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主催講座3「世界遺産登録となった北海道・北東北の縄文遺跡群」

第1回「縄文遺跡群は世界遺産としてどのような価値があるのか」

2022/06/15

 6月9日(木)主催講座3「世界遺産登録となった北海道・北東北の縄文遺跡群」の第1回「縄文遺跡群は世界遺産としてどのような価値があるのか」を石狩市花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海道環境生活部縄文世界遺産推進室特別研究員の阿部 千春さん、受講者は27名でした。
 阿部さんのお話しは次のような流れで進められました。
1.世界遺産とは何か~世界遺産条約とその精神
2.縄文文化とは何か~その発生と世界的な意義
3.北海道・北東北の縄文遺跡群~構成資産の概要
4.縄文時代の精神性~土偶などにみる縄文の思考
5.世界遺産登録の効果~活用の方向性
 以下はお話の概要です。
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1.世界遺産とは何か
【世界遺産の定義】
地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へとひきつがれてきたかけがえのない宝物で、現在を生きる世界中の人びとが過去から引き継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産(文化遺産/自然遺産/複合遺産)
◇世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約
・1972年制定 締約国193カ国
・2021年7月現在、世界遺産は1,154件(文化遺産897件自然遺産218件複合遺産39件)
日本の世界遺産は、文化遺産20件自然遺産5件。
◇世界遺産条約の歴史的背景と意義
第二次中東戦争後、エジプトのアスワン・ハイ・ダム建設で水没の危機にあったアブシンベル神殿救出のためユネスコが呼びかけ世界が協力して移転させた⇒世界遺産条約の精神は、国際協力による文化遺産の保護を通して世界平和の実現に貢献すること。世界遺産は、単に素晴らしい建造物などを集めているのではなく、様々な地域の多様な文化を集めて保護し互いに認め合うことを目的としている。
・世界遺産の傾向
最近の傾向として、分かりやすい単独遺産から複数の資産を組み合わせた一見わかりにくい遺産へと変わってきている。
2.縄文文化とは何か
日本列島の多様な自然環境のなかで、漁労・狩猟・採集を生業として定住生活を実現し、1万年以上(おおよそ15,000年前~2,300年前)も大きな争いもなく存続した先史文化。
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・交易と工芸技術
縄文社会は、高い工芸技術を持ち、他地区との交易も行われていた。
高い工芸技術―漆製品(現代と同等の技術)。函館垣ノ島B遺跡の漆製品は世界最古。
交易―ヒスイやアスファルトの伝播
※ヒスイの装飾品に開けられた穴は、柔らかな木の先に砂を付けて開ける技術が使われている。
・過去100万年の気候変動
過去100万年の気候変動を見ると、寒い時期と暖かい時期が繰り返している。15,000年前に気候が温暖化し定住が可能となった。
寒い時期(約20,000年前)北海道はサハリンを通じて大陸とつながりマンモスなどを追って大陸から渡って来た人は移動生活をしていたが、その後温暖化し定住が可能となる環境となった。
定住が可能となったのは、プレートがしのぎ合う日本列島の構造によって、狭いエリアの中に高低差があり多様な生物が生息できる環境であったから。
※自然は西洋人にとっては克服すべきものだが、日本人は共に生きると云う考え方がある。
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3.北海道・北東北の縄文遺跡群
・17遺跡で構成(4道県13市町)。北海道は、6資産(関連資産1)
・縄文遺跡は日本の他の地域にもあるのに、今回の世界遺産はどうして道南と北東北だけなのか⇒日本列島の縄文文化はおよそ6つの文化圏に分れる。今回世界遺産に認定された遺産のある地域は、北の生態系と南の生態系が融合している所である。
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◇世界遺産としての縄文ストーリー
定住の開始から発展、成熟への過程。
・史跡 垣ノ島遺跡(函館市) 早期~後期(9,000年~3,200年前)の集落跡。
居住域と墓域が分離した集落。
居住域(日常の空間)からは、網漁に使われた石錘が出土。絶滅した大型動物の代わりに魚を獲るようになったことを示している。
墓域(非日常の空間)からは、足形付土板が出土。これは、子供が亡くなった時に足形をとり、その親が亡くなった時に一緒に埋めたのではないかと考えられる。定住によって家族の絆が生まれていたことを示している。
・史跡 北黄金貝塚(伊達市) 前期(約5,500年前)の貝塚。
貝塚の中には墓もあり、単なるごみを捨てる場所ではなかったと考えられる。
・史跡 大船遺跡(函館市) 中期(約4,500年前)の集落跡。
この時期は集落が大きくなった時期。一つ一つの住居も大きくなった(一例は、深さ2.5m、巾9m)。
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集落が大きくなると、食料の確保や貯蔵、食べた物をどうするか、が問題となる。
そこで、盛土遺構が作られた。垣ノ島遺跡では(後期初頭 約4,200年前)、長さ190m、巾120mの規模で2mの高さのものがある。
盛土遺構―破損した土器・石類、動物や魚の骨、火を焚いた跡、墓。
貝塚―貝類・魚類・動物の骨、骨角器類(骨や角で作った道具)、火を焚いた跡、墓。
盛土遺構と貝塚は共通性があり、ごみ捨て場ではなく祭祀場の可能性がある。
生きとし生けるものを尊重し、役割を終えたものを送ると云う考え方ではないか。
また、衛生面でも集落を守ることになった(縄文社会が存続した背景)。
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・史跡 入江貝塚(洞爺湖町) 後期(4,000年前)に形成された貝塚。
寒冷化で環境が厳しくなり、住居も小型化。住居には土を被せていた。骨の細さから介護されていたことが分かる人骨が出土⇒厳しい環境の中でも弱者への思いやりの心があった。
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・高砂貝塚(洞爺湖町) 後期(3,000年前)に形成された貝塚。
埋葬された妊産婦はベンガラが厚く施され特に手厚く葬られていた⇒定住生活により、家族や集落の絆が深まり、社会が安定した。一方、ごみの処理と云う問題も起きるが縄文の人達は役目を終えた物に感謝することで集落を残した。
・史跡 キウス周堤墓群(千歳市) 後期(約3,200年前)の巨大な共同墓地。
円形の穴を掘って、その土を周りにドーナツ状に盛り、円形の中に墓を作る。
※縄文の人達の基本的な考え方は、自然崇拝と祖先崇拝。これは、自分の存在の源になるものへの尊敬の念に基いている。
・史跡 鷲ノ木遺跡(森町)※関連資産 後期前半(4,200年前)の環状列石
高速道路が通っていて景観上問題があり世界遺産の構成資産にはならなかったが重要な遺産。
共同の祭りの場所。具体的に何をやったかは分からないが、恐らく分散した集落の人達が集まって何らかの儀式を行ってバラバラになった集落の絆を深めたと考えられる。
高速道路建造にあたって、この資産を保存するために一部手作業で行うなど慎重な工法が取られた。
4.縄文時代の精神性/土偶
・縄文時代の始まりから、終焉まで作られ続けた。
・ほとんどの土偶が壊れた状態で出土する。
・茅部の中空土偶(カックウ)
昭和50年、ジャガイモ畑から出土。
構造を調べたら、意図的にきれいに壊れるように作ってあることが分かった⇒壊すことを前提にしている。
・土偶の故意破壊
土偶作り=生(Birth) 破壊=死(Death) ⇒再生(Reborn)  これが縄文の精神性。
人間の命は、再生と循環を繰り返す。社会の中に壊す(死)と云うことへのきちんとした認識があった。 
・社会の変化により縄文的な考え方が求められている。
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5.世界遺産登録の効果
・文化政策の視点
文化遺産の保護はもとより縄文文化が持っている「自然感」や「命あるすべてを尊ぶ心」など、日本的な価値観を国際社会に発信する⇒日本文化の理解
・教育的な視点
自分たちが生まれ育った地域に、世界遺産になるほど優れた文化があることを知ることにより、郷土を誇りに思い愛する心を醸成する⇒まちづくりの原点
・地域振興の視点
来訪者の飛躍的な増加、特にインバウンドが増えることにより、欧米圏などから、新たなニーズをもった観光層の流入が期待される⇒新たな観光創造
・縄文文化の活用の可能性
ユネスコのESDと国連のSDGs
・体験を通した縄文学習
 (一般財団法人)道南歴史文化振興財団の活動
自然に対する感謝の気持ち、命の大切さを伝える。
海外の注目も浴びている。
・縄文文化に対する海外の反応
海外、特に欧米圏の人びとは、観光に対して「真実性」と「精神性」を求めている。縄文文化はその両方を持っているが、解説等において、真実性を担保するための調査研究が必要である。
◇縄文以降の北海道の歴史
本州では、縄文の後は弥生に続くが、北海道は、縄文⇒続縄文⇒擦文と続く、本州とは違うもう一つの歴史がある。この点にも注目していく必要がある。そして、歴史や文化を核として地域の魅力を作り出し、それをつなげていくことで北海道全体を世界水準の価値創造空間としていかなければならない。
◇本日のまとめ
1.世界遺産条約の精神は、国際社会の平和への貢献
2.縄文文化の特徴は、狩猟、漁労、採集による定住
3.自給自足だけでなく、現代につながる高い工芸技術
4.定住を支えた背景は、日本列島の豊かな生物多様性
5.縄文遺跡群は、農耕以前の生活と精神文化を示す物証
6.縄文の精神性は、命の再生と循環&二項原理(融合)
7.縄文の体験と観光振興(世界水準の価値創造空間)

 お終いに阿部さんは、縄文を活用してどういう北海道を創造していくのかが大切なのです、と結ばれました。世界遺産とは何か、縄文文化の特徴、それぞれの構成資産の特徴、1万年以上続いた縄文の人達の考え方はどういうものか、それを可能にした日本列島の構造や気候変動について、この世界遺産をこれからどう生かしていけば良いか、などが大変良く分かるお話しでした。
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 最後に講者のコメントをご紹介します。
「世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群の説明を阿部講師により資料を通して詳しく講義してくださいました。1万年間縄文の人々は、自然の恵みに感謝して仲間に協力し仲良く心豊かな生活を送り、温暖化により助けられ長い年月続ける事が出来、私達が今あるのもご先祖様に伝統報恩が大切ですね」
「世界遺産の歴史的背景を理解できた。又、縄文人の命を尊ぶ、共生の概念等、芸術性の高さに驚かされた。感謝の気持ちを有していたというロマンがいい」
「待ってました!世界遺産登録の立役者 阿部氏の登場。登録までの長い道のり、そしてこれからもっともっと広め、理解を得る活動が必要になると思っています。精神と意義等々縄文の象徴としての赤黒緑色について、生命再生の話はやはり興味深いものでした。自然との共生の精神を大切にしていきたいものです」
「縄文遺跡という言葉は知っていたが良く分かっていなかった。1万年以上も続いた理由は何か?道南地方にある縄文遺跡にも機会があれば行ってみたいと思いました。大変勉強になり、ありがとうございました」
「資料がまとまっておりそれに沿って講座が進められたのでわかりやすかったです」
「分かりやすく、詳しいお話を聞かせていただき、ありがとうございました」

















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