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主催講座3「縄文遺跡群の世界遺産登録と石狩市の遺跡」

2020/11/20

 10月15日(木)、主催講座3「縄文遺跡群の世界遺産登録と石狩市の遺跡」を石狩市花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、札幌国際大学縄文世界遺産研究室長の越田賢一郎さん、受講者は41人でした。
先生は「私は全道各地の講演や祭りなどで縄文の宣伝をしております。今日はこれからの『北海道・北東北の縄文遺跡群』の世界遺産登録の状勢をお話したいと思います」と話し始められました。 

以下にその概要を紹介します。
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〇今日のお話の内容
⒈ 世界遺産とは何なのか
⒉ 縄文時代とは何なのか
⒊ 1万年にわたる定住生活の持続と世界史的意味
⒋ 北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録と石狩川流域の遺跡群

⒈ 世界遺産とは何なのか
(1)世界遺産の種類
①現在世界遺産登録数 1121件
・文化遺産869件 ・自然遺産213件 ・複合遺産39件
②ユネスコの世界遺産条約(1972)を締結している国は193ヵ国、日本は1992年に批准
③登録基準  顕著で普遍的価値を持つ、真実性、完全性
④登録要件  10の登録基準のいずれか一つ以上に合致すること

(2)「北海道・北東北縄文遺跡群」の評価基準はⅲとⅴにあたる
①評価基準(ⅲ) 
現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも稀有な存在)である。
②評価基準(ⅴ) 
ある一つの文化(又は複数の文化)を特徴付けるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境のふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存在が危ぶまれているもの)。
縄文文化が15000年前から3000年ほど前まで、1万年以上の長きにわたって続いたことを示す遺跡がまとまってある。その文化は、世界史的に特徴的な位置を占めていて、他の地域では定住するために農耕文化が加わるが、1万年もの間変化することなく、狩猟と採集と漁労という三つの生活形態で定住生活を達成させた。これが大きな意味を持っている。

(3)世界遺産への道
①最初の世界遺産 エジプトのアブ・シンベル神殿に代表されるヌビア遺跡群
・アスワンハイダム建設で水没の危機にあったヌビア遺跡群を世界中の人々が協力して守ったことを記念して条約ができた
②「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録への道
・2009年に暫定リストに載る
・2019年ユネスコ世界遺産センターに推薦される
・今年(2020)9月、ICOMOS 調査員が現地査察を行った
・その結果が来年(2021)5月ごろ報告され、登録OKの推薦が出ると、来年7月に世界遺産委員会が開かれ決定する
・心配は、今年の世界遺産委員会がまだ開催されていないこと。日本では本年、奄美・沖縄自然遺産が世界遺産委員会にかけられることになっている。従って、今年中に世界遺産委員会が開かれることを願っている
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③日本の世界遺産登録の状況(文化遺産19 自然遺産4)
・北海道は自然遺産知床のみ 
・東北北部でも自然遺産白神山地と岩手の文化遺産平泉のみ
・最近登録されたのは、大阪百舌烏・古市古墳群(2019)
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⒉ 縄文時代とは何なのか
(1)「北海道・北東北の縄文遺跡群」の意味
①17の遺跡と2関連遺産
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②世界遺産登録の意味  キーワード  海 森 雪
・海と落葉広葉樹林の森に囲まれている
・雪と冬の寒さという厳しい自然
この自然を利用し、狩猟・採集・漁労を中心にした定住生活を達成し、1万年にわたり独特の文化を築いた。世界的に稀有なこと。
③縄文文化の特色
・多くの自然資源に依存する社会 農耕を持たない
・持続する社会 それを示すのが大規模な集落、貝塚、盛土など
・地域社会の形成 集落相互の緩やかな結び付きと、共に分かち合う社会
それを示すのが、ストーンサークル、周堤墓など
*地域の結び付きや災害対応など、縄文に学ぶものが多くある

(2)縄文文化が日本列島の中でどのように形成されていったか
①旧石器時代は氷河期
・2万年前頃には、本州は九州、四国が地続きになっている
・津軽海峡はわずかに開いていた
・北海道はサハリンと国後島までつながり、大陸から突き出した半島に
・日本海が内海に
②人間と動物の移動
・南方から 朝鮮半島、台湾から本州、沖縄へ
・北方から マンモス、ヘラジカ、野牛を追って北海道へ 動物を追った遊動生活
③植生
・針葉樹林帯が中国、四国地方まで広がっていた
・まだ土器はない  
④旧石器人が遭遇した、温暖化の危機  
・海進 
・植生の変化 針葉樹林帯が北へ後退し、落葉広葉樹林帯が広がる
・大型動物は北へ移動、絶滅したもの多い
・落葉広葉樹の森の中に、中・小型の動物が生活
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(3)温暖化の危機を乗り越えた縄文人
①キーワード 海
・海水面の上昇→入江が各地に→道がなくなった→舟を使う→新しい世界との文化交流 
・貝塚 入江の貝や魚の利用を示す 貝殻、魚骨、ウニ殻、海獣・陸獣の骨も出土
・交易 各地の産物が流入 
ヒスイ(新潟) 黒曜石(長野・北海道) アスファルト(新潟・秋田・山形)
交易により物と共に、人、情報が動く
・津軽海峡をはさんで、北海道と北東北が強く結び付いていた
②キーワード 森
○温暖化による植生の変化 針葉樹林帯→広葉樹林帯の北上
・山菜、堅果類(ドングリ・クルミ・クリ・トチノミ)の活用のために、あく抜きが必要
・土器の利用 人類にとって大切な温暖化克服の道具(鍋の役割)→あく抜きにより植物食利用の拡大 
〇温暖化による動物相の変化
・大型動物の絶滅 マンモス、ヘラジカ
・中・小型の動物に変化 クマ、シカ、キツネ、ウサギ
・狩猟方法の変化 ヤリから弓矢へ→縄文文化への転換を促す
③キーワード 雪
・気候の温暖化による降水量の増加 冬は大雪に 冬を生き抜く知恵が生まれる!
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・雪が森をそだて、森の栄養が豊かな海を作る この生態系を利用する
・雪に覆われた大地→冬ごもり→蓄えを!
木の実、サケ、干し魚、乾燥肉、山菜
・温かい住居  竪穴式住居
・暑い夏と寒い冬を生きるための衣類の工夫(毛皮と樹皮衣)
④土器の利用 縄文時代草創期
・最初に土器を利用した遺跡
青森県外ヶ浜町太平山元遺跡の土器(1.5~1.6万年前)
・北海道で最初の縄文土器
帯広市大正3遺跡(1.4万年前)
土器の焦げから魚の脂が検出できた
・植物質食糧のあく抜きが可能になる
・魚、貝などの煮炊きによる保存食の作成
・各種の食物利用と保存食の生産が可能になり、遊動生活から定住生活になった
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⒊ 1万年にわたる定住生活の持続と世界史的意味
(1)定住生活への変化
・土器の利用により海と森の環境を効率よく利用できるようになる
⇒食の多様化(縄文鍋⇒移動する必要なく1ヶ所にとどまることが可能になる
・竪穴住居の出現 テント生活からの変化

(2)定住生活がもたらしたもの 集落の大型化
・子どもの死亡率減少
・老人の平均年齢上がる:知識の伝達、文化の伝承が可能に

(3)最初の定住生活の遺跡
①帯広市八千代A遺跡
・丸い穴が竪穴住居で105軒が丘陵尾根上に列になっている 平底の土器を使用
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②函館市中野B遺跡
・住居が600軒ほど重なり合って検出される 尖底の土器を使用(本州とのつながり)
・網のおもりが出てくる 小さな魚を獲っていた
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(4)海の利用 貝塚の形成
①温暖化による札幌・苫小牧低地帯への海の進入
・濃い青が標高5m、薄い青が標高10m。苫小牧市街の大半が海であった。
・標高10mの線に沿って貝塚がある。美々貝塚、美沢4遺跡など(シジミ主体の貝塚)
②伊達市北黄金貝塚 噴火湾の貝塚
・カキ、巻貝、海獣(イルカ、アザラシ、オットセイ)、山の動物(シカ)などがみつかる 
・冬の食糧としても蓄える  集落間の交換も考えられる
・竪穴住居や墓もみつかっている
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③洞爺湖町入江・高砂貝塚 噴火湾の貝塚
・竪穴住居や墓が見つかっている
・黒い貝塚 貝だけではなく土が厚く堆積
・貝と一緒に、食べかすや竪穴住居建設時に余った土を積み上げる⇒盛土遺構と同じではないか

(5)盛土遺構
①函館市垣ノ島遺跡 
・貝塚はないが土を盛り上げた盛土遺構がある
縦190m、横120m、盛土の高さ2mくらい
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・中央部を削平して平らに 一か所だけ削平しない場所がある 
・この盛土は3000年かけて、順次形成されたことが発掘で明確に
・5500年前は3か所 5000年前になるとそれが大きくなる
・4500年前はさらに大きくなり、4000年前になると意図的にコの字型に整える
・中心の削平しない場所に石組みがあり、祭りなどをした可能性
・特殊な透かしの入った土器、漆塗りの土器(アスファルトで修復)もみつかる
・祭祀に使用した可能性
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②函館市大船遺跡 
・住居群の周囲に掘った土と使った道具を捨てている
・魚や動物の骨やドングリなどを叩き潰す台(石皿)が大量に出土
・単に捨てるだけでなく「送り」儀礼の意図があったのではないか
・道具に感謝をして神様の国へ送り返す。食べたものを祀って、もう一度神様の国から来てくださいというアイヌの「送り儀礼」と同様なことが行われた可能性
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(6)ストーンサークル(環状列石)
①秋田県大湯環状列石
北海道北東北では、ストーンサークルは縄文時代後期4000年ぐらい前からある。
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・40M以上ある大きな環状列石が2つ対になっている
・真中に大きな石を置いて、周りに放射状に石を並べる日時計とよばれる配石がある
・丸く囲った列石の内部に、日時計のほかにも小規模な配石があり、組合さって大きなストーンサークルが出来上がっている
・小規模な配石の下に墓があったのではないか(集団墓地)
・周りに柱穴が残っている。住居や遺体を風化させるモガリの場所であったのか
・列石や配石を構成する石には、一人で持ち運べないような大きな石がある
・遠方の川から運び込まれたものであり、その数は7200個にもなる
・一度に造られたものとは思えない。何世代にもわたって作り続けたものであろう
②秋田県伊勢堂岱遺跡
・4基のストーンサークルが検出されている
・大湯のように2基が並んでいるものがあるので、2基ずつ造られた可能性もある
・周囲を発掘しても大きな集落が見当たらない
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③青森県小牧野遺跡
・ストーンサークルは、中央の石組と角の丸い方形に組んだ二重の列石で構成される
・中央に斜面部を削って平らにした広場があり、列石はそれを巡るように置かれる
・石組には特徴があり、「小牧野式」配列と呼ばれている
・ストーンサークル内には土器棺墓だけで、土坑墓は別のところにまとまる
・住居跡はほとんど見つかっていない
・いくつかの集落がまとまって大きなストーンサークルをつくるのではないか
④北海道森町鷲ノ木遺跡
・ストーンサークルは、最大径37m、二重の列石と真中に一つの石組で構成される
・円形に平坦面を造成し、その周囲に列石を配置
・列石内に墓はなく、周辺に竪穴墓域が見つかっている
・ストーンサークルは先祖を祈る空間ではないか
*函館へ行く高速道路の上(八雲から森への間)に残されており、トンネルには看板もあるので、通過するときには是非見上げてください 運転注意です!
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(5)周堤墓
①周堤墓の分布 石狩低地帯に集中 他に道東にもあり
・北海道にしかない 
・この時期は人口が少なく、地域ごとにまとまっていた可能性
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②キウス4遺跡   
・キウス周堤墓群の隣接地で、北海道横断自動車道の建設に伴い発掘調査実施
・図の茶色い部分が盛土。南北二つに分かれていて、キウス周堤墓群へ向かう道が形成されている
・盛土内には建物跡がある
・そこに住んだ人々の共同墓地として、盛土の外に周堤墓が造られた
・周堤墓は、直径数メートルから数十メートルの円形の掘り込みを造り、その土をドーナツ状に周囲に盛って円形の区画(周堤)とし、掘り込み内に墓を順次作った集団墓
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③キウス周堤墓群 世界文化遺産候補構成資産
・キウス周堤墓群は、キウス4遺跡の周堤墓と比較しても格段に大規模
・直径80mにもなるもの、周堤の高さが5mにも及ぶものがある
・動かした土の量が5000立方メートルにも及ぶとみられ、指揮する人がいて、何年も何代もかかって造られたと考えられる
・キウス4遺跡だけでなく、周辺の集落の共同作業によるものだろう
 縄文人の計画性が感じられる
④苫小牧市美沢1遺跡
・キウス周堤墓群は全体の発掘調査が行われていない
・発掘するとおそらくこのような状況だろう
・墓穴が並び、その前後に小さな穴がある。その小穴に墓標が立てられていた
・墓の場所を示したもの 次に引き継ぐ意志のあらわれ
⑤恵庭市柏木B遺跡1号周堤墓
・出土品の例を示す
・石の棒 指揮棒(権威を表す)か? 
・石の斧、石鏃など、全く使われていないものもある
・玉 ヒスイの玉→全国的な流通は終わっている。ある特定の地位を示す
・被葬者たちは、支配階級ではなく、狩猟や土木工事を指揮する人、シャーマンなど、特定の役割を持った人たちと考えられる

*定住を達成し、貝塚、盛土などを残してきた縄文人が、集落を維持していく姿勢の表れがストーンサークルや周堤墓ではないか
**集落相互の絆を強めるために、ストーンサークルや周堤墓など大きな土木工事を共同で行い、共同で先祖を祀る
***作業の指揮者や司祭者たちが少し権威を強めていき、次の時代に墓に独占的に物を入れるようになる。本州では、弥生時代の首長へと繋がっていく可能性がある。このような、縄文時代の緩やかな変化の過程を示すもの

⒋北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録と石狩川流域の遺跡
最後に、石狩川の遺跡を3つの流域に分けて紹介する
石狩川は、蛇行をしていた時はおそらく日本一の長流であったろう
(1)石狩川上流域
①大雪山頂の遺跡
・大雪山頂に近い標高2000mほどの高所に、7ッほどの遺跡が知られている
・こんな山の上に縄文人がなぜ登ったのか、不思議である
・鏃などの出土品の一部は、旭川市立の博物館で展示されている
②旭川周辺の遺跡 大きな集落は見当たらない
・神居古潭ストーンサークル
・錦町2遺蹟 河原石を掘り下げた墓(5000年前)
・永山4遺蹟 二列に並んだ墓(3000年前)

(2)石狩川中流域 丘陵地帯に小遺跡が点在
①深川市音江環状列石 
・南北2地区に分かれていて、間に盛土
・墓坑から、副葬品として、ヒスイ、漆塗りの弓、石鏃などみつかる
②芦別市野花南周堤墓群 
・2基の周堤墓
③深川納内3遺跡 
・周辺の河原から集めた石で、磨製石斧を製造 5500~4000年前
④美唄から旧北村にかけての遺跡群 各時期
・川岸に位置する舟を接岸できる場所か
・土器やたくさんの石斧未成品が出土
⑤岩見沢市加茂川遺跡、冷水遺跡 6000年前
・石斧半加工品が多量に出土
*川を往来する人々が立ち寄る場所に集落
石斧をつくる人々の遺跡。深川辺りで採れる石を岩見沢辺りで完成品にした。日高で採れる石もある。作った石斧を次の場所に運び出し、ほかの物と交換するなど、縄文時代の横のつながりを示すものではないか。
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(3)石狩川下流域
①旧石狩湾の時代(復元図)  
・縄文時代前期に海が内陸まで侵入(7000~6000年前)、石狩は海であった。周りの丘陵地帯に遺跡がある
・貝塚が見つかれば、縄文人の足跡が分かるのだが、見つからない!
*札幌は扇状地上に立地。千年前(擦文時代)になると、遡上するサケを狙って、人が集まる。竪穴住居跡のくぼみが沢山残っていた記録がある
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②石狩市紅葉山砂丘49号遺跡  鮭と暮らす人々
・縄文時代中期頃から砂丘の形成、そこに生活した人々の痕跡が見つかる
・砂丘に鮭をせき止める柵を作ったものがそのまま出土
・鮭を叩く棒やタモ、鮭をのせる桶、船から水を汲みだす道具など
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③石狩低地帯(札幌‐苫小牧低地帯)の役割 遺跡の分布から
・石狩川は日本海へ注ぐが、千歳川をたどって太平洋ともつながるルートへつながる
・石狩低地帯周辺の遺跡の分布
馬追丘陵と西側の丘陵沿いにあり、苫小牧へ連なる。
・札幌-苫小牧低地帯は、縄文時代から現代まで、日本海と太平洋を結ぶ大事なルートになっていた

おわりに
 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録が進んでいる。それによって、北海道各地の遺跡が重要であることがわかる材料になると思っている。
 その動きに合わせて、私たちは、各地の遺跡を守っていくことが地域の重要性を訴えることに繋がる。また、世界遺産を応援することにもなる。
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 最後に越田さんは、「世界の縄文文化へ!と書いたが、来年は世界遺産になってほしい。各地の縄文文化、様々な遺跡、アイヌ文化は、現在の北海道へつながる大事な歴史であり、みんなで地域を守って未来へつなげていかなければならない、ということを知っていただく起爆剤になる事が大事であると考えています」と結ばれました。 
今日のお話は、私たちの周りにある遺跡の価値に気付き、世界遺産を身近に感ずることができた素晴らしいお話でした。

 最後に、受講者からのコメントをいくつか紹介します。
「大変楽しくわかりやすいお話、ありがとうございました。一つ一つが魅力ある内容で理解が深まりました。石狩縄文の会のメンバーとして仲間と活動していますので今日の先生のお話は特に楽しみにしていました。世界遺産登録の実現を強く強く願っています!」
「考古学はもっと難しいものと思っていました。人間の知恵はすごい。古代からその時代時代で住みやすく工夫をし、現代に住む私達は快適に暮らしているのですね。嬉々として土器を探している越田先生を想像して楽しくなりました。*コロナ禍で市民カレジを開いて下さって本当にありがとうございます。外に出られて、受講出来て嬉しいです」
「縄文文化、技術の高さに驚きました。はだかで狩猟、採集だけの生きるためだけの生活ではなく、豊かな文化が感じられました。今住んでいる石狩も、6~7000年の歴史の上にあることを再確認しました」
「紅葉山49号遺蹟をもっと大切に、市民や道民に認知してもらいたいと思いました越田先生のお話は大変聞きやすかったです」
「今週と来週、北海道・北東北縄文遺産群を訪ねるツアーに参加する予定で大変参考になりました。登録されると良いですね」
「縄文人の広域的なつながりを良く知ることができました。世界遺産登録順調になるといいですね」




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