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主催講座9「石狩市の近現代史を学ぼう」第3回「発展する石狩市の未来と今後の展望」

2023/09/22

 9月19日(火)、主催講座9「石狩市の近現代史を学ぼう」の第3回「発展する石狩市の未来と今後の展望」を石狩市花川北コミュニティセンターで開催しました。講師は、石狩市教育委員会文化財課の工藤義衛さん、受講者は29名でした。
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本日のお話は、石狩市の1975年以降の現代について次のような順で進められました。
1.大規模住宅地の出現
2.都市化問題
3.石狩湾新港
4.石狩市民図書館
 以下は、お話の概要です。
■石狩市の人口の推移(明治35年から昭和40年までの人口が横ばいの期間については実際より縮めてある)
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昭和40年代以降の大規模住宅建設により人口は増え、ピーク時は6万人を超える時もあったが、今は5万人代後半から漸減している。地区別で云うと、花川地区と樽川地区で全人口の8割近くを占めている。
1.大規模住宅地の出現
◇新札幌団地
内外緑地株式会社(後にユーアンドアイマツザカと改称)が現在の花川南地区に開発した住宅地のこと。花川南地区はそれまで水田、酪農を中心とする純農村地帯だったが、昭和39(1964)年に内外緑地株式会社が用地買収を行い翌年9月から分譲を開始した。
背景には、新琴似あたりですでに宅地化が始まっていたこと、減反政策が始まって米作も厳しくなっていたことがあげられる。
・新札幌団地開発前の南線地区
農村なので、住居はまばらに点在していた。
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・昭和41年春の南4条1丁目付近
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・昭和43年の新札幌団地
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・松坂有祐(まつざかゆうすけ)
大正12年上ノ国町生まれ。ユーアンドアイマツザカ・内外レジャーランド社長。北海道文化放送監査役。フィンランド名誉領事(北海道年鑑1975記載)。
・昭和40年代末頃の新札幌団地
茶色の部分は、紅葉山砂丘を削った跡。
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・昭和47年、北海道新聞・広告記事
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・ユーアンドアイマツザカの倒産(昭和51年)
それまで新札幌団地内の水道や除雪、街路灯の維持はユーアンドアイマツザカが担い、中学校建設用地も同社が提供することになっていたため、住民の動揺は大きかった。そこで石狩町は、これらすべてを受け継ぐことにして住民説明会を実施した。これ以降、民間主導だった新札幌団地のインフラ(水道、除雪、街路灯)はすべて石狩町が継ぐことになった。
◇花川北の開発
昭和40年:北海道住宅供給公社は、新札幌団地内に住宅建設。さらに石狩湾新港の開発に伴う就労者住宅確保の見地から現在の花川北での住宅造成を検討
昭和45年:「石狩町花畔団地基本計画書」作成
昭和47年:花畔団地分譲開始
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■字名改革
新札幌団地は旧樽川村、給花川村にまたがる地域で、住所表記は石狩町大字樽川村、大字花畔村であった。
「新札幌団地」にふさわしくないことや新港地域の開発により分かりやすい住所表記が求められたことから「条丁目」方式となった。
2.都市化問題
◇水道
昭和39年:樽川の一部で給水開始
昭和40年:内外緑地が新札幌団地内の給水開始
昭和48年:石狩町が水道事業開始
※石狩は水道がなく井戸を使っていたので、水道事業が始まった時、民間の水道事業者がいなかったので井戸業者が水道業に転向した。
◇追いつかないインフラ整備
・水道:昭和40年から48年まで分譲業者が運営
・電話:昭和40年代中頃まで商店の赤電話で呼び出し
・ゴミ収集:昭和45年から
・当時の生活状況―花川南第一町内会20周年記念誌より抜粋
「商売に一番必要な電話はなく、道路とて石ころばかりの道路、飲み水は赤さびの混じった水で道議会でも問題になりました。二人の子供の転校手続きで南線小学校へ挨拶にゆきましたが、当時は複式校で在校生も全生徒数六十数名、教室は三教室、特別教室一、先生も校長先生以下四名という学校で子供たちも驚いていました。冬に二日も吹雪となると食料不足、プロパン不足と生活も大変でした」
○ゴミ処理
昭和45年:町によるゴミ収集開始(新札幌団地)。最初は有料
昭和48年:ゴミ収集無料化。石狩町、当別町、厚田村で北石狩衛生組合結成
昭和50年:「北石狩衛生センター」が処理事業を開始
3.石狩湾新港の建設
◇新港開発の過程
昭和45年:石狩湾新港建設促進期成会総会
      石狩湾新港建設予定地で地主会結成
     「第3期北海道総合開発計画」決定
昭和46年:北海道企業局と地主会の売買契約締結
昭和48年:石狩湾新港工事建設着工
昭和53年:新港管理組合設立
昭和55年:石狩町の一部を小樽市に編入
昭和57年:新港第1船が入港
■石狩湾新港の特徴
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4.市民図書館の建設
・他市の例
江別市:平成元年、恵庭市:平成4年
・石狩市
昭和33年:公民館図書室
昭和37年:司書捕採用
平成10年:石狩市民図書館着工
平成12年:石狩市民図書館竣工
江別市、恵庭市、石狩市はいずれも農村から脱却して都市化した地域で、文化の面でも基盤が農村型から都市型へ移っていった。それを象徴するのが、図書館の開設である。
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 本日のお話は以上ですが、石狩が農村から都市へと脱却していく状況が良く理解できました。また、その都市化を文化面で象徴するのが市民図書館の開設だったと云うお話は新たな認識でした。
 最後に受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。
「大変おもしろく貴重なお話が聞けて良かったと思います。説明も明確で理解が深まりました。納得の90分、充実していました。感謝!最後に図書館建設のお話は都市化(文化的に)の面でよくわかりました」
「現在の花川南・北及び樽川地区が農村地帯から住宅地に変化していく初期の状況がよく分かりました」
「全3回、とても参考(になった)。石狩市の誕生の道のりが分かりました。特に3回目は記憶に残したいと思います」
「石狩町の生い立ち、自分が考えても良く分からなかったことが今回スッキリ。大変良い講座でした。満足」
「今日の石狩がかたちづくられる経緯がよくわかった。講師の仕事柄、分かりやすい言葉、表現での説明で理解しやすく助かりました。ありがとうございました」




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