商品「石狩味」は失敗に失敗を続けた。そのなかで佐藤水産の生命線となる「鰊切込」も出来、鮭が獲れないときの大切な収益商品となった。石狩のおばさんたちとともに甘味と酸味のバランスがいい「飯寿司」を製造した。
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 昭和40年当時の石狩から札幌までは砂利道でアクセスが悪かった。このこともあり札幌市場に近い西区二十四軒に事務所・工場・社員寮を保有した。
 そして佐藤三男会長の号令の下、会社が終わってから徹底した社員勉強会をやった。必死だった。辛かったがこの時に今日の佐藤水産の土台が出来たように思う。
 商品づくりでは「粕漬け」を造り上げ、五番舘の店頭ではお客様の要望に合わせ詰め合わせ商品を提供することも始めた。樽の時代から詰め合わせパック商品づくりにも挑戦した。

二代目・佐藤会長の時代
 二代目の佐藤会長は石狩小・中学校出身で当時の友人も多く、前会長とは違い優しい方だった。それまで会社を辞める従業員が多かったが一代目から二代目へと会長が代わる中、人・社員重視の経営に会社を変えていった。
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 この当時も商品開発は佐藤三男会長中心だった。昭和46年頃、鮭を高値で買い過ぎたとき、秋田に行った際の塩糀漬けがおいしかったことをヒントに「さざ浪漬」を開発、処理に困った鮭でこの商品を造って全国の百貨店等で売って歩いた。まさにピンチからチャンス。この努力の結果、五番舘の塩干売り場から全国の売り場へ佐藤水産の「さざ浪漬」とともに知名度が広がった。
 昭和46年頃になって鉄道から航空機の時代を迎え、千歳空港に店舗を出店。売る商品が今までとは異なり、活毛ガニなど素材そのものを売った。壽会長が「笹寿司」をヒントに鮨弁当を製造し、空港で「石狩鮨」を販売した。のちに大ブームを迎える「空弁」の始まりだった。
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 その後、もっぱら仕入れと商品開発を担当した。昭和48年頃、石狩の母さんたちと鮭を焼いて「焼きほぐしフレーク鮭一番」を造ったことは今でも思い出深い。

石狩漁協との随意契約
 昭和50年代になって石狩に鮭が戻り始め、石狩の鮭は当社の生命線との考えから昭和53年、石狩漁協と「随意契約」を結び水揚げの全量を引き受けることとした。開始後、漁業者との価格の決め方など大変苦労をした。水揚げの急増で鮭の処理も大変だった。準備不足もあったが鮭の処理に困り鮭を運ぶ車がなく砂利トラックを確保し氷や鮭を運んだりした。早朝から夜遅くまで鮭にかかわり、石狩本町は鮭の街となった思いがした。鮭はやはり素晴らしい。皆、苦しかったけれど鮭のお蔭で一気に明るくなった。
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二百カイリ時代と海外産紅鮭
 昭和52年、二百カイリ時代に入り我が国にとって依存度の高かった北洋漁業が縮小するに至った。原料不足に対処し当社も紅鮭を求めアラスカに向かった。どこが一番良い紅鮭が獲れるか勉強した。23歳ころ5か月ほどアラスカに行ったことがありその経験が役に立った。当時のアラスカは、缶詰加工が主体で日本に紅鮭を売る生産態勢になっていなかった。多くの現地人を雇用し天然の紅鮭を造って搬入した。当社にとって未知への挑戦であった。

ノルウェー等の鮭養殖場視察
 平成になって近いうちに養殖の時代が来るという見方から、壽会長とノルウェーを視察し養殖の状況を見て歩いた。この結果、佐藤水産は天然鮭にこだわることを決めた。決断したひとつは味だった。鮭の身色は石油から抽出したカンタキサンチン(現在は使用なし)を使い自由につけることが出来ると知った。帰りに養殖鮭ではなくサバとニシンの燻製を買った。当社はアメリカで商売にも挑戦したことがあるが、あくまで天然に拘った。まさに色々な角度から鮭を勉強した。
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商品開発の数々
《ロッキースモークサーモン》
 若い時に行ったアラスカでイヌイットの冬を越すための製法を使い開発した。
《サーモンハム》
 今は製造していないが、脂の乗ったユーコンキングサーモンと秋鮭を洋風に開発。ワインの時代に合って売れた。農林大臣賞受賞。
《サーモンロール》
 鮭をロール状に丸めて作った。
《鮭とば、熱燻製》 (キッパー) 
 カナダで美味しい商品を見つけ機械もイギリスから調達して開発した。
《サーモンソーセージ》
 北海道ぎょれんによる秋鮭すり身拡販事業の際、開発。
《さばやわらか煮》
 鮭以外の主原料で職人がいなくても作れる商品として開発。
《手まり筋子》
 鮭の漁模様の変化があり、頭を取ったドレス加工の時代になった。人間ではなく機械が加工することが出来るように変わったが、鮭の筋子加工は旧態依然だった。石狩のイクラは小振りのため鮭の卵だけをカットする機械を数年がかりで開発し「手まり筋子」と命名した。道知事賞も受賞した。
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 このほかイクラばらし機も開発した。イクラは手でばらすときに時間がかかるため何とかしたいと考えた結果、アスファルト道路工事の際に平らにする技術からヒントを得て作った。
 三男会長は「石狩味」を生み出した。私は平成8年、三男会長が亡くなった年に「鮭のルイベ漬」を開発した。そして鮭の里石狩の新名物を造るとの壽会長の強い思いから「海鮮グルメおむすび」も出来た。

石狩鮭の里に「サーモンファクトリー」
 平成4年頃、石狩には正直何もなかった。壽会長は石狩にあって良かったというものを作りたいとの思いが強く、三男前会長は大反対だったが、工場で製造、店舗で販売、レストランで食事といった3点セットを「サーモンファクトリー」で実現させた。本当はもっと大きな構想があった。この施設は今では多くの皆さんに愛されている。
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今までの多くの人々の成果がここにある。
 代々、食品工場として衛生・品質管理には最善を尽くしてきた。創業地・石狩発祥の地に鮭の魚醤蔵(工場)を造った。鮭を一本丸ごと食品にしたいという壽会長の思いから「鮭醤油」商品も開発した。事業所各地に「供養碑」を造り年に一度社員教育の一環として鮭に感謝して供養法要を継続している。
 我が人生。50年以上にわたり石狩の変化を見てきた。漁師さんを含め多くの皆さんと話しが出来た。サーモンファクトリーも出来た。このことを通じて色々な方との出会いがあった。
 石狩の浜は鰊も鮭も復活。洋上風力発電も始まる。
佐藤水産は地元の方に支えられこの間生きてこられた。これからも石狩が発展する中で少しでも一緒についていければと思う。

【受講者の声から】
「熱意溢れる佐藤水産のお話が聞けて大変親しみがわきました。創業者、二代目の人物像を丁寧に愛情もって話してくれ、商品開発、販売の苦労など企業の努力がよく分かりました。講師の大田さんの人生も佐藤水産とともにあったという気がしました。石狩の人間として大変良い講座でした」
「佐藤水産の商品開発力の高さがよく分かった。太田さんの商品開発に対する熱意が良く伝わった。道産天然サケを一貫して取り扱う、ぶれない方針に感心した」
「入社から鮭の加工、仕入れ・販売・食・心構え等を資料、カタログを通して詳しく説明してくださり大変良かったですよ」
「話しの中で昔の大変な苦労の製品開発が今の佐藤水産が日本、世界一番の鮭の生みの親と分かりました。大変良い話でした」
「佐藤水産のなりたち、バックボーンが大変よく分かりました。地元の会社としてこれからもさらに発展されることを祈っています」







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