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主催講座13「続・北海道150年物語」

第3回「北海道の石炭産業の歩み」

2018/01/10

 12月14日(木)主催講座13「続・北海道150年物語」の第3回「北海道の石炭産業の歩み」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、札幌国際大学観光学部教授の吉岡宏隆さん、受講者は48名でした。
講義では、北海道の石炭産業の始まりから北海道の発展に関わってきた歩みを話されました。
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◆はじめに
 今回の講座は、漁業、農業ときて、次に石炭産業となっている。これは関連があって、最初海側から開発が進んでいき、明治になって本格的に内陸部が拓かれていく。そのトップバッターとして石炭産業がある。炭鉱というのは、輸送業ともいわれており、掘るのが半分運ぶのが半分である。
 私のいた三笠の北炭幌内炭鉱は、最盛期150万トンの石炭を産出していた。150万トンの石炭を掘るためには、岩石が混じっているので坑内から250万トンをあげてこなければならない。これを地上で石炭と岩石に分け、港まで運ぶ。
石炭を掘るのが石炭産業というイメージがあるが、運ぶのも大事で、幌内炭鉱は明治12年に開鉱して、明治15年には日本で三番目の鉄道を小樽まで敷いた。これは石炭を運ぶ鉄道であったが、北海道に入ってくる人たちを運んだり、農地を開拓してできた農産物を運んだ。
この炭鉱鉄道をベースにして北海道全体に鉄道が延びていき、開拓していった。明治の初めの頃は、沿岸部だけで北海道の人口の9割を占めていた。農地開発が出来ていったのも鉄道が延びていったからで、ベースになったのは炭鉱の鉄道だった。漁業、農業、石炭産業の三つは、北海道の開拓にとって関わりのある産業であった。
 今日は、石炭産業のスタートから衰退までについて話したいと思います。

◆今日の近代化に石炭産業が大きな役割
・石炭産業は、我々の今日の暮らしに近代化という影響を与えている。
・19世紀は農業の社会、20世紀は工業社会。
~石炭産業は、工業社会を実現するために非常に大きな役割を果たした。
・近代化は生産性が飛躍的にスピードアップしていった時代。
~たとえば、東京―大阪間の所要時間も江戸時代は東海道53次で300時間。明治22年の東海道本線が20時間。東海道新幹線ではわずか2時間。
・世界の人口を見ても大きく伸びてきた。
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・この時代に何があったのか。
~一つは産業革命。もう一つは市民革命。
~この革命あたりから人口がぐーんと伸びてきた。
~産業革命をもたらしたのがまさに石炭産業であった。
・北海道の人口もこの時期のわずか100年の間に5万人から500万人へとなった。
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・もう一つの伸びは、戦後の引き揚げ時。
~食料が比較的豊富だった北海道に入植した。
・明治と戦後の時代に北海道が大きく伸びているが、その中心が石炭産業だった。
~日本全体が千何百年以上かけてやったことを、北海道は100年かけてやった。
・九州地方の炭鉱は、筑豊炭田にみるようにいくつかの藩のあったところに燃える火の山が見つかった。
・北海道の場合は町があって炭鉱が出来たのではなく、炭鉱が出来て町が出来た。他とは順番が逆。

◆北海道の最初の炭鉱は北炭
・一番最初に炭鉱を開発したのは、北海道炭鉱汽船、北炭である。
・今日参加している皆さんもまた北炭の恩恵を被っている。
~道産子ワイドを放送しているSTVは北炭が作ったテレビ局。
~星のマークの付いた北星ハイヤーは北炭の子会社。
~グランドホテル、パークホテルも前の北炭観光開発。
~当時の札幌神社、今の北海道神宮が倒産したときにその神社森を買ったのが北炭。
~北海道中央バスが東急に買収されそうになった時、その全株を買い取ったのが北炭。
※このようにこの会社は北海道の随所に影響を及ぼしている。
・3、000メートル滑走路2本を持つ新千歳空港は、わずか6年で出来た。同じような時期に空港を作っていたのが関西空港で、滑走路が500メートル長いが、新千歳空港が600億円で全部出来たのに関空は2兆円かけてまだ出来ていない。
~これらは炭鉱のあったおかげで出来たことです。
・北海道で最初に石炭が見つかったのは釧路白糠で、アイヌの人が舟をこいでいたら崖に縞々が入っている。これが白糠の石炭。
・積丹の泊村に茅沼炭鉱が拓かれているが、函館まで運んでこれず函館周辺の木を切っていく。
・ちょうどこの頃の明治元年に、三笠の炭鉱が発見された。こんなに良い石炭はないと明治12年に官営幌内炭鉱が開鉱された。
・炭鉱が拓かれる前にはいろんな人が来ている。道もない、鉄道も無いのに伊藤博文、山県有朋、寺島宗典が来ている。

◆石炭産業が鉄道を作る
・石炭産業は掘るのが半分、運ぶのが半分。それを運ぶため、明治15年に幌内鉄道を作る。これには、アメリカの技師クロフォードが雇われてくる。
~開拓史によると、金が無く小樽まで敷けないと考えられていたが、クロフォードは当初予算より低い予算で作った。明治22年に北炭に払い下げられる。
~さらに北炭の手で夕張や歌志内に炭鉱が開発される。
・今まで小樽から三笠までの鉄道だったのが、南北に鉄道ができ、さらに室蘭に鉄道が延長され東西南北が出来る。
・この交点にあったのが岩見沢。
~真ん中にあることにより鉄道は急速に伸びていった。
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・国の重要文化財になっている幌内炭鉱。
~国営時代の機関庫は今も小樽にある。
・日露戦争を期に全国各地でばらばらにあった私鉄が軍事輸送に障害になったとのことで国有化される。
~鉄道がなくなり北海道炭鉱鉄道は室蘭に本拠地を移して船に進出し、社名も北海道炭鉱鉄道汽船となる。

◆炭鉱の変遷
・明治の終わり頃から炭鉱の変遷を見ると、岩見沢から北炭、幌内、幾春別、さらに夕張、歌志内と連なる。炭鉱も北炭、鉄道も北炭と他の会社が入ってくる余地がない。
・鉄道が国有化されることにより、三井、三菱などの他の財閥も入ってくる。
・戦後、スクラップビルドが始まり、能率の悪い炭鉱を淘汰し、能率の良いところに投資していこうと、三つのエリアに分かれていく。
一のエリアは、一般炭の産出でこれは蒸気機関車、家庭炭、発電に使う。
二のエリアは、夕張等で、コークスやガスを作る原料炭。
三のエリアは、一般炭と原料炭。
・ここの原料炭は非常に質が良く、夕張産は東京ガスと長期独占契約を結ぶ。
・一般炭と原料炭は炭層がたくさんあり、炭層も緩く掘りやすく、ここを掘って、またここを掘ってと場所がどんどん移っていく。
・一方北の方のエリアは炭層が急で層の枚数も多く、掘るのにも時間がかかる。だからこちらの方は狭い鉱区に町も集まっている。
・傾斜の緩い炭層では、機械で掘る。急なところは機械化できずワンチーム20名位で炭層に足場を組み、エアードリルで穴を開け発破で崩していった。結局こういうところが残った。
・現在日本には200億トンくらいの石炭がある。このうちの半分は北海道にある。
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・日本は今でも年間2億トンくらい石炭を輸入している。ついこの間までは世界で一番の石炭輸入国だった。今は、中国が一番の輸入国。
・北海道の鉱区、石炭を掘る権利は、①北炭が夕張、三笠、赤平といいところを、②三井もそれなりのところを広く押さえている、③三菱はピンポイントでいいところを持っている。このように三井、三菱、住友は日本の財閥起源となっている。三井は官営の三池炭鉱の払い下げ、三菱は高島炭鉱、住友は四国新居浜の別子銅山も持っている。

◆北海道の炭鉱
・北海道の特色は、60年代にもうひとがんばりあった。海外炭とか石油に競争できるのではないかとスクラップアンドビルドをやる。
・主な内容は、掘るところの機械化と運搬の合理化。
~立て坑までまっすぐに掘っていき、まっすぐ揚げる。
~住友奔別(ぽんべつ)炭鉱の立て坑は、ドイツの技術を取り入れ深さ735m、スカイツリーより深い。
・炭鉱の能率というのは、一人あたり一月何トン出すかだ。戦後の復興の頃は10~15トン。合理化をはかったら60トンくらいになった。最終的には200トン。それでもだめだった。
・同じ価値観で同じところを突き詰めていっても行き着くところはだめだ。
~一番良い例が常磐炭鉱。条件の悪い炭鉱で、石炭1トン掘るのに50トンのお湯が出る。それではこのお湯を使おうと常磐ハワイアンセンターを作った。
・北海道は、60年代何とかなるだろうと立て坑を作って能率を上げた。1年ごとにワンレベル深くしていった。
~深くなるとどうなるか。暑くなる。暑くなるとどうなるか。皆辞めていった。札幌は、オリンピックもあり、人口が大爆発して、公共工事、土木工事と、仕事がいくらでもあった。こんな暑くて危険なところにいるより,こっちの方が良いと辞めていった。
・結局10年間頑張るがだめだった。空知の農業地帯と都市の人口はあまり変わらなかったが、炭鉱町の人口は1/5に減ってしまった。
・一番近代化としてスタートしたのが、明治12年の幌内炭鉱。
~室蘭の輪西製鉄所の操業が1909年。ここは50年かかっているが、幌内炭鉱は倍のスピードで行ってきた。

◆終わりに
・最後に過去と未来があって、すでにある資産とか思いを将来に残す。文化財的な発想で歴史を学ぶという意味はここにあるのではないか。
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・未来で必要になってくるだろうことをもう一度過去の中に見つけていく。
・暗い暗い部分だけやってきて炭鉱と言うのではなく、明るい部分と暗い部分の両方あっての炭鉱である。
・違った価値観の人が出会っていくとそこにチャンスが生まれてくる。中の人と外の人を結びつけていく場を作り、動きを起こしていくのが私たちNPOの取り組みですと、吉岡さん結ばれました。

 主催講座13「続・北海道150年物語」の3回シリーズ。漁業、農業と今回は「北海道の石炭産業の歩み」でした。北海道の中心の産業の歩み。北海道に住んでいても、それぞれの歩みは理解できていなかった。
今回の石炭の歩みでは、鉱山を単に掘るだけでなく、"運ぶ"仕事が内陸部の発展に貢献してきたことがよくわかりました。
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 今回の受講者の皆さんも関心を持って講義を聞き入っていました。感想にもよく現れていました。以下にその主なものを紹介します。

・空知を中心にした石炭産業が北海道の開拓に道路網、鉄道網に影響を及ぼし道内の開拓(農業や人口増加)に大きく影響を与えたことを良く知った。また薩摩藩が関わっていることを知り、勉強になった。
・海岸から北海道が開拓され、石炭産業が出来て町が出来た歴史を知り楽しい時間を過ごすことが出来、大変勉強になりました。人物等も学んで良かったです。北海道にかかわりの人物をもっと詳しく知りたいです。
・大変わかりやすい内容でした。有難うございます。(アンコールで再講義を!!)出来れば参考図書を教えて下さい(入門書) 写真、イラスト、グラフ、図表等があれば幸いです。
・長年北海道に住んでいながら、北海道の事を知らなさ過ぎました。吉岡先生の講義はウイットにとんで、とても分かりやすく楽しかったです。時間が短いのが残念でした。北海道150年を期にもっと勉強してみたいと思います。
・昭和20年代の炭鉱経営に関わっていた父のことを思い出しながら歴史を振り返っていました。先生の話し方が上手なのに感動しました。
・漁業、農業、石炭産業と学んできて、色々と知る事が出来た。今回の吉岡先生のお話は歴史上の人々のつながりを教えてくれた。豊洲市場のベンゼンが夕張の石炭が原因とはびっくりだ。





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