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主催講座3『アイヌの側から見た北海道150年』

第3回「共に生きるために、アイヌが語る」

2018/07/01

 平成30年6月14日(木)主催講座3『アイヌの側から見た北海道150年』の第3回「共に生きるために、アイヌが語る」を花川北コミュニティセンターで行いました。今回の講座では、前回お話しいただいた北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の北原モコット(次郎太)さん、それに北海道大学アイヌ・先住民研究センター技術補佐員の橋本隆行さんと北海道大学大学院文学研究科博士後期課程の石原真衣さんが加わって3名の方にお話しいただきました。受講者は63名でした。
写真1 講座風景1.jpg写真2 講座風景2.jpgのサムネール画像
 「ヤウンモシ/蝦夷地」と呼ばれていた地を明治政府が「北海道」と命名してから今年で150年目となります。この150年をどのように見るか、共に生きるためにはどうすれば良いか、今回は3人の講師からそれぞれの思いを語っていただきました。
◆最初に、赤い美しい着物で登場された石原真衣さんからお話しを聞きました。以下は石原さんのお話の概要です。写真3 最初の講師の石原さん.jpg・「北海道150年」という時の中で、置き去りにされている痛みがあります。それはアイヌの人々の痛み、およびアイヌの出自を持ちながらアイヌの歴史や文化あるいは他のアイヌの人たちに対して親近感を持てず、家族ともアイヌの問題について語ることもできず社会の中でたった一人沈黙する「サイレント・アイヌ」の痛みです。
1 アイヌ遺骨との出会い
・2年前の夏、北大医学部裏の納骨堂で何十年も忘れ去られているアイヌの遺骨、特に頭蓋骨に出会った時に感じた「アイヌ遺骨の痛み」は、私自身がアイヌのルーツを持っていることを社会の中で公にしないで生きてきた「私の痛み」と同じものでした。それをきっかけに、当事者として北大で研究を始めることにしました。
2 家族4世代の物語
・2年前に取り組んだ論文が「家族4世代の物語」でした。
・曽祖母は唇の周りに入れ墨をしていて、本町に行く時には頬かぶりで顔を隠して出かけていました。祖母はアイヌのことには触れないようにしていて、和人と結婚しました。母は、文化的に日本人として育ち、人種的にはアイヌと名付けられることで、混乱しました。私自身はアイヌでもない、和人でもない、歴史と現在に存在しない透明人間のようなものでした。私たち家族にとってこの150年は、家族同士のつながりが分断され、アイヌとのつながりも分断された、喪失の歴史でした。
3 和人不在の北海道
・昨年3月にカナダバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学(UBC)に滞在する機会がありました。その大学では様々な原住民族のトーテムポールが立てられ、先住民族の文化が根付いていました。また、先住民のみがアイデンティティを問われるのではなく、非先住民の学生も、自分がその土地においてどういう存在であるのか、自己のルーツを自己紹介の際に語るということが、当たり前にされていました。大学の公式アナウンスでは「我々は譲渡されていない先住民族の地の上に居る」と表明されているなど、私たちが暮らす北海道とはかなり異なる状況であるといえるでしょう。
4 「アイデンティティ」あるいは「社会構造」
・私の自分認識は「アイヌでも和人でもない」というものです。私自身の自己認識は、はっきりしているのですが、人々は私の自己認識を「曖昧だ」とか、「アイデンティティが定まっていない」と言います。
・アメリカにはエルヴィス・プレスリー、アンジェリーナ・ジョリ、キャメロン・ディアスのように先住民のルーツを持つことを公表している有名人がいます。ルーツをもつことと、「先住民であること」はアメリカの場合、別のことです。「多民族国家」アメリカと「単一民族国家」と言われている日本の社会構造も気になるところです。
5 <人間が住む大地(アイヌモシリ)>
・「アイヌ」は、もともと「人間」という意味の言葉です。
・フランツ・ファノン、キング牧師、ガンジー、阿波根昌鴻など私が尊敬する人は、自分達のためではなく人間全体の解放を考えた人たちです。北海道やアイヌの問題を考えることは、人間とは何か、豊かさとは何かを考えることにつながります。
・「アイヌから見た150年」について私が皆さんに伝えたいことは、150年は私にとって喪失の歴史であったということと、今、様々な人々の物語を紡ぐことで、北海道のこれからの未来を創造する可能性が拓かれているということです。
◆2番目に、橋本隆行さんからお話しを聞きました。途中、アイヌの楽器であるトンコリを奏でながら歌うライブ映像を紹介いただきました。大変温かみのある高い声が印象的でした。以下は橋本さんのお話の概要です。写真4 2番目の講師の橋本さん.jpg1. 略歴
・1980年札幌市で生まれ、3歳の時から豊平区に住む。父は旭川出身の和人、母は静内・新冠のアイヌにルーツをもっていました。
・アイヌの血を引いていることは幼い頃から知っていましたが、家庭内ではアイヌのことを全く話しませんでした。小学校3~4年の社会の授業でアイヌのことが出てきましたが、自分自身はアイヌであることをバレないように生きてきたつもりです。
・高校に入った頃から、そんなことを考えても仕方がないと思い、アイヌであることを気にしないで生きてきたつもりです。
・25歳の頃から、自身のことをもっと知るべきだと思い、アイヌに関する社会活動に参加しました。ちょうど、G8洞爺湖サミットに合わせてアイヌ民族が主催する「先住民族サミット」が開かれることになり、ボランティアとして関わりました。
・現在は、北海道大学アイヌ・先住民研究センターで技術補佐員として勤務する傍、学生時代から行ってきた音楽活動にアイヌの楽器(トンコリ)を取り入れ、ライブに出るなどして活動しています。
2. 自身のルーツ150年を振り返る
・曾祖父や曾祖母のことを何も知らなかったので、母や姉あるいは叔母などに聞きましたが、何も分かりませんでした。それがきっかけとなり、家系図づくりに取り組みました。親戚からの聞き取り、町役場の除籍謄本や道立文書館および新冠郷土資料館の資料調査など、大変な作業でしたが、曾祖父や曾祖母の名前や住んでいた場所などを少しずつ明らかにして行きました。道立文書館に、旧土人保護法にもとづく給与地を誰それに与えたという記録が残されており、大変参考になりました。
・調査の結果、明治から大正にかけて親族一同が6回ほども移住したという厳しい現実も知ることができました。 
3.ここで話をするに至るまで
・今年の正月、母や兄弟に今回ここで話して良いか相談しました。半年くらい経って強い反対がなかったので、結果的に話して良いだろうと判断しました。母は私の調査結果を聞いて、自分の祖父や祖母の名前を始めて知ったと言っていました。
・誰にとっての150年なのか、150年は和人だけのものではないことを伝えたい。自分の祖父や祖母たちが非常に苦労してきた現実を忘れないで欲しいと思います。
◆3番目の語り手として、アイヌの民族衣装を着た北原モコットさんからお話を聞きました。お話の途中で楽器を片手に渋い声で歌われた民謡は大変素晴らしいものでした。写真5 3番目の講師の北原さん.jpg1.私の望むことー近年の取り組み
・アイヌについて話しをしていると、しばしば「これからのアイヌはどうしたいのだ」「あなたは何を望んでいますか?」と聞かれることがあります。アイヌ全体のことは一概に語れませんが、私は「アイヌとして生きたい」と答えます。それは、私の場合で言えば「アイヌ語を使って子供を育て、日常生活を送りたい」ということや、日本に埋没してしまうのではなく、自分の民族性を色々な所で明示したいということです。たとえば「JAPANではなくAINUと書いたパスポートを持ちたい、等々」ということです。いずれも、日本社会がそれを承認する社会に変化することが前提となります。
アイヌとして生きる、とは私が唐突に思いついたことではありません。母はもちろん、母方の祖父母の人生を振り返ってみても、祖父は宗教儀礼などを身に付けることに熱心でしたし、祖母は家の中でも外でも一切アイヌであることを口にしない人でしたが、様々なエピソードや、私がアイヌ文化を学ぶことを熱烈に応援してくれたことから、内心にそういう気持ちを抱いていたのだろうと感じます。そうした祖父母の思いを私なりに受け継ぎ、実現したいということです。
・このうちアイヌ語の普及に関して近年取り組んでいることからお話を始めたいと思います。これまでは、たとえばアイヌ民族文化財団などが行うアイヌ文化展示における挨拶文や解説のアイヌ語表記、宗教儀礼の実施などにおいてアイヌ語を用いること、等に取り組んできました。
・ただ、これはまだ限定的な取り組みなので、もっと日常の中にアイヌ語を取り入れたい。たとえば、公共交通機関へのアイヌ語アナウンス導入を実現したいと考えています(道南バスでは一部区間で車内アナウンス実施済み、来年から地下鉄南北線さっぽろ駅でも実施予定)。
・伝統的なアイヌの歌に加え、童謡やポップス、民謡等をアイヌ語で歌い、アイヌ語を覚えるきっかけとなるよう、教材化を試みています。
2.周囲の反応
・反応は大きく分けて、好意的で否定はしない(A)と否定的(B)があります。Aの反応は社会的地位の高い人に多く、それ以外の人はBの反応です。
・Bの反応では「みんな同じでいいじゃないか、アイヌも和人と同じルールでいいのじゃないか、波風を立てるな、日本を分断する気か」などの意見がありますが、これは単一の価値観の強要です。また、「何が不満だ、今は差別なんか無いだろう」という意見もありますが、これは不当な扱いへの申し立てを抑圧するものです。こうした物言い自体が、マイノリティにとっての攻撃を含んでいます。
・「アイヌ語は死語じゃないか~」といったもの。「アイヌ語使用にメリットがない」「誰も話してないじゃないか」「アイヌにとっても負担だ(アイヌ語を覚えるのは大変だろう)」「現代生活を表現できるのか」という声もありますが、これは可能性を摘み取り、復興を阻害する物言いです。現在のアイヌにとって、アイヌ語を習得することが労力を要することは事実です。しかし、アイヌ語復興の努力をアイヌだけに求めるのではなく、日本の政策や社会構造によって生じた課題ととらえ、日本社会全体がバックアップすれば、アイヌの負担を大幅に軽減することができるでしょう。
・もうアイヌはいないじゃないか~「ずっと北海道にいるが会ったことがない」という意見もあります。これは例えばLGBTの場合でも同じような意見を聞きます。これは私の実際の経験ですが、LGBTについての話題が出ると「LGBTに会ったことがない」という反応が返ってくる。つまり「そんな取り組みを検討する必要性はあるのか」ということです。しかし、自分が気付かないことと「いない」ことは同義ではありません。
民族性、性的志向、軽度の精神障害や難病、内臓疾患など、多くの場合、マイノリティが自身の属性を表明することは、それに対する差別や偏見にさらされるリスクを覚悟することになります。そこには、マジョリティの想像をはるかに超えた大きなプレッシャーがあります。社会の無理解に対し、その状況を変えようとする強い意志や相手に対する信頼が無ければ、表明しないことの方が普通です。マジョリティの中には「誇りがあるなら堂々と名乗れ、名乗らないのは誇りが無いからだ」などと軽々におっしゃる方がいます。これは、当事者の立場についての想像力が足りないのではないか、こういうことをおっしゃる方に対して自分の属性を表明することは危険だと感じる当事者も多いでしょう。つまり、マイノリティが名乗り出ない社会とは、それだけマイノリティから信頼されていないということです。
・「お前は混血じゃないか、純粋じゃないじゃないか~」。こうした物言いは多くの場合、ルーツが複数あるという事実の指摘ではなく、「民族性を主張する資格が無い」ということを含意しています。地球上に、他の人間集団と接触を持たない民族などいません。ですから「混血」していない人間などいません。様々な人間集団が接触を繰り返しながらも、「われわれ」「あの人々」といった自他の意識を形作ってきたのです。また、植民地では、支配者と被支配者が否応なく接触しながらも、被支配者に区分された者は蔑視と排除を受け続けるという特殊な状況が生まれます。「混血」云々といった物言いは、そうした歴史的経緯を無視したもので、蔑視・排除を無くそうとするのではなく、抗議する者の足元をすくおうとする、極めて傲慢で卑劣な態度です。こうした言説を発する人ほど、一方でマイノリティのネガティブな差異を強調し、排他的な態度を取ることも特徴的です。
・「もう日本化・同化してるじゃないか~」というもの。これも不思議な主張です。文化研究をしていると、地域・民族の境界を越えて広まっている文化・慣習が実に多い事に気づきます。客観的に見れば、同じ文化を共有しているのに、当事者はそれぞれ別個の民族意識を持っているというのは、ごく普通のことです。和人社会に置き換えてみれば、仏教徒が多く、名前を漢字で書く人が大半を占めている。もう1000年以上もそうですね。では「和人は存在しない、日本にくらしているのは半分インド人、半分中国人の集団だ」と言われて納得するだろうか。このように考えて見れば、いかにおかしな主張かということがすぐにわかります。「混血」云々と同じく、排除しつつ抗議を封じる卑劣な手法です。
・「なんで民謡なのか(アイヌらしくしろ)~」というもの。これはアイヌからもある反応です。言ってみれば「(世間が考える)アイヌらしさの押し付け」です。そうした他者から見た「アイヌらしさ」を、アイヌ自身も内面化してしまうことがあります。
3. 素朴な存在否認―意識のギャップはどこから?
・上で紹介したものとは別に、必ずしも悪意を含まない、非常に素朴な「会ったことがない」「聞いたことがない」「いないと思う」という声があります。これは、いつの間にか作られた意識ですが、当事者の意識とは大きくかい離しています。こうしたギャップを生むものは、1つには抑圧によるアイヌの不可視化です。先のお二人の話にもあったように、外見や言葉、習慣など民族性を識別されるあらゆる要素が差別の対象となり、アイヌ自身がそれらを消そうとして来た歴史があります。こうして「誰がアイヌか」が見えなくなっているのです。マイノリティにとっては抑圧と緊張をともなう状況ですが、マジョリティはそのことを意識しないで済む。
また、アイヌが消滅したと語ること、アイヌのことを過去形で語ることも、アイヌの存在を見えなくしている一因です。
・行政史、教科書、小説、公職者の談話および最近のテレビドラマなどで、入植者の苦労(だけ)を描く物語があります。その苦労が語られることは否定しませんが、その語りの中にアイヌが出てくることはありません。「いない」とは明言しなくとも、いっさい触れないことは、間接的な存在否定になります。日本は近代に入ってアイヌと琉球を取り込み、多民族国家になりました。国の有り方が大きく変わったのです。その認識を欠いた独りよがりな歴史観が、メディアによって再生産されることによって、マイノリティは更に周縁化されることになるのです。
・「アイヌから見た北海道150年」は、和人による「取り込み」と「主体性の剥奪」が進んだ時代でした。アイヌ文化の価値が、存在そのものが否認され、社会への参加が拒まれ、納税や兵役は課されるにも関わらず社会への貢献が低く評価されてきた。そうした状況に抗して社会への参加、地位向上、貢献をしつつ異議申し立てしてきました。
4.再び訪れた危機―再忘却、現状肯定・免責のための選択的想起
・北海道150年に合わせて、メディアでは再び「開拓」物語が多く流されていますが、入植者の物語にはアイヌは一切現れません。
・アイヌは、入植者の物語とは切り離した形で「過去の悲劇・美談化」される傾向があります。これは、アイヌの完全な否認から、部分的想起に手法を変えたとみることができます。たとえば松浦武四郎など、幕末・明治初期の和人の幾人かを、アイヌを「人間的に扱った」ヒューマニストとして取り上げる事がよく行われます。彼らに注目することで、アイヌの存在・歴史に触れつつも、それを「過去の悲劇」とし、その「救済」に当たった和人にフォーカスすることで、視聴者は「良い和人もいた・悪い事ばかりではなかった」と感じることができます。「ではその結果、150年経ってみてアイヌはどうなったのか」ということから目がそれてしまうのではないでしょうか。こうした物語のコワイところは、和人だけでなくアイヌにとっても気持ちが軽くなる効果があることでしょう。不正義を見つめ、それに抗議することは、抗議する側にとっても強いストレスがかかることなので。
・同じように「国防」「近代化」「保護」による「恩恵」を強調し、「ロシアから守った」、「アイヌも豊かになった」と言われることがあります。アイヌ自身の自律的な近代化の可能性を否定してみせる、侮蔑的な発言です。同じような論理は、アメリカでの奴隷制を正当化する主張にも現れました。「文明人が未開人を導く」という植民地主義的な論理が問題なのです。
さきごろ、歴史教科書における「アイヌに土地を与えた」という表現が問題になりました。これも歴史の一部を恣意的に切り取ったものです。土地「給与」の前提としてアイヌの土地・資源利用を否定し、わずかな土地を再分配したに過ぎません。このように、歴史を部分的選択的に想起することで、マジョリティにとっては肯定的な歴史を描けるでしょうが、それは現実にある多くの課題から目をそらすことにしかなりません。
・アイヌについての報道などで「私たち(和人)も彼ら(アイヌ)に学ぼう」という表現が多用されます。一見肯定的なこうした表現の背後には無意識の「上から目線」がひそんでいますが、問題はそれだけではありません。国が進める「民族共生」を実現するためには、「私たち」の社会が様々な違いを持った人々によって構成されていることを認識することが必須です。ところが「私たちも彼等に学ぼう」というメッセージは、マジョリティからマジョリティ(だけ)に向けられたものであり、こうした言葉を発した瞬間に、マイノリティはふたたびカヤの外に置かれることになります。つまり、社会の多様性を知らせるはずの発信が「マジョリティを中心とした社会」を改めて認識させ強化してしまっているのです。これは民族「共生」とは真逆の方向性ではないでしょうか。この観点に立てば行政やアイヌ文化財団などが好んで使用してきた「アイヌの人びととともに」や「アイヌの人びとを理解するために」といった文言も軒並みアウトです。この矛盾から脱するためには、特定の立場を中心化する発想・言説そのものを根本的に見直す必要があります。中心化によって周縁化も起こるからです。
5.おわりに
・特定の立場を中心化しない歴史の語りを期待したい。北海道150年を振り返ることによって多くの苦労が語られると思うが、そこには当然アイヌが出てくるべきです。
・歴史に「もしも」を言ってもよい~ 歴史を現状追認のためではなく、未来をどう考えるか、未来を変えて行くために想起する方法として「あのときこうなっていたら」と考えてみることは大いに有効です。

最後に、受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。
・今までにアイヌの話は聞きましたが、今回は感動した。
・実際にアイヌの方々の生々しい話が聞けて良かった。和人との関係を正しく見つめ、考え直すことが必要と思った。
・アイヌの子孫の方たちの当テーマに関する率直な意見をうかがったことは素晴らしかった。普通は聞くことができないと思う。
・全3回を聴取させていただきましたが、今回が特に良かったと思います。和人がいかにアイヌ人の存在を消してきたかを、市民図書館の「アイヌの近現代史」と併せてよく分かりました。
・大変良かったです。石原さん、橋本さんの話、新鮮で驚きです。少し胸がつまされました。アイヌのことについては無理解より、知らないことが多かったです。私自身が少し成長したような気がします。有難うございました。北原さんの話には怒りを感じました。理解できます。
・アメリカインディアンを排除してきた社会構造と似ている。自分のルーツを語れない差別の社会構造は恐ろしい。無知であることと差別は同義語かもしれない。旧土人法は悪法で差別の始まりで、和人も大陸から来た混血で決して単一民族ではない。島国根性が多民族の多様性に対応できないのではないか?自戒したい。




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