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主催講座3「世界遺産となったキウス周堤墓群を訪ねる」第1回「キウス周堤墓群はなぜ世界遺産となったか」

2023/06/16

 6月1日(木)主催講座3「世界遺産となったキウス周堤墓群を訪ねる」の第1回目の座学講座「キウス周堤墓群はなぜ世界遺産となったか」を石狩市花川北コミュニティセンタ―で開催しました。講師は千歳市埋蔵文化財センター主事の和田由希絵さん。受講者は37名でした。
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以下は講演の概要です。

千歳市埋蔵文化財センター
 私が在籍している埋蔵文化財センターは、平成22年にオープンして以来、千歳市内の遺跡や文化財の保護・保存・活用をしている。展示室では、遺跡から出土した土器や石器を見ることができる。
遺跡のうち動かせないもの...家、墓などを遺構といい、運び出せるもの...土器、石器などを遺物という。
本日は、①遺跡から見た千歳の歴史 ②史跡キウス周堤墓群を紹介する前に ③そもそも周堤墓って?~キウスの特徴と魅力の紹介 ④北海道・北東北の縄文遺跡群の中のキウス、以上4点について話しをしたい。
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遺跡から見た千歳の歴史
 千歳市は人口97千人を擁した空港・自衛隊の街で、国内2位の水深・8位の面積を誇る支笏湖を抱える。
千歳市の遺跡の多さは道内で5番目。日本海と太平洋を分ける「分水嶺」は千歳の場合は標高20mほどで日本一低い。この低さにより千歳-苫小牧間の往来が簡単に行うことが出来、交通の要衝として人やモノの往来が盛んだったことが遺跡の多さの要因の一つである。
 有史以来、恵庭岳や樽前山など4回の大噴火を経験。厚い火山灰により遺跡が守られて残りやすいことも遺跡の多さに関連している。
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23,3,1,5.png史跡キウス周堤墓群を紹介する前に...
 北海道は、本州とは弥生時代から異なる時代名称で呼ばれている。千歳は時期的にも、最も古い旧石器時代時代から近世アイヌ文化期まで、満遍なく人が住み着いており遺跡が発見されている。まさに北海道の歴史が凝縮されている。 
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千歳市の代表的な遺跡
《美々貝塚》
 約6千年前の縄文時代前期前半は、気温が上昇し海水面が今より上がるいわゆる縄文海進の最盛期にあたる。美々川周辺では現海岸線から17~18㎞ほど奥まで入り込んで入江状になった。
遺跡下の岸辺でシジミを中心に採取して、調理後、遺跡内に大量の貝殻を捨てていた。これが美々貝塚である。 
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   このほか、今から3,000年ほど前の縄文時代後・晩期のお墓などが出土した《ママチ遺跡》や縄文時代早期~アイヌ文化期の千歳市・内別川流域の大遺跡群である国史跡《ウサクマイ遺跡群》などもある。このウサクマイ遺跡群では珍しい男性の土偶や蕨手刀なども出土しており、ウサクマイC遺跡では擦文時代の竪穴住居跡のくぼみも見ることができる。 
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そもそも周堤墓とは?
 周堤墓とは、約3,200年前の縄文時代の終わり頃、北海道にだけ造られた(特に千歳に集中)特徴的な形の集団墓地のことをいう。
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 「キウス」は、アイヌ語でキ・ウシ→ 茅(カヤ)・群集するところという意味。
周堤墓は石狩低地帯である苫小牧や恵庭のほか道東にもあるが圧倒的に千歳市が多い。 
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   周堤墓の形と構造をつくり方から見ると、①丸く穴を掘る ②掘った穴の土を周りにつみ上げ、ドーナツ形の土手をつくる ③掘った穴の中に、さらに穴を掘り、人を埋葬する。等の手順で完成する。
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  キウス周堤墓群は明治時代から調査・研究が行われている。(残念ながら、周堤墓を貫く道路は研究される前の明治23年に開通している)     
 河野常吉さんが研究を始めた明治時代のスケッチでは当時は深い森だったが、形や連なり、出入口と見られる部分も書き入れている。調査の結果、アイヌの使っていた砦(チャシ)と主張。学説の主流だった。
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周堤墓の発生と終焉
 周堤墓の発生や終焉については、はっきりとしたことはわかっていない。
周堤墓の発生に関しては、①ストーンサークルから発展したとする説 ②竪穴住居をモデルとする説(鷲ノ木遺跡の竪穴墓域)③群集墓の影響を受けて発生したとする説 ④気候の寒冷化により、資源の減少・偏在に伴い集落の密度が高まった結果、周辺地域の人々や集落内の繋がり(団結)を強めるための共同作業として周堤墓を造り始めたとする説 などがある。
 また、周堤墓の終焉に関してみると、縄文晩期になって周堤墓は忽然と造られなくなる。
 その後、周溝墓、盛土墳墓(美々4遺跡)などが出てくるが、これらを含め周堤墓にはまだまだたくさんの謎が残されておりミステリアスだ。

キウス周堤墓群をご案内
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 ~キウスの特徴と魅力の紹介
 キウス周堤墓は、JR千歳駅から北東に10㎞ほど行った、道東道の千歳東インターチェンジを降りてすぐのところにある。
航空写真で見ても分からない森の中に存在している。現在、周堤墓は国道337号に貫かれている。マオイ丘陵の裾野の台地部分にあり、西側は湿地と沼地が広がっていた。
 周堤墓は群集し、史跡内では9個見つかっている。面積は11ヘクタールで札幌ドーム2個分の広さ。見学道があり2・4・1・3号を見ることができる。6・14号は私有地のため見ることは出来ない。

最も大きい1号周堤墓
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外形83mで、ジャンボジェット機がすっぽり入る大きさ(周堤墓の大きさは10~30m程度が一般的)。
最も深いキウス2号周堤墓
 周堤の上から竪穴の底までの深さ4.7m。外から中が全く見えない。昭和40年の発掘調査で墓の穴1個が見つかり骨の溶けたようなものがあった。土偶なども見つかっている。
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4号周堤墓の墓穴の一つからは石棒が出土している。 
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 周堤墓は9個あるが一度に全部造られた訳ではない。番号は見つかった順番につけられている。大きさが大きいほどあとに造られたと考えられている(土の堆積状況や出土した土器の形式などの理由から)。
 周堤墓の番号がとびとびになっているが、いくつかの理由がある。史跡に含まれていない周堤墓の番号のうち7号は史跡から300m南西に離れて現存。8・9・10号は発見当時から削平されていた周堤墓で、その後位置不明に。史跡から 約3㎞南に離れた13号は誤認と判明し、現在オルイカ1遺跡と名称が変わっている。
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《キウス周堤墓群のまとめ》
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〇とても大きい!!70mを超える周堤墓が集まりしかも連結している。
〇現在まで埋まりきっていない本物の状況を見学することができる。縄文時代に造られた形に思いをはせることができる。
〇どちらも縄文時代の遺跡としてはここにしかない!!
〇多様な墓制(立石、ベンガラ、石棒、土偶、大型の石皿)が確認されている。

北海道・北東北の縄文遺跡群の中のキウス  
 2021年、世界文化遺産登録!!
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世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物。文化遺産、自然遺産、複合資産の3種類からなる。
世界文化遺産登録でとくに強く求められるポイントは、顕著な普遍的価値※ 
※いつの時代の誰が見ても素晴らしいと感じられること。
 
北海道・北東北の縄文遺跡群 
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  北海道・北東北の縄文遺跡群は、津軽海峡を挟んだ北海道・北東北に位置し、1万数千年続いた縄文時代の長期にわたり、狩猟採集を基盤とした人々の生活跡(集落跡、貝塚、低湿地遺跡)や、祭祀や精神的活動の実態を示す記念物(環状列石、周堤墓)で構成された17の遺跡からなっている(北海道6、東北11)。

 17の構成資産それぞれが、縄文時代全体のストーリー(普遍的価値)を部分的に担っている。青森県から始まった世界遺産登録に向けた活動のなかでキウス周堤墓群は途中の平成24年(2012)から加わることに。世界遺産になるまで13年が経過している。
 下図は年代を追うごとに集落の構造がどう変わっていったかを示した図。下の欄には当時の気温をグラフ化。
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   これを見るとだんだんと集落構造が複雑集中化したのち、各機能が分散していく様子が見て取れる。
真ん中位の時期に気温が上がるが、そこから寒くなるに従い、祈りや祭りといった祭祀系の場所が強化されているのも特徴。キウス周堤墓群は冷涼化していくステージ3の時期に営まれた遺跡である。
 キウスは集落・墓地・祭祀場が離れて設営されていた縄文時代後半の時期、高い精神性についてよく示す遺跡。
 キウスの特徴と魅力について世界遺産の中での役割と一緒に伝えることで、キウスの理解がさらに深まり、他の縄文遺跡にも行きたくなる相乗効果が生まれることを期待している。17遺跡が纏まっていてよかったと思う。
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《受講者のアンケートから》
「先生が楽しそうに話されていて遺跡をお好きなんだなぁととても感じられました。何も知らない世界でしたがもより興味を持ちました。来週からのバス訪問が楽しみです。昔の人の生活を知るのは楽しいですね」
「キウス周堤墓群がとても特徴的なものであることがよく分かりました」
「発掘調査には気の長い心と日が必要ですね。次回のキウス見学を楽しみにしています」
「キウス周堤墓については初めての話でしたので興味深かった。同時代の石狩の状況はどうだったのか知りたくなりました」







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