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主催講座7『太平洋戦争、日本降伏を巡る米ソの暗闘』第4回「解決策が見いだせない北方領土問題」

2025/08/03

 7月30日(水)、主催講座7『太平洋戦争、日本降伏を巡る米ソの暗闘』の第4回「解決策が見いだせない北方領土問題」を石狩市花川北コミュニティセンターで開催しました。講師は、北海道史研究家でノンフィクション作家の森山 祐吾さん、受講者は39名でした。

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 本日の講座は、前回第3回の最後「13.サンフランシスコ講和条約と関連事項」に続く「14」から始まりました。

以下は、そのお話の要約です。


14.解決策が見いだせない北方領土問題

■ソ連側は北方領土問題にどのような見解を示しているのか


◇北方領土問題に対する旧ソ連と現ロシアの見解

・ソ連外交次官イゴーリ・ロガチョフの見解・旧ソ連の見解―1989年(平成元)4月24日付「イズベスチャ」に掲載。

・「数十年間にわたり日本の支配層は、クリール列島南部4島への領土要求を根拠もなく執拗に繰り返している。日本当局は、日ソ間のあらゆる重大案件を、領土と結び付け、日ソ協力の全般的な進展を妨害している。このため、日本の立場の分析と評価に再度立ち返る必要がある。

 戦後日本の領土主権に関する最重要文書は、ヤルタ協定(1945年2月11日)である。同協定で「クリール列島のソ連割譲」が直接規定されている。日本は、同協定に調印せずその存在も知らないとして協定の合意に縛られないと主張しているが、ヤルタ協定とその合意事項は、1951年(昭和26)のサンフランシスコ講和条約で確認され、クリール列島に対する日本の帰属権の放棄が確定した。ソ連は同条約に調印しなかったから、クリール列島を領有することはできない、とする日本の主張は根拠薄弱だ。講和条約で日本が列島の帰属を放棄したことは絶対的なものでその法的効果が及ぶ範囲は条約調印国にとどまらない。

 さらに日本側は、択捉、国後など4島がクリール列島に入らない、という論拠まで持ち出した。しかし連合軍は、日本の北側国境は北海道の海岸線によって画定される、と認識していたし、日本政府もかって4島はクリール列島の一部と認めていた。4島は、日本の固有の領土という主張も考えてみる価値がある。竹下首相は「イズベスチャ」紙とのインタビューで「4島は1855年(安政2)締結の日露和親条約で日本領土と承認された」と主張した。しかし、ロシア探検家が、17世紀前半の時代から北太平洋の島々を含む極東の新しい土地を発見したことは、歴史資料が証明している。18世紀、南部を含むクリール列島の全島がロシアに属していた。

 ではなぜロシアは、クリール全島に対する歴史的かつ法的領有権を持つにも関わらず、日露和親条約で国境線を択捉の東に引いたのか、その答えは同条約の「以後ロシア、日本両国間の永続的な平和と心からの友好が続くように」という下りである。しかるにその後、日本は領土拡張主義に乗り出し、結局は日露戦争の勃発と日本によるサハリン南部の奪取という結果になった。これにより、国境戦の画定に関する両国の協定はすべてご破算になった。

 ソ連は、日本との良好な平和・協力関係の維持を希望する。そのためには、日ソ双方の努力と双方が受け入れ可能な解決の探求及び相手側の問題・利益を理解しようとする姿勢が必要である。

 日ソ間には、いまだ調印されていない平和条約の問題がある。我々の理解では、平和条約は、戦後積み重ねられた日ソ関係の経験が総括され、将来への基本発展方向が示されていなければならない。また、平和条約は、地理的見解、つまり日ソ間の戦後国境の画定を含まなければならない。

 両国間の立場に相違があって、平和条約の締結は容易ではない。しかし、お互い賢明にかつ現実に立脚してことに当たれば、条約調印は可能であろう」

※現ロシアの見解は、後述の前メドベージェフ大統領の項で記す。


■これまでの北方領土についての交渉経過(あらまし)


◇北方領土(国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島)の帰属問題の発端は、ヤルタ会談で米国がソ連の対日参戦の見返りとして南樺太と千島列島の獲得を容認したことと、ポツダム宣言が「日本の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに我らの決定する諸小島に限られる」としか規定していないことである。このため、日本はサンフランシスコ講和会議における交渉で、北方4島が日本の領土であることを米国に認めさせようと働きかけた。

・しかし、同条約は千島列島の具体的な範囲を示さず、日本はまだ国交のなかったソ連との直接交渉で解決を目指すしかなかった。ソ連は当時、日本の国連加盟に安保理常任理事国として再三、拒否権を行使し、且つ国交が回復しない限り、シベリア抑留者を帰さない方針を示していた。このため日本はやむを得ず抑留者の帰還を優先し、領土問題を先送りして事態の打開を図らざるを得なかった。

・1955年(昭和30)6月、ロンドンで始まった領土交渉では、歯舞群島、色丹島を除いて意見が一致する見通しが立たなかった。しかし、平和条約を結ぶための交渉は、正常な外交関係(国交回復)が再開された後に続けられるという合意ができた。


◇こうして翌年10月、日本はソ連との国交回復を優先させるため、鳩山一郎首相が訪ソして、ブルガーリン首相と「日ソ共同宣言」を締結した。この中でソ連は、平和条約締結後に歯舞、色丹の2島だけを日本に引き渡すと明記し、その他の問題は平和条約締結時に協議するとした。「その他の問題」に国後、択捉問題を含むというのが日本側の解釈だが、ソ連側は含まないという見解をとっている。

・その後、ソ連は1960年(昭和35)1月の日米安保条約の改定を機に、1956年締結の「日ソ共同宣言」を撤回するとまで言い出し、「日ソ間に領土問題は存在しない」と一変して、交渉は長期低迷に入った。

◇1973年(昭和48)10月、訪ソした田中角栄首相がブレジネフ書記長との間で北方領土問題が「未解決」であることを再確認し、平和条約締結交渉の継続をうたった「日ソ共同声明」を発表したものの、ソ連の関心は日本からの経済協力や投資の獲得にあり、事態が大きく動くことはなかった。

・1991年(平成3)のソ連崩壊に伴う新生ロシアの登場で、領土交渉は新たな段階に入る。

・1993年10月の「東京宣言」では、細川首相とエリツィン大統領の間で、4島はすべて交渉対象であるとしたうえで、「(帰属)問題を解決し、平和条約を早期に締結する」ことなどを明記した。

・1998年4月には橋本龍太郎首相がエリツィン大統領に、4島の北側に(択捉島とウルップ島の間)に日ロの国境線を引き、当面はロシアの施政権を認めるという「川奈提案」を示したが、ロシアは検討の末、すぐにこれを拒否した。

・2001年(平成13)3月、森喜郎首相とプーチン大統領が署名した「イルクーツク声明」は日ソ共同声明の有効性を初めて文書で確認したが、「2島先行返還」論への警戒が強まって再び膠着状態に陥り、それ以降今日まで、交渉再開の兆しさえ見えないままである。


■年々難しくなる領土返還交渉―解決の道はあるか


◇これまでの北方領土交渉において、日本はあくまでも領土返還がすべてに優先とする政経不可分の立場であるのに対して、ロシアは政経分離の姿勢で、領土交渉を匂わせながら日本の経済発展協力を誘引してきた。

・しかしロシアは、交渉のシグナルを出しても一向に動かない日本政権へのいらだちもあって、北方領土における経済協力のパートナーを、韓国、中国などと自由に手を組むようになってきた。

・さらに注目されるのは、プーチン・メドベージェフ政権以降、急激に石油大国となったロシアが、豊富な資源・資金を背景に、日本の経済支援に頼らず、最も貧しいといわれる北方領土のインフラ整備と生活安定の諸施策を次々と打ち出していることである。

・これまでモスクワに見捨てられていたといわれる約1万6800人の住民は、2007年(平成19)から始まったロシア政府の本腰を入れた施策「クリール社会経済発展計画」に期待し、いまや北方領土を第2の故郷として、離島しようとする者は少なくなってきた。


◇普天間基地や尖閣列島問題で、日本の外交力の弱体を見たメドベージェフ大統領が、2010年(平成22)11月に突然国後島を視察。続いて同大統領は、12月24日、モスクワのテレビインタビューで、「北方領土については、統一経済、自由貿易地域の創設を検討してもいい。日本人も来て、墓参もして、働けるようになる」と述べ、また「共同経済計画ほど(日ロを)近づけるものはない」と語り、日本に北方領土での経済協力を改めて呼びかけた。

・但し、「南クリール(北方領土)のすべての島は、ロシアの領土だ」との見解を明言(※北方領土に関する現ロシアの見解)。

・日本との経済協力を推進しても、ロシアが北方領土を放棄することにはならないと指摘し、領土問題を棚上げにして、あくまでもロシア領として開発する意向を示した。これは、前掲のロガチョフの見解以来、一貫して何ら変わっていない。


◇2012年(平成24)5月に新大統領に就任したプーチンは、同年10月、4島の実効支配を一段と強化するために、今後2年間で70億ルーブル(約180億円)をかけると表明。

・北方領土は、軍事強化が著しく、返還問題はさらに複雑になった。

・同大統領も、翌年7月にサハリンを訪問し、北方領土のインフラ整備を進める「クリール諸島社会経済発展計画」に言及。4島の実効支配を継続する意向を鮮明にしている。

◇現在、択捉、国後両島にはロシア陸軍の「第18機関銃砲兵師団」が駐留。兵員約3500人。地域の防衛を主な任務とする軽歩兵部隊だが、戦車やヘリコプターも配備され、極東シベリア地域を管轄するロシア軍東部管区(本部・モスクワ)の指揮下で、毎年軍事演習を行っている。

・最近では国防次官クラスの政府要人が相次ぎ訪問し、ミサイル、攻撃ヘリコプター、強襲揚陸艦などの軍備強化を明らかにするなど、強硬姿勢を強めている。

・こうしたロシアの行動は、北方領土の実効支配を一層強化するものと危惧される。


◇領土問題をめぐる日ロの立場の違いが大きくなる中で、領土返還交渉は難しい問題ではあるが、全く解決の道が無いわけでもない。旧ソ連時代から長年にわたり、ロシアは北方領土問題で「強面」対応を繰り返し、そんなロシアに対して日本人は、妥協を知らないタフな交渉相手というイメージを持っている。

・しかし、ソ連崩壊後の1990年代から2010年にかけて、ロシアが数十年にわたって抱えてきたノルウェー、中国など関係7カ国との国境問題を、極めて柔軟に解決してきたことはあまり注目されてこなかった。

・例えば、ノルウェーは、冷戦時代の1970年(昭和45)から40年にわたり、バレンツ海と北極海の大陸棚の境界画定をめぐり粘り強く交渉を続け、ストルテンベルク首相とメドベージェフ大統領は2010年9月に基本合意に達した。概要は約17万5千平方㎞(日本領土のほぼ半分に相当)の係争海域を2等分する方法で、天然ガスなどの豊富な海底エネルギ―資源の共同開発を視野に、お互いに歩み寄った。

・中国との交渉では、長さ4380㎞におよぶ各所の国境線・領土問題は、ソ連崩壊直前の1991年5月に締結された東部国境協定を皮切りに解決が進められた。最終的には、2004年10月、プーチン大統領と胡錦涛主席会談で、最後に残された極東地域のアムール川とウスリー川との合流点や、アルグン川にある島々の帰属が決着し、両国間の国境は完全に確定したことで武力衝突の懸念がなくなった。

・両方のケースに共通するのは、「フィフテー・フィフテー方式(面積等分)」といわれる。

・係争海域や領土を半分ずつ分け合って決着させるやり方は、ロシアの意外な「ソフト」な領土交渉スタイルである。

・プーチン大統領が最近、北方領土問題は「引き分け」方式を匂わせているのは、こうした前例を念頭に置いていたのかもしれない。


◇さらにロシアは対日関係の改善を急ぎたい背景がある。

現在、ロシアが極東地域で一番頭を抱えている問題は、急激な人口減少である。石油・天然ガス開発で活況のサハリンのユジノサハリンスク、極東の中心地ウラジオストックとハバロフスク以外の地方都市では、軒並み人口が減少していることだ。

・ロシア極東の総人口は、旧ソ連崩壊前の1990年には約804万人だったが、2013年には625万と、20数年間で178万人も激減。同じ期間でロシアの総人口が1億4千万台を維持しているのに対し、極東の減少が特に著しい。

・こうしたことからロシアは、アムールやハバロフスク地方の農業開発のために、近年、中国から約7千人の農業労働者を受け入れてきた。しかし、中国人の農薬の大量使用、作付け管理の粗雑さなどから彼らを排除しつつ、最近では北朝鮮労働者2千人を受け入れている。


◇またプーチン大統領は北海道と極東の気候などの共通性に触れつつ、農業技術の協力を求めていることからも、北海道農業が力を発揮できる可能性もある。

・豊富な水産・農業・天然資源を生かし、どのように地方の疲弊を食い止めていくのか。そのためには隣国日本の優れた技術を導入したいのがプーチン政権の本音であろう。

・一方、世界の勢力地図とエネルギー事情が大きく変わりはじめたことは、大国ロシアにとって看過できないことである。覇権主義に突っ走る中国に対抗するには、極東・シベリア開発で日本の協力が欠かせないことや、世界有数のエネルギ―資源国としてアメリカのシェールガス革命への強い危機感がある。こうしたロシア側の問題解決のため、日本の産業・経済協力の促進は、両国の信頼醸成につながり、領土問題を進展させるうえでプラスになるであろう。


◇しかし、それから20余年経過して勃発したロシア・ウクライナ戦争以降、日ロ双方とも北方領土問題に対する姿勢は大きく変わってしまった。


◇今、日本の外交力が試されている。外交交渉は、領土を返還しないロシアが悪い、との感情論で自国の利益を一方的に主張しても通らない。2島か3島かという算術的な発想で決着点を見出すのは難しい。交渉で利益を得るには、それと同じだけのリスクが伴うことを承知しておかなければならない。


◇歴史的、法的問題を強く主張するだけでなく、問題解決のためには日本はもっと4島の現状に関わるべきであろう。


◇日ロ交渉を再開するためには、政府がロシア側と信頼関係を構築し、「柔軟な新しい政治思考」をもって、強固な外交力を構築していくことが求められる。


◇日ロの領土問題は、アメリカにとってはどうであろうか。

東西冷戦時代、アメリカは日本と旧ソ連の接近を阻むくさびとして、北方4島を未解決のままに据え置いた。しかし今やアメリカの最大の関心事は、台頭する中国にある。その影響力を減らすため、日ロの関係改善に異を唱える人はいないだろう。


■領土交渉を阻むロシアの「憲法改正と領土割譲禁止条項」


◇安倍晋三首相が2012年(平成24)12月に首相就任以来、プーチン大統領との首脳会談は5度に上る。個人的な信頼関係も生まれ、2014年に予定された大統領の来日時には、念願の領土問題を進展させる絶好の雰囲気が出はじめた。

・しかしその矢先、4月に勃発したロシアによるクリミア半島編入に続き、親ロシア派勢力の関与が疑われる7月のマレーシア機撃墜事件によって、アメリカや欧州連合(EU)、日本が対ロシア制裁を発動したため、日ロを取り巻く状況は一変した。

・制裁に対日姿勢を強化させたロシアは、8月5日、日本側と合意していた次官級協議を延期すると通告。さらに同年秋に期待されていた大統領の訪日は「周到に準備された計画が狂った」として事実上困難な情勢となった。

・こうした中で、日ロ首脳は2018年11月、平和条約締結後の歯舞諸島と色丹島の日本への引き渡しを明記した、1956年(昭和31)の日ソ共同宣言に基づく交渉の加速化で合意。これに伴って安倍首相は、4島返還から2島返還を軸とする交渉にかじを切った。


◇その後、日ソ領土問題の会談が何度か行われたが、そのたびにロシアは「平和条約締結については交渉を進めるが、北方4島の領有問題は存在しない。すべては大戦の結果である」と繰り返し主張し始め、実質的成果はまったくないまま硬直状態が続いた。


◇ところが2020年(令和2)になって、日本が予想もしない問題が展開し、この問題の解決に暗雲が立ち込めた。

プーチン大統領が1月に表明した憲法改正案に、領土割譲を禁じる条項を盛り込む案が浮上した。2024年の同大統領の退任に向けた体制移行が事実上始まる中、ロシアが一段と内政優先に傾いていることを意味する。

・7月の同大統領の5選出馬を可能にする憲法改正案を問う国民投票の暫定結果、賛成78%で改正憲法の成立が決定し、2036年までの5期にわたる大統領を続投する選択肢を確保した。

・日本にとって重要なことは、同改正憲法には「領土の割譲に向けた行動、呼びかけを禁止する」と規定し、領土割譲に向けた行為は、「過激主義」とみなされ、その行為を繰り返した場合、禁固4年の刑事罰と罰金40ルーブル(約7万円)を定めた。

・ただしその一方で、隣国と「国境画定」作業は認めているものであり、交渉を続ける意思が残されていることが読み取れる。

・しかし、これに対し、サハリン州のレマンコ知事は「島の帰属問題は、憲法改正で終止符が打たれる」と述べ、また、モルグロフ外務次官は「日本とは島々に関してではなく、平和条約締結について交渉している。改憲後も交渉は継続できるが、改正憲法に定められた国境の不可侵性を理解した上で行う」と述べるなど強硬な意見が相次いでいる。

・また、ロシア上院国防安全委員会のクリンツエビッチ議員は、日本との領土交渉について「今後100年、誰が権力を握っても、この話題に戻ることはなくなった」とまで主張している。


◇このように、憲法改正を実現するため、プーチン政権が国民の愛国心を高めた結果、ロシア議会やロシアが実効支配する北方領土の島々では、日本への返還に反対する世論が、一段と高まっている。

◇こうした事情から、北方領土問題を含む日ロの平和条約交渉のさらなる停滞は避けられない情勢となった。ロシア政権は、本当に領土交渉のテーブルにつく基本姿勢を崩してはいないと思うが、この先の交渉はどうなるのであろうか。

・日本政府内では、領土割譲の禁止対象から国境画定作業は除外されているとして、交渉への影響は限定的との見方に立って改憲を事実上傍観しているが、それは明らかに過小評価であろう。改憲は内政問題とはいえ、すくなくともプーチン氏に真意をただすなどして、今後の交渉への懸念を明確に伝えるべきであろう。


◇改憲で領土交渉のハードルが高まった中で、政府には停滞する交渉を打開する戦略の再構築が求められているが、その認識が乏しいことこそ問題であろう。

・今一番懸念されることは、北方領土返還問題は国全体の問題というより、北海道のそれも限られた一部の島民の問題として捉える様相があることと、時の経過とともに領土問題が風化し、4島がいかにもロシアの領土のように錯覚してしまうことが、日本自身の中に既成化してしまうことである。


◇北方領土返還要求のはじまりは、終戦の1945年12月1日、当時の安藤根室町長がマッカーサー連合国最高司令官に陳情書を提出した時からである。以来、北方領土問題は、未解決のまま80年が経過している。


15.北方領土問題が解決しない本当の理由(「日米地位協定」の存在)


◇ここでは、これまでの北方領土問題の交渉経過を大きく変えてしまう程の問題が浮かび上がった、2016年(平成28)の出来事を述べる。

・この年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されて、人々の大きな注目を集めた。だが、日本での首脳会談(12月15日・16日)が近づくにつれ、肝心の事前交渉は、結局何らの成果もあげられなかった。その理由は、アメリカ側軍人と日本外務省ほかエリート官僚が作った、高級官僚向けの極秘マニュアル(日米間の法的関係文書)・『日米地位協定の考え方増補版』(琉球新聞社・1983年12月)の中にある(重点のみ一部抜粋)。

①アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することが出来る。

②日本は、合理的な理由なしにその要求を拒否することは出来ず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

③従って、北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。

「このような考え方からすれば、例えば北方領土の返還条件として「返還後の北方領土には、施設・区域(=米軍基地)」を設けないとの法的義務を、あらかじめ日本側が一般的に負うようなことを約束することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる。


◇北方領土の交渉をするときも、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の政策判断でアメリカ側の基地提供要求に、「ノー」ということはできないことを、外務省がはっきり認めている。

この極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、非公開議事録(事実上の密約)があることを意味している。


◇2016年11月上旬、日ロ首脳会談の事前交渉のため、モスクワを訪れた元外務次官谷内正太郎から「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられた。

・この報告を聞いたプーチン大統領は、ペルーのリマでの日ロ首脳会談の席上で安倍首相に対し「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは領土交渉は終わりだ」と述べた(朝日新聞2016年12月26日付)。


◇従って、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化(改定)しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は極めてゼロ、また平和条約締結の可能性もゼロに近いと言わざるを得ないであろう。


◇日本は後80年経ってもなお、事実上、国土全体が米軍に対して治外法権下にあり、その上、非公開のため国民がよくわかっていない極秘マニュアルが数多く存在し、これが社会全体の構造を大きくゆがめてしまっているのではないか。日米の軍事的関係について、政府・国民がその事実を掘り起こし、歪んだ法的関係を明らかにしていくことが、今求められているのではないだろうか。

・「日米地位協定の改定」に参考になるのは、米軍がドイツ、フランス、イタリアなど数カ国と締結している各種駐留協定内容で、日本と比較すると、各国ともアメリカと対等な立場で協定していて、日本との格差に驚かされる。


◇講師私見

日本は2024年11月に第二次石破政権が誕生したが、①アメリカとの「日米地位協定の改定」にどこまで踏み込めるか、②ロシアはウクライナ戦争勃発以降、日本に対する反目がこれまで以上に強固になっているが、彼らを交渉のテーブルに着かせるだけの外交力を発揮できるか、この大きな両問題が前進しない限り、北方領土返還問題の実現はこの先難しいと思われる。


特記①太平洋戦争から学ぶこと


◇戦後の歴代政府は、太平洋戦争の重要な問題を厄介者扱いし、醜い古傷跡を強いて隠すように努めてきたかのように思われる。

・その証拠に、1982年度(昭和57)から実施された学習指導要領では、日本史は選択科目にされ、受験科目からも外された。そのため義務教育の教科書に太平洋戦争の開戦から敗戦までの正しい史実と、貴重な教訓の多くを掲載していない。これでは、青少年に正確な知識と公正な理解の機会を与えていないと言っても過言ではない。

・敗戦後80年が過ぎた現在、忌まわしい戦争の傷跡が風化していくばかりだが、今こそ、戦争の真相と全貌を公正に展望し、冷静に批判・反省した上で、後世に語り継ぐ責任がある。

・戦争の真実が、政府と圧力団体の抗争のために、勝手に歪曲されたり捏造されたりして、次世代を担うべき青少年に対し、誤った戦争認識を与えることがあってはならない。

・英国の世界的軍事評論家リデル・ハートが常に強調している「平和を欲するならば、過去の戦争を理解すべきである」という警句は、日本の場合にもぴったり当てはまる。


◇私たち日本人が、我々の子孫代々のためにあらゆる努力を惜しまず、平和を守り抜く覚悟があるならば、先ず何よりも太平洋戦争の苦い教訓を正確に知り、戦争の起因と責任までも、厳正に理解することが必要であろう。


■戦後のドイツと日本の歴史認識の違い


◇ドイツは、ナチスの犯罪に関する責任を認め、戦後から現在に至るまで政府・企業による補償、虐殺の加担者の刑事訴追、ナチスの犯罪などを、若い世代に詳しく伝える歴史教育などを続けてきた。その事例として、現在3局ある国営テレビの1局は、過去の自国の歴史検証を放映し、それが一般社会の常識となっている。その一例として、ブラント首相がポーランドを訪れた時、大地にひざまづき、ナチスの残虐行為を謝罪した。現在もドイツの首相や大統領にとっては、旧被害国の慰霊碑や残虐行為の現場を訪れて謝罪することが、義務となっている。

・これに対して日本はどうであろうか。

戦争で犠牲になったアジアの人々は、2千~3千万人。賠償や円借款は果たしてきたものの、為政者の歴史認識の不十分さと、青少年に対する歴史教育の不十分さは、ドイツに比べるべくもない。


◇現在、東アジアでは、日本とロシア・中国・朝鮮半島との関係が、領土問題や歴史認識の違いから険悪になる一方である。

・政府間だけでなく、一部の民間の間にまでナショナリズム(国家主義・民族主義)が広まり、相手国の対する不満や偏見が強まりつつある。

・日本の保守派は、東アジアの緊張を高めているのは、これらの国だと主張している。確かに、これらの国は北方領土の実効支配、軍事拡張や防空識別圏の設定、領海への度重なる侵犯、長距離ミサイル実験などが、日本のみならず東アジアの緊張を著しく高めているのは事実である。

・しかし、ナショナリズムが頂点に達すると、そのエネルギーが戦争を引き起こし、結果として最も重いツケを払わされるのが一般市民だということは、これまで何度も経験していることである。

・各国の指導者は、ナショナリズムの弊害を強く認識すると同時に、戦争抑止の前提となるのが、歴史認識を巡る和解にその原点があることを忘れてはならない。


特記②「戦争は人道と文明に対する反逆であり罪悪である」


■第二次世界大戦の大量殺戮


◇第二次世界大戦は、1939年(昭和14)9月1日、ドイツのポーランド侵攻に始まり、7年後の1945年(昭和20)9月2日、東京湾の米国戦艦「ミズリー」の艦上での日本の降伏調印によって終わった。

・足かけ7年におよぶこの大戦争は、規模の大きさ、参戦国の数、膨大な戦費、無条件降伏に至るまで徹底的に戦い抜いた点など、いずれも未曽有の全世界戦争であった。

・参戦国は、連合国側が米、英、仏、ソ連、中国を主軸に19か国、枢軸国側が日、独、伊を主軸に8か国、計27か国に達した。

・両陣営が消費した戦費は、軍事費など直接戦費が約1兆億ドル、建物・財産の破損損失が約2兆2500億ドル。

・これに人的資源・天然資源の濫費、消耗と通商、財政上の損害、その他間接的戦費約7500億ドルを加えると、合計およそ4兆億ドルに上ると推定される。米国では、第二次世界大戦を「フォア・トリオン・ウォー」( 4兆億ドル戦争)と呼んでいる。


◇一方、この戦争で失われた人命は、軍人と一般市民を合わせて約6200万人と推測されているが、これは内輪に見積もったもので、特に広大な地域の中国人やソ連人の膨大な死者の総数は、統計により相当な差異があり、正確な数字は永久に分からないであろうと専門家は見ている(一説には8000万人以上ともいう)。

・6200万人の死者のうち、約2500万人が軍人の戦死(戦場の行方不明者を含む)で、残り3700万人が一般市民の犠牲者である。

・1937年(昭和12)以来の軍人戦死者の内訳を、米軍当局の調査資料により概観すると以下の通りで、戦争のむごたらしい大量殺戮の現実には慄然とする。

*連合国側の軍人死者

 米国  29万人

 英国  45万人

 ソ連  750万人

 仏   50万人

 中国  220万人

 その他諸国 省略

 合計 約1700万人 民間人約3300万人 合計約5000万人

*枢軸国側

 日本  150万人

 ドイツ   280万人

 イタリア 30万人

 その他の枢軸国 省略

 合計 約800万人 民間人約400万人  合計約1200万人


◇これら約6200万人の数字はあくまで概数であり、原子爆弾の死者数は、終戦直後の調査発表で7万8150人となっているが、その後の広島市の報告では24万7千人と激増している。またドイツの戦死者の場合も、確認された215万人のほかに未確認の行方不明者が100万人もあり、これだけを合計しただけでも315万人に達する。

・とりわけ悲惨なのは一般市民の犠牲者で、ドイツでも日本でも、絨毯爆撃や原爆によって大量殺戮された。


◇では一体、第二次世界大戦は何のために戦われたのだろうか。

・勝った連合国側では、「世界平和を乱す野蛮な日独伊ギャングの侵略を阻止し、処罰するための戦争(カイロ宣言)である」と宣言。また「人類の権利および正義を保持するため、世界を征服しようとしている野蛮で野獣的な軍隊に対する共同闘争(連合国共同宣言)」であると呼号した。

・そして、無条件降伏した日独両国の指導者を戦争犯罪人として一斉に逮捕し「人道と文明」の名において、絞首刑に処した。


◇しかし、敗北した日独伊枢軸国では、この戦争を最初から米英アングロサクソン民族の世界支配と金権主義を打破して、東亜ならびに欧州の新秩序を樹立する「現状打破の聖戦」であると全世界に訴えて戦った。

・いずれが正しかったのか、間違っていたのか、神のみぞ知るである。

・ただ、祖国のために正直に、勇敢に戦って散っていった約2500万の無名戦士と約3700万人の善良な一般市民の犠牲の上に、今日の我々の生命と国家の平和があることを、決して忘れてはなるまい。

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 以上が本日の講座の概要ですが、4回のお話の中で、太平洋戦争で日本が降伏する前の、米ソの緊迫した駆け引きや、北方領土問題の解決を妨げる要因のひとつに日米地位協定があることなど、あまり知られていない情報を知ることが出来て、受講者は大変参考になったことと思います。

 最後に受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。

「北方領土問題も困難だが、それ以上に沖縄も日米地位協定(が)あるかぎり希望がないのではないか。交渉が感情的になってはいけないが、ちょっとしたことで解決がさらに遠のくこともありえる。北も南も解決はしばらく考えられないのだと改めて思った」

「4回にわたり素晴らしい資料に基づいての内容の深い詳しい説明で感銘を受けました。感謝申し上げます。運営委員様、いつもご苦労様です。お礼申し上げます」

「4回に...本当に受講してよかった。このような形での説明は聞きたかったが、これまではこのような場面に会えないできた。本日、後半での率直な課題が何かを語って...今後もお元気で一人でも多くの方の受講の機会を与えていただけたらと...他力本願になってしまう。自分のできること、まずこのたびの資料を熟読し、理解を深めたいと改めて考えました。ありがとうございました」

「20代30代の青年期をシベリアに抑留された父を偲んでの狭い了見で受講しました。七年余りに渡る攻防の中、数知れない兵士の方々は何を思い、何を信じ、戦い続けたのでしょうか。無条件降伏に至り、もしもポツダム宣言受諾の日が早まっていたら、広島・長崎・シベリアの惨事は...?など、貴重な講話ありがとうございました」

「北方領土問題が米国との基地問題、そして日米協定や秘密会談が関係しているという。全く今まで気づかなかった視点からの話に驚きながら聞きました。そして事実をどう捉えていくかということで、今回の講座は非常に役に立ちました。また、ぜひ新たな気付きを提供していただきたいと思います」





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