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講座13「遺跡を通して知る石狩のむかし」第1回「石狩の縄文文化~はじまりから続縄文文化へ~」

2026/03/13

 2月25日(水)、今年度最後の講座13「遺跡を通して知る石狩のむかし」の第1回「石狩の縄文文化~はじまりから続縄文文化へ~」を石狩市花川北コミュニティセンターで開催しました。講師は、いしかり砂丘の風資料館・学芸員の荒山 千恵さん。受講者は、47名でした。
◇自己紹介
荒山さんは、主に二つの仕事をされているそうです。
①文化財の仕事―専門の考古学の立場から遺跡の調査など
②資料館の仕事―地域の歴史や文化に関するモノ・コトを守り伝えていくための調査・活用など
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1.考古学と遺跡
1)考古学とは
 遺跡から過去の人々の暮らしを研究する学問。人類史を対象。
〇最近の北海道の考古学の話題
・2021年7月27日  北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録
・2023年6月27日 「北海道白滝遺跡群出土品」が国宝に指定
・2023年6月27日 「北海道常呂川河口遺跡墓坑出土品」が国の重要文化財に指定
・2024年8月27日 「北海道西島松5遺跡出土品」が国の重要文化財に指定
2)遺跡とは
 主に何百年、何千年という前の人々が生活・活動した痕跡(遺構・遺物)のある場所(数十年前の場合もある)。長い年月で土の中(地下)に埋もれていることが多い。
・石狩市の遺跡はいくつ?⇒220か所ある
・北海道の遺跡数は?⇒12,469か所(2025年4月1日現在)
・全国で埋蔵文化財の存在が知られる土地は?⇒約46万か所⇒毎年9千件程度の発掘調査が行われている
3)遺跡調査と保護のあゆみ
 文化財保護法の制定 1950(昭和25)年
・1949年:法隆寺金堂壁画の焼損がきっかけ
・従来の国宝保存法などをまとめ、無形文化財、埋蔵文化財を新たに保護対象に加えるなど内容拡充

2.石狩の考古学年表
 石狩の考古学時代区分は以下の通り
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3.遺跡の位置
◇遺跡の分布
・段丘、台地、丘陵(主に高岡地区、厚田区・浜益区内)
・河川流域、河口部付近
・花畔砂堤列(石狩砂丘と紅葉山砂丘との間で高い部分と低い部分とが海岸線と平行に波状に繰りかえしている地形。現在は地形としてはほとんど確認できない。)
◇人々の活動の痕跡(暮らしのはじまり)
【旧石狩市域】
・縄文文化前期(約6000~5000年前)・・主に高岡地区
・縄文文化中期(約5000~4000年前)
☆花川地区・緑苑台地区・・紅葉山砂丘(内陸側)では縄文文化前期後半~縄文文化中期頃(約5000年前)から人々が暮らし始める。紅葉山砂丘では、以降各期にわたる人々暮らしの痕跡が確認される。
☆紅葉山砂丘の海側(花畔砂堤列)・・新港東に縄文文化晩期の遺跡
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 ※紅葉山砂丘は、現在の海岸線から5~6㎞内陸にあり、手稲山の麓から花川、生振を経て美登位まで続く細長い砂丘。約6000年前(縄文海進ピーク)には、今より内陸に入り込んでいた石狩湾(古石狩湾)と外海との間に形成されていた砂州であった。

☆石狩高岡・・縄文前期の遺物
・大島1969「紅葉山砂丘形成についての一考察」
  遺跡断面図、尖底土器
・竹田・大島1970「石狩高岡遺跡の遺物について」
  茶褐色粘土の側溝壁に現れた竪穴状の遺構から土器片18、石器3が出土。
【厚田区】【浜益区】
・縄文文化中期の遺跡が複数個所で確認されている(数は少ないが縄文文化前期とみられる遺物が確認されている遺跡がある)⇒約5000~4000年前(一部、遡る可能性あり)(*縄文文化早期後半の可能性?⦅厚田区古潭遺跡の土器⦆)

4.遺跡の調査と記録
 日本では、開発事業に伴ってその前に行われる発掘調査が圧倒的に多い。
◇戦前
・明治、大正期にも石狩付近で遺物や遺構が確認されている。
・昭和6年に河野廣道が昭和13年に杉山壽榮男が浜益区の「岡島洞窟遺跡」のことを 発表している。
◇戦後
〇昭和20年代後半~
・紅葉山砂丘での遺跡の調査
・昭和30年代~40年代
  遺跡の分布調査(石狩)
・昭和40年代:旧石狩市域での発掘調査
・昭和50年代以降:平野部を中心とした発掘調査の増加
※石狩市内で発掘調査された遺跡の多くは記録や遺物の取り上げにより残され、現地には残っていない。
 収集された遺物は「いしかり砂丘の風資料館」(石狩市弁天町30-4)で展示されている。 
〇1960年代
・浜益村役場1961『浜益遺跡』
・宇田川洋1965「厚田村聚富土上遺跡発掘調査概報」『アイヌ・モシリ』北海道学芸大学札幌分校考古学研究室10.
※60年代後半・・紅葉山砂丘にかかる複数の遺跡調査、概報・報告等の刊行
〇1970年代
 ※60年代後半に続いて調査が増加
・石狩町1972「第二編 石狩の先史時代」『石狩町誌』上巻
・若生遺跡群や志美遺跡群の発掘調査報告書の刊行(石狩町教育委員会)
〇1980年代
・紅葉山33号遺跡(第3次調査)の発掘調査報告書の刊行(石狩町教育委員会)
〇1990年代
 ・上花畔1遺跡の発掘調査報告書の刊行(石狩町教育委員会)
 〇2000年代
 ・紅南公園遺跡、紅葉山51号遺跡、石狩紅葉山49号遺跡、紅葉山52号遺跡=札幌市K483遺跡の発掘調査報告書の刊行(石狩市教育委員会)

5.各遺跡の紹介
1)上花畔1遺跡(緑苑台東)
・平成元年度から平成3年度(1989~1991)までの3年間発掘調査
・縄文文化前期後半~縄文文化中期(花川地区に人々が暮らし始めた頃)
・土器、石器が数多く出土
・石錘が911点出土
  扁平・楕円形の礫を用いて、両端(2ヶ所)にえぐりを入れた物が多い。えぐりに縄をかけて漁網の「おもり」に使用したと考えられる。
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2)紅葉山49号遺跡(花川)
・昭和47年(1972)、埋蔵文化財一般分布調査の際に発見
・平成7年から平成14年(1995~2002)の8年間にわたり発掘調査
・遺跡の立地は、紅葉山砂丘の南側斜面が中心。一部はその内陸側の湿地にも及ぶ。
・紅葉山砂丘の南側を中心とした範囲・・縄文文化前期後半から中期後半(約5000年前から4000年前)、続縄文文化初頭(約2000年前)、擦文文化初頭(約1300年前~1200年前)、江戸時代後期(約200年前)の各時期の遺物が出土。
 ・湿地部・・河川跡から魚類捕獲施設、数多くの木製品が出土(約4000年前、縄文文化中期)。
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3)志美遺跡群(新港東)
・昭和53年(1978)に発掘調査(志美1遺跡、志美2遺跡、志美3遺跡、志美4遺跡)
・遺跡一帯の地形:花畔砂堤、砂堤の高い部分の土地を利用
・時期:縄文文化晩期中葉~末葉(約2500年前)
・志美の名称:アイヌ語シビシウス(木賊の生える所)という言葉に由来
・遺構:住居跡3基、床面にベンガラを散布した竪穴遺構(儀礼施設?)4基、土坑、土壙墓41基
☆志美4遺跡
       東北地方の亀ヶ岡文化にみられる土器の特徴
   玉類の出土:平玉、丸玉、勾玉など
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 以上で本日の講座は終了しましたが、石狩市にある縄文文化から続縄文文化の遺跡の事が体系的に分かるお話で大変参考になりました。受講者からも分かりやすかったとの声が多く上がりました。
みなさん、次回も楽しみに待たれているようです。
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 最後に受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。
「石狩にこんなにたくさんの遺跡があり、全国的にも貴重な物もあることに驚きました。『いしかり砂丘の風資料館』は、遺跡の展示をされているということですが、各地にある郷土資料館とか歴史資料館なんですね。名称からは気付きませんでした。今度行ってみたいと思います」
「豊富な資料と初心者向けの話と専門的な話で、あっという間の90分でした。ありがとうございます。紙の資料にパワポの画像をもう少し入れていただけたら、お話の理解の助けとなります」
「我が家の近くの紅葉山49号遺跡を大変興味深く拝聴しました。ここは、漁労の場だったのかと思いながら聞いていましたが、生活の跡はあるのでしょうか」
「石狩の縄文時代・・人の暮らし等など大変わかりやすく系統だって学ぶことができました。貴重な石狩のむかしを興味深く理解でき、楽しい講座でした。次回の講座も楽しみです」





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