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主催講座3「石狩市に残る歴史遺産」

第1回「ユーカラの舞台となった浜益」

2021/11/21

 11月9日(火)、講座3「石狩市に残る歴史遺産」の第1回「ユーカラの舞台となった浜益」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海道教育大学札幌校教授の百瀬響さん、受講者は28人でした。
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 百瀬さんは、アイヌ文化の研究者であります。アイヌの儀礼研究から始めましたが、アイヌ文化を理解するためには歴史を知らなければと考え、文化と歴史を研究しています。また、ロシア北方少数民族の研究も行っています。いしかり砂丘の風資料館にも論文を発表されており、HPで見る事が出来るとのことです。
この発表は、平成30年度石狩市教育委員会委託研究「ユーカラと石狩市浜益の関わりに関する調査」報告書の結果に基づいてのものです。
最初の映像にラッコの写真が登場しました。
なぜ、ラッコが!
「これ、何色に見えますか。金色に見えませんか」
「浜益を舞台にしている虎杖丸ユーカラの発端が、金色のラッコが石狩湾に寄ってきたというものです」
と本題に入りました。以下お話の概要を紹介します。
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〇今日のお話の内容
1. アイヌの口頭伝承について:ユーカラの説明
2.  ユーカラ「虎杖(イタドリ)丸の舞台浜益」
3.  金田一京助は浜益を訪れたか
4.  浜益での伝承『ユーカラのふるさと』の記述
5.  まとめ トミサンペツ・シヌタプカの位置
6.  ユーカラに関わる文化活動
1.  アイヌの口頭伝承について:ユーカラの説明
・文字を持たない → 口頭で伝承
アイヌは文字を持たなかったため、物語などは口頭で伝承されてきた
◇ユーカラyukar
ユーカラは、「アイヌ文学」の中でも最も有名である。現在この話は、英雄叙事詩の一般的な名称として用いられているが、本来は、日高(沙流地方)で用いられていた「方言」であり、
アイヌの叙事詩の一般名称という訳ではない。このアイヌのユーカラの中に謡われている主人公ポイヤウンぺは浜益に住んでいたと、日高の人たちが伝えていた。
→主人公がポイヤウンぺならユーカラ
◇アイヌ語の表記:ユーカラ、ユーカㇻ、ユカㇻ、yukar
アイヌ語には母音で終わらない言葉があるので、「r」を小さく発音しており(小文字「ㇻ」)、「ユカㇻ」と聞こえる。また、「ユ」にアクセントがあるので、「ユー」とのびる場合がある。
様々な表記があり、現在決定したものはない。今回の講座では金田一京助の表記「ユーカラ」を用いる(ローマ字表記も金田一の表現に従う)。
◇ユーカラの定義
『ブリタニカ国際百科事典(電子辞書版)
・(人間の)ユーカラ=英雄叙事詩
神々のユーカラと人間のユーカラがある。「ユーカラ」は後者をさす。
・神々のユーカラ(カムイユーカラ)は、神々の物語を指し、浜益のユーカラとは関係ない。動物、植物や雷など、様々な神が主人公の物語である。
『アイヌ文化の基礎知識』(アイヌ民族博物館編)
・地方によってサコロぺとかハウキなどともよばれる
→ユーカラは、方言である
◇アイヌの口頭伝承の種類と名称
表1 アイヌの口頭伝承の種類と名称
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◇金田一による英雄叙事詩の分類
表2 金田一による英雄叙事詩の分類
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◇ユーカラの主人公の育った地は?
・主人公は、トミサンぺツのシヌタプカで育った、
ポイヤウンぺ(ポンヤウンぺ)という少年「神に近い人間」
→現在の石狩市浜益であると伝えられる
・トミサンぺツのシヌタプカの意味
トミサンぺツ川の大きく湾曲した河畔:シヌタプカは
shinutapkaで、シ(shi-)は『大』『真』を意味する美称接頭語であり、カ(ka-)は、『上』を意味する接尾語である。
ヌタプ(nutap)というのは、河流のうねった所に抱かれる河沿いの土地のことである。

           〔ヌタップの意味〕
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石狩川が新篠津村(シンシノツムラ)で大きく湾流して大字フクロタップ(袋達布)と呼ぶ地を抱え込んでいる。この袋達布、原名は poro-nutap〔ポロヌタプ〕(大きいヌタプ)で、nutapやはりそのような湾曲内の土地をさすものであることを示している。このポロヌタプは、反対側の空知郡北村(ソラチグンキタムラ)にもホロタップ(幌達布)という地名を残している。


◇シヌタプカから石狩の浜に主人公(ポイヤウンぺ)が降りてくる表現
⒉  ユーカラ「虎杖(イタドリ)丸の舞台浜益」
◇秘中の秘曲
・タイトルの意味:「イタドリがたの鞘」 
中空の茎:鞘の中が見事に刳り抜かれている(ことを褒める意)
・主人公ポンヤウンペが持つ妖刀の名前。鞘の口元(夏狐の異様な形相:虎?)、鞘全体(龍神の雌神)、柄(狼神)、鍔(龍神の雄神)が彫られている。持ち主が危機となると、神々が持ち主に憑依・彫刻の形象が生ける神となって動き出し、敵を刺し殺す力を持つ
・あらすじ
石狩の浜に現れた黄金のラッコをめぐり、争いに巻き込まれた主人公は、この刀を用い、数多の村々の敵を皆殺しにする。その戦いの過程で自らの出自や両親の非業の死を知り、兄カムイオトプシ・養い兄・姉ら味方と共に、仇を打ち斃し、その過程で、敵中の美少女と恋に落ちる。巫術を用いる少女は、主人公と共に自らの親族をせん滅。その後、主人公と少女は味方と一丸となって、次の大きな戦いに臨むのであった
◇虎杖丸の舞台 様々な説
・主人公:トミサンベツのシヌタプカのチャシ(山城)で育った、ポイヤウンペ(という若者)
・この地の説明:石狩河口から離れた傾斜地の高い所に、威
容を誇るチャシが建つ
・トミサンペツとはどこにある?
浜益(アイヌ自身の口碑)浜益の中でも諸説あり 
・トミサンペツのシヌタプカに関する説
昆砂別説、黄金山説、摺鉢山説、愛冠説 など
◇主人公チャシから石狩河口までの道筋の表現(『金田一全集』9ヨリ)
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◇昆砂別説
・物語の発端:「黄金のラッコ」kane rakkoの出現
・「石狩彦」イシカリウンクル:捕獲者は褒美に妹を嫁に与えると宣言
 →求婚者が多数、川の河口・浜に集結、妹は「ピサンヤグラ」
=浜櫓で高みの見物
・ピサンヤグラ:「石狩海岸ピサンベツ川口の海中から亢立した石柱をシヌカプカ人の浜櫓の跡と伝えられる」
・ピサンペツ:石狩河口にある石狩彦のチャシ前に注ぐ川
⇔ピサンヤグラは、石狩彦の領地にあった場所
シヌタプカ人(の居住地)にはない 
・このことから昆砂別説は矛盾する
金田一は、伝承されているとしか表現していない
◇金田一京助のユーカラ観と諸説の「否定」
・ユーカラ観:「ユーカラと呼ばれる半ば空想化され、芸術化された、トメサンぺツ、シヌタプカの英雄児・・・のはなはだしい物語の詩」
・トミサンベツ=ピサンベツ(昆砂別)の訛?
「ピサンペツをトミサンペツの訛りであるといい出したのは、いつの頃からかは知らないが、恐らくは民衆語原であろう。浜益附近の地をポイヤウンペの古址と考えることが始まると共に生じた民衆語原で、此の民衆語原が愈々この信仰を裏付けていったのであろう」
・黄金山説 ×「チャシとしては高すぎる」
・摺鉢山説 ×「チャシとしては適当だが、浜益川流域」
のため、トミサンベツ=昆砂別川説と矛盾
⒊  金田一京助は浜益を訪れたか?
◇『浜益村史』の記述(1980年)
「昭和初年に浜益を訪れ調査の結果、ポイヤウンペ英雄の叙事詩ユーカラ発祥の地は浜益であると言明された」(118頁)
◇金田一から元村長(星野菊太郎氏)に当てた手紙の紹介
・河崎宏太朗氏『ユーカラのふるさと』(1982年)
「村の郷土誌を発行する計画で金田一博士に、ユーカラにつ
いてのご指導を依頼した」際の返信(71~72頁)
◇手紙に記された「回答」:要約
・浜益は、アイヌの英雄ポイヤウンペの城砦の地=伝説
・伝説をすぐ史実と思い込むことは間違い
・ピサンペツ=ユーカラの英雄の故郷の川トミサンペツ川という伝説=口碑だけで、文献がなく証明できない
・英雄の居址:シヌタプカ⇔現在、ピサンペツ川のほとりにシヌカプカという所はない
→ピサンペツがトメサンぺツか、確かめようがない
・「一度は、ピサンペツは行ってみたいと存じておりますが、なかなか果たしかねて年を経ております」
*金田一が浜益を訪れたことは,無かった
◇ユーカラの発祥地と言ったのは誰か?
〇久保寺逸彦による『アイヌ民族誌』記述
久保寺は金田一の国学院での教え子
『アイヌ民族誌』は石狩市民図書館に蔵書あり 
・久保寺逸彦による『アイヌ民族誌』記述
『アイヌ民族誌』(1969)の「アイヌ文学」担当
「ユーカラ発祥の地」が浜益であるという説を紹介
「5 叙事詩(3) ユーカラの発祥地」(754-757頁)
浜益郡の地図(図83)のキャプション「ユーカラ発祥地」(757頁)
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〇『アイヌ民族誌』の記述
・シヌタプカ及びトミサンぺチの地名は、今日存在しない
・筆者が浜益に行って、故老について調べた
〇シヌタプカ:四説
(1)黄金山(浜益富士)説
(2)摺鉢山説
(3)浜益の南端に突き出て断崖をなす海岬「愛冠岬」の上の高地説
(4)愛冠岬より数町北にあって、海岸に迫る丘陵上説
〇「トミサンぺチ」:三説
(1)黄金山および摺鉢山に沿って流れる浜益川
(2)愛冠岬近くの柏木部落を流れる「昆砂別川」
(3)浜益川の南を流れて、川口近くで、浜益川に合流する黄金川
〇久保寺逸彦の浜益訪問
・1935(昭和10)年の夏 数日間滞在
『アイヌ叙事詩 神謡 聖伝の研究』(1977年)
・「ユーカラ」に現れるshinutapka,tomisanpechiのいずれの
地名も、今日存在しない。
・浜益往訪の目的:ユーカラの発祥地といわれる故地で、ユーカラを録音、筆録すること。しかし、「アイヌらしいアイヌもなく、物を訊ねる対象となり得る故老もいなかった」(31頁)
・『浜益村史』との記述と矛盾
「昭和35(1960)年頃までは浜益にもユーカラを語る人がいた」(118頁)
〇結論:金田一と久保寺に見る浜益とユーカラの関係性から
・「発祥地」と言ったのは久保寺逸彦である と考えられる
◇これより以前の記録
・永田方正による記述 トミサンペツ=ピサンペツ
「オシンタ旅行記」(1911〈明治44〉年)
『北海道蝦夷語地名解』初版(1891〈明治24〉年)
⒋  浜益での伝承 『ユーカラのふるさと』の記述
◇河崎宏太朗氏『ユーカラのふるさと』(1982)
浜益出身、黄金山麓に育つ。父君は岩見沢役場から浜益役場に移転し、戸籍・財務主任を担当、「当時のアイヌの人たちの信頼も厚く、当時のアイヌ名の籍を全部和人名に改名」した人物であるという(河崎1986:41)。
宏太朗氏は地元で農業を営んでいたが、老後は札幌に移転。1982年、ユーカラに関する記録をまとめた『ユーカラのふるさと』を、1986年に、『ユーカラへの慕情』の2冊を自費出版した(河崎氏のご子息、川崎盟氏からの情報に基づく)。
とくに前者には、地元のアイヌ・和人双方の古老から聞いた、ユーカラに関する話が記されており、現在では得ることのできない貴重な情報が遺されている。
◇今野正治氏:北大農学部で果樹栽培を学び、浜益村や広島村農業技術員として勤務。後に朝鮮、樺太庁を経て、浜益村議会議員を務めた。母親がユーカラの伝承者であり、河崎氏の父親の代から親交が厚かった。
◇星野菊太郎氏:浜益村川下在住、浜益役場勤務後、浜益村長を務め、「浜益に於ける生字引」と呼ばれた。
◇佐藤豊七氏:浜益村川下在住
・子供の頃のユーカラの見物談
◇石川惣吉氏:浜益村川下在住。函館戦争が終結し、庄内陣屋から人々が引き上げた後も浜益に残った庄内藩士、石川虎之助の子息。
⒌  まとめ トミサンペツ : 旧浜益川
浜益で伝承されていた話をまとめると、次のようになる
◇トミサンペツ:旧浜益川
・明治中期、或いは末期まで、旧浜益川の川口の南部の砂浜地帯(砂崎)と今のピサンペツ川までの全域を、古老は『トミサンペツ』と呼んでいた
・浜益川は、かつての河口付近で昆砂別川に注いでいたとの伝承がある。この川がトミサンペツと呼ばれていた。その語義を「トミの川」、冬期でも凍結せず、漁労が可能な貴重な川であった
・河崎氏は、浜益川の流れを変えた洪水とは、数度にわたって襲来した洪水のうち、口碑(川下在住松葉兵一郎氏、1957年聴取)・記録に従い、1741(寛保元)年の地震によるのではないかと推察
◇シヌタプカ:摺鉢・柏木神社
・シヌタプカ:摺鉢山麓、中でも柏木神社境内であると伝承されていた。
・昭和初期頃までは、ユーカラが実際に演奏されており、付近に住む子供たちが見物に行くいたこともあった。演奏は、男性が仰臥して腹をたたいて謡い、合いの手は男女共に入れていた
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*講座では、国土地理院の地形図【1895(明治28)年】と現在の地形図を重ね合わせてより理解を深める事が出来ましたが、著作権の関係で掲載できないことをお詫び致します。
⒍  ユーカラに関わる文化活動
浜益でユーカラに関わる文化活動をしている方、かつて活動をしていた方の紹介
◇木村修三氏:浜益文庫
・報告書作成に当たり色々教えていただいた方で、本日お越しいただきコメントを頂く予定でしたが、来られなくなりました。大変残念でありますが、あとでコメントを代読します。
・札幌で建築業に従事。退職後、油絵の創作活動を開始。現在、年に数カ月間を浜益で生活しながら、絵画・ユー方翻訳の結果をHP上で公開されているほか
・『ユーカラ集:沙流・浜益の叙事詩」(浜益ユーカラ文庫)
1‐11巻を出版
・2009年、「浜益がユーカラの舞台と知り、赤崎いくや女史(同書イラスト担当)に金田一博士の『アイヌ叙事詩ユーカラ集』の存在を訓えて貰い」ユーカラの絵を描くため金田一京助博士の未訳のユーカラ翻訳に取り組む
・これらの膨大な翻訳結果を踏まえ、木村氏は、「シヌタプカ」の位置が、浜益の摺鉢山であるという説をとられている
・木村修三氏コメント
金田一京助博士のユーカラノートは膨大で説明するには何日も掛かるものです。それを私のホームページ『アイヌ叙事詩ユーカラの里へのご招待』で公開しております。検索(Google等)では、トップにランクされていますのでご覧下さい。 
私は、こがね山岳会代表 渡邊千秋氏より使用貸借(無償)で畑を貸して頂き藍染めの蓼藍を栽培し、乾燥させてスクモを作り藍染めをやっております。一昨年、藍染めを確立し、昨年藍染めTシャツに白抜きの【ユーカラの里 浜益】と入れることに成功しました。来年は浜益に来られた方に買って頂きたいと思っております。
少しでも浜益の地域振興に成ればと活動しておりますので、コロナワクチンを打たなかったことをお許し下さい。又、ホームページで疑問が御座いましたらメールを下さるとお答え致します。
メールアドレス shuuzo2@mvi.biglobe.ne.jp 尚、タイトルに浜益か幌村とお書き下さい(必着)」
◇こだま会:人形作家の八田美津さんに伺う
・1991(平成3)年発足
 浜益13地区内の昔話聞き取り開始
・1992(平成4)年 紙芝居完成
 絵本『はまますのむかしばなし』村内配布
・1995(平成7)年『はまますむかしばなし』発行(北洋信金補助)して、小学生へ配布。以降、演劇・民舞・高齢者との交流活動開始。この昔話の中に、浜益のユーカラのお話が何点か紹介されている
・2009(平成21)年解散
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  以上で、お話は終わりですが、多くの資料をもとに、調査・研究し、ユーカラ発祥地の謎解きに迫る情熱に感銘を受けました。

  終りに、受講者の皆さんの感想を幾つか紹介します。
「浜益がユーカラの舞台となっていたという話は初めて知りました。とても興味深いお話だと思いました。」
「浜益とユーカラの関係性については、本格的に調べて研究された事について知る機会はありませんでしたので、大変興味深く学べました。難しい内容でですが、知ることは楽しい事です。いろいろは説があり断定できる状況ではないにしても、伝承が残っている事に意味があると思います」
「平成31年10月以来の受講になりました。よかったです。『浜益とユーカラの関係性』と本当に興味深く聴くことができました。是非、実地での検証ツアーを企画してほしいものです」
「資料に添ってパワーポイントの参考文献と共に、大変わかりやすい解説でした。浜益がユーカラ発祥の地として断言し、広く伝えられないことが残念です」
「百瀬響教授の資料を通し、スライドで内容の説明等、浜益の地は、アイヌ英雄ポイヤウンぺ城砦の地で著名であるけれど伝説上の事である。史実と思い込むことの注意、色々と考察させて頂きました。少し分かりました。運営委員の皆様方いつもご苦労さまです。」





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