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講座2 「北の人物伝Ⅰ~北海道の歴史を彩った人々~」

第1回 「知里真志保のアイヌ学~内なる他者と当事者性~」

2015/04/30

 4月24日(金)講座2「北の人物伝Ⅰ~北海道の歴史を彩った人々~」の第1回「知里真志保のアイヌ学~内なる他者と当事者性~」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授 加藤 博文さん、受講者は58名でした。

 加藤さんは「みなさんこんにちは。過去、アイヌの人達に対しては伝統的な文化や言葉を排する同化政策が取られてきました。しかし今は、それぞれの民族の人達がお互いに文化的多様性を持ちながら共存すべきだと云う考え方に変わってきました。そこで、過去の研究とは一線を画して、文化的多様性と云う面に力を入れて研究し北海道の文化の創造に寄与しようと云う目的で作られたのが北海道大学アイヌ・先住民研究センターです」
「本日は知里真志保について、彼が研究者になるまでの前半期に焦点を当てて、彼が抱えていた内面的な問題や彼を研究に向かわせたエネルギーはどこに起因するのかをみなさんと一緒に考えていきたいと思います。併せてアイヌ民族や文化のありかたに対する考え方のヒントになればと思っています」と言ってお話を始められました。
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 以下は本日のお話の概要です。

1.家族
姉幸恵、伯母金成マツの存在により知里家は多くの研究者に注目されていた。

2.中学での処女作デビュー
室蘭中学に在籍中、英語教師榎俊三郎の勧めで「山の刀禰 濱の刀禰物語」をまとめた(『民族』第二巻に掲載)
この頃の真志保に対する研究者の期待
・金田一京助
「アイヌ研究は、アイヌの人が自ら著作しなければ進展しない」と云う持論から、真志保に、亡くなった知里幸恵に代わる伝承者としての役割を期待した。
・喜田貞吉
「アイヌ語を勉強する人が欲しい」と真志保に期待をかけたが、父親に断られた。
◆真志保は伝承者としての役割を期待された

3.東京時代(金田一の援助)
(1)一高時代の状況
・下宿生活でアイヌへの差別的なまなざしを経験
・アイヌをとりまく社会状況
北海道アイヌ協会設立、近文アイヌ地問題など。
これらの事などから、自分がアイヌであることを否応なく意識せざるを得なかった。
(2)1933(昭和5)年東京帝国大学文学部英文科入学⇒その後、言語学科へ移る。
雑誌『ドルメン』誌上での高倉新一郎の評価・・アイヌ自身の研究者として期待。
しかし、真志保自身は英語が得意で英文学を志す気持ちもあった。
◆この頃は、アイヌの説話を紹介する役割を務めた
(3)真志保にとっての転換期
深瀬春一による「ウェンベ・ブリ」―真志保の祖母の葬式の見聞記。
非常に不正確な記述で、真志保は反駁し、やはりアイヌの文化を評価出来る人間が正確な事を書かなければならないと云う思いを強くした。
「云われなき差別と同化政策の中で『古びた伝統の衣を脱ぎ捨てて、着々と新しい文化の摂取に努めつつある』アイヌの人々を、研究者やジャーナリズムが野蛮性や未開性を助長し、差別を再生産している」と、研究者が過去のアイヌしか見ず、現在のアイヌへの視点を欠くことを厳しく指摘した。
◆自分が正確なアイヌ語、アイヌ学を提示しなければ、勝手な評価をされてしまう、と思い、自分が果たすべき役割を認識した。
卒業論文は、アイヌ語の文法について書き、これは金田一との共著として出版された。
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4.学問形成期としての樺太時代
室蘭中学の先生の福山惟吉の招きで樺太へ。
◆樺太アイヌの方言の研究や山本祐弘とのフィールドワークで民族資料を収集し研究者として大成していった。

5.北海道大学でのアイヌ研究:アイヌ学の構築
言語学教室の設立と初代教授への就任。
◆言語学の研究、ユーカラの研究、民俗学の研究を統合した総合的なアイヌ学の構築を目指したが、道半ばで亡くなり果たせなかった。
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6.真志保の立ち場
・これまでのアイヌ研究は、研究する和人と情報を提供するアイヌとが線引きされ、和人もアイヌの事を正確に伝えていない。
どうして和人の研究者は、言葉を学び、珍しい文化を見るだけでアイヌ語の持つ本来の意味を評価し、アイヌの文化や心に入ろうとしないのか、と云う疑念を抱いた。
・他人を傷つける学問は無価値である。
このような見解から和人研究者へ手厳しい批判を浴びせたが、若い時から支援を受けた金田一といえども例外ではなかった。
◆「独力で地名解釈ができ、古代人の物の考え方にも通じて、ひとりアイヌ文化だけでなく、文化一般の理解にも大いに役立つ」ような本を書いてみたい、と念願した。
◆幻の書
岩波新書『アイヌ』(仮題):服部四郎の橋渡しで企画が決まっていたが、書かれることはなかった。もし書かれていれば、知里真志保の描いていたアイヌ学の全体像を知ることができたと思われる。

 以上が本日のお話のあらましですが、知里真志保と云うひとりの人物が、自身がアイヌであると云う背景の中で、様々な葛藤を経て、周りから期待される役割を務めるだけの状態から脱して、単なる言語学に止まらずアイヌ民族誌やアイヌ史も包括した普遍的なアイヌ学の構築を目指すほど成長していった過程が良く理解できました。また、そのようなアイヌ学が、真志保の死によって完成することがなかったのが惜しまれます。

 次回の「北の人物伝Ⅰ」は5月8日(金)で、十勝の開拓に尽くした依田勉三についてのお話です。






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