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講座3『アイヌの側から見た北海道150年』

第2回「今日に受け継がれてきたアイヌ文化」

2018/06/27

 平成30年6月7日(木)講座3『アイヌの側から見た北海道150年』の第2回「今日に受け継がれてきたアイヌ文化」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の北原次郎太さん、受講者は59名でした。
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 「蝦夷地」と呼ばれていた地を明治政府が「北海道」と命名してから今年で150年目となります。この間の厳しい生活の中でも受け継がれてきた貴重なアイヌ文化があります。争いを "力"ではなく"論争"で戦い、周りの人間の判定によって決着をつけるという極めて平和的な文化(チャランケ)など、アイヌの人々は多くの優れた文化を有していますので、第2回目には「今日に受け継がれてきたアイヌ文化」を北原さんからお聞きすることになりました。
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以下は北原さんのお話の概要です。
1.はじめに
1−1 自己紹介 研究テーマ・ルーツ
・私には親からもらった「北原次郎太」という名と27歳の時に北大の先生につけてもらった「北原モコット」というアイヌ名がある。かつてアイヌ社会では5歳頃になると、その子の性格や前途への期待によってアイヌ名をつけるが、私の場合の「モコット」とは「すぐ寝る」という意味の名前である。祖母は樺太アイヌで、もちろんアイヌ名を持っていた。
・東京で生まれて埼玉で育ったが、4歳の時から自分がアイヌであることを知り、小さい時から毎月参加していた関東ウタリ会の定例会での話や祖母の話などからアイヌについてもっと知りたくなった。特に宗教文化への関心が強まって行った。
・大学生の時に北海学園大学の藤村久和先生から、先生の住居がある厚田においてアイヌの宗教儀礼を実地で学ぶ機会があった。4年がたったころ、先生から「宗教儀礼でも樺太と北海道では違うよ」と言われ、樺太アイヌについて研究することになった。さらに、豊川重雄さん(元ウタリ協会会長、石狩アイヌの長老であった豊川アンノランの孫)からも話を聞く機会があり、狩猟の体験や彫刻の名手として知られた先人のことを聞いた。
・2010年から北海道大学アイヌ・先住民研究センターに勤務し、宗教人類学をテーマとして研究を行っている。主には「アイヌの宗教儀礼のあり方」について研究をしている。
1―2 近代以前のアイヌ民族の居住地〜アイヌ文化の多様性
・樺太南部、千島、北海道、北東北をみても、地域毎に暮らしや言葉まで違う場合が多く、アイヌ文化には多様性が見られる。
・アイヌの祭具のひとつである「イナウ」をとってみても、火の神、海の神、山の神、守護神、太陽神に捧げるイナウは樺太西海岸多蘭泊、樺太東海岸新問・小田寒周辺で、それぞれ違うものが用いられていた。
・北海道の中でも地図上の青い五つの地域で異なるイナウを使っていた(北海道地図参照)。墓の形にも地域による多様性が見られる。
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・言葉でも地域によって異なる。例えば、「行く、でかける」という単語は地域によって以下の二つのアイヌ語が用いられている。
 アパ(沙流、鵡川、千歳)
 オマン(樺太、千島、北海道の上記以外の地域)
・文化神、創造神は人の姿をしたカムイ。日本には「愚兄賢弟」や隣の爺型の昔話があり、アイヌにも「オキクミ」と「サマユンク」という2人の男性が登場する説話群がある。2人のうち、どちらを優れた者として描くかが、北海道の西と東の地域で全く逆転する。境目は様似/帯広と有珠/虻田の付近。

2.石狩アイヌの文化
2−1.言葉
・あまり文献がないが石狩川流域の方言に近いといわれている。
・「みなさん元気でしたか」のアイヌ語は地域によって異なる言葉が使われている。
  石狩:「トテノ エオカイ ヤ」
  沙流:「イワンケノ エチオカ ヤ」
 「トテ」は「元気」、「ノ」は「で」、「エ」は「君たちが」、「オカイ」は「くらす」、「ヤ」は「か?」の意味である。
・「風邪をひかないでね」はアイヌ語では
  石狩:「エチキ オケカ ヤ」
  沙流:「イテキ オケカ ヤン」
「エチキ」は禁止の表現で「~するな」という意味である。アイヌ語では文の前方の語句で否定か、肯定かすぐ分かる。
2−2 衣食住など
・日本の労働着に似ており、装飾のしかたに特徴がある。なお、渦巻きや刺などの特徴的なアイヌ文様は魔除けであると言われているが、これは間違いである。
文様は装飾であり、創意を込めて美を表現するものである。
・開拓使仮学校の生徒が、男女別に写された2枚の写真が残っていてアイヌの衣服を知ることができる。ただ、写真を良く見ると、男女がそれぞれ着物を着まわしていることがわかる。おそらく、普段の姿そのままというよりは「アイヌらしさ」を強調しやすいよう、特に目立つ文様の着物をそろえたのではないか。屋内での集合写真でありながら、弓や矢を持って写っている人がいるが、これもアイヌが狩猟民族であることを強調したものと思われる。これと別に、同じ人々が散髪し髯を剃り、洋装に身を包んだ写真もあり、両者は対になっている。おそらくは、開拓使の教育により、生徒たちが「開化」したことを示そうとしたのだろう。このように、アイヌを写した写真には、作成者の意図が入り込んでいることが多く、史料批判抜きに参照することはできないが、そこに写っている1つ1つの着物などは確かにそこにあったものであり、部分的には参考になる。
◆高倉新一郎が書いた「能登酉雄談話」という石狩アイヌの短い民族誌がある。能登は明治6年に花畔(パナンクル)で生まれたアイヌで、父イワウテと母ウテモンカは開拓使仮学校で学び、母方祖父は茨戸の首長であった。
以下に能登が語ったことについて述べる。
・昔、石狩に洪水があった。洪水を逃れた人々が元村、発寒、偕楽園付近に移り、集落ができた。そこから河口に戻った人々が茨戸アイヌである。
・狩猟について「馬に乗って『石狩25条から元村』にかけての泥炭地にシカを追い込んでとった。カマヤウシの鉄橋は、当別からくるシカの通り道。仕掛け弓で獲る」とある。
・漁労については「ウグヒ釣をして鱈の餌に売っても一秋に百円や百五十円になったものだ」、あるいは「鮭は『マレップ』『四十間位のシナ網』でとった。(中略)取れた鮭は弁財船と交換した」とある。
 アイヌについての教育では「アイヌは網は用いない」などと教えられることもあるが、それが思い込みであることは、こうした資料からも知ることができる。
・農耕については「女性が行った。笹を刈って辺りの木ごと火をつけ、アワ、豆などをまいた」と、焼き畑農業のようなものであった。もみ殻や糠は家の裏のムクタヌサ(農耕の祭壇)に捨てた。
・チャランケについても語っている。「習慣に背くとチャランケ(論争)が起こる。立ち合いがつき、向かい合って節をつけて、色々と故事来歴を引いて論じ、相手も反論する」、「言葉が一つ違っても負ける。大きなチャランケになると沙流など遠くから立会人を呼んできた」とある。石狩にはイソカイカイというチャランケに強い人がいた。イソカイカイは猟に秀で、石狩に日本風の家を建て、北海道一のチャランケクルと言われた。ほか数名の名がある。
2−3.信仰
・屋内の祭壇・イナウには家の守護神、火の神、入口の神(エンジュのイナウ)などがある。屋外の祭壇としてはフクロウの神がある。その他、エンガルシュペ(インカルペ今の藻岩山)やタンネウェンシ(手稲山横の長い山)、アソイワ(当別の山)などを霊山として祀った。
・文学としては、ユカラ(英雄詞曲)に登場する様々な英雄の名が記されている。

3.おわりに
 往時の石狩のアイヌ文化を知る資料はほとんど残っていない。今は自然と人間が離れていて、もちろん狩などもしないので、必ずしも古いアイヌ文化のすべてを生活に取り戻そうということではない。しかし、復活できるものはできるだけ残し、後の時代につないで行きたい。自分の子どもはアイヌ語で育てたいと思っている。

 最後に、4月1日から日高の平取町でバスの車内放送がアイヌ語ででも行われるようになったとのテレビニュースを映して紹介され、講座は終了しました。
以下に、受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します
・アイヌ文化の多様性を改めて認識できた。
・アイヌ文化の一端を知ることができました。文字がなくても口承で伝統を継承していたことは驚きである。
・アイヌ文化にはいろいろな説があり、奥が深くてとっても興味がわいてきました。石狩市内のアイヌ文化遺産を訪ねてみたい。
・大変おもしろく、興味深くお話を聞きました。神との関係、祈りの形、人は祈り、神を持ちたいものだ〜ということが年齢を重ねるごとに感じられるようになりました。アイヌの精神性に大変心惹かれる思いです。楽しい時間でした。「能登酉雄談話」読みたいです!チャランケ、おもしろいですね!
・アイヌ語の持つ深い意味と、それに関わるアイヌの方々の文化意識の高さがわかりました。樺太アイヌと石狩アイヌの似ているようでかなり異なる文化は面白いと思った。もう少し詳しく学んで見たいものです。ありがとうございました。スタッフの皆さんにも感謝です。




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