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講座4「石狩歴史散歩~花畔地区、北生振・高岡地区」

第1回「花畔地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて」

2021/08/15

 令和3年8月7日(土)、講座4「石狩歴史散歩~花畔地区、北生振・高岡地区」の第1回「花畔地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて」を行いました。講師は石狩市郷土研究会会長で場所請負人村山家子孫の村山耀一さん、受講者は17名でした。
コロナ禍で講座開催が延期あるいは中止される中、当初日程を変更し、本年度初となるバス学習でしたが、村山先生が実際に勤務した学校もあり、思入れのあるお話と、郷土史研究会のまとめた校歌集CDを思い出ある校庭で拝聴することができました。明治期の内陸開拓の歴史は困難辛苦の砂地水田開発への取り組み、そして豊かな穀倉地帯となったが、昭和40年代の新港開発に伴う村の移転合併、札幌市のベットタウンとしての住宅地開発、人口増減に伴う学校統廃合など目まぐるしく変遷した石狩市の歴史の一端を学んだ学習会でした。
講座の概要を紹介します。
本日のルートと訪問先です。
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いしかり市民カレッジ講座 本日の行程
    ~「花畔地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて」 ~                            
8時50分    バス乗車(あいさつ)
9時00分~   公民館の解説
9時05分~   公民館出発
9時10分~   十線農住団地内  「水田揚水ポンプ」
9時20分~   花畔神社 
「花畔神社碑」「社誌碑」「地神塔」「馬頭観世音」「花畔開拓五十年記念碑」「開拓百年」碑「開拓碑」「創田之碑」「北十線用水組合碑」「紀念碑」「石川県開拓百年」「明治卅七八年戦没紀念碑」「戦没者慰霊平和祈念之碑」
9時45分~   花川小学校
「開校百年」碑 「歴史と伝統を守り輝く花小っ子」「イチョウの二本木」       
9時55分~   花畔銭函間運河跡碑 「治水工場跡地」「瑞穂神社跡地」
10時10分~  花畔市街地渡船場跡 茨戸川畔 ポプラの根元に「おもしろい石」
        ~旧道経由~
10時30分~  サーモンファクトリー 「鮭供養碑 二基」 
         ~トイレタイム~
         ~スポーツ公園通過~                                          
11時00分~  花畔北十三線六号 「我等先祖の地を離れここに集まって明日の営農を拓く」             
11時15分~  紅葉山公園附近 「南線地区開発記念碑」「旧紅葉山小学校」(石狩市学び交流センター)
11時30分   花川中学校 
11時55分   トーテンポール
12時10分   飯尾円什像
12時25分   公民館に戻る  
お疲れ様でした。    解散

・出発前に村山さんはパネルを2枚用意し本日の学習で廻る花畔地区の地理的、歴史的イメージについて説明された。
①明治4年に花畔村ができた。以降内陸部の開拓が進められ花畔、生振、樽川の開拓が進んだ。斜め防風林を境に花畔村。
現在の地名で「花畔」のあるのは花畔団地などいくつか残っている。
②花畔神社は昭和48年、現在地に移転したが現在の図書館辺りにあった瑞穂神社と志美の相馬太田神社の3つが合祀されている。
③この公民館は今年で最後で解体されることになるので、この機会に紹介します。
花川中学校は昭和22年新制中学校として開校、昭和62年閉校し現在の花川中学校が開校した。2線校舎が公民館として利用され、今いる研修室は家庭科室、調理室、事務室は被服室で間にあるのは準備室、陶芸室は音楽室でした。
名前は同じだが建てる予算の関係で新たな花川中学校となっているので沿革史は途切れている。
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・9:00予定通り公民館を出発し、別紙行程表に沿って行動しました。
いつものように詳しい資料が用意され、本日はかいつまんで説明するので、帰ってからゆっくり読んでくださいとの案内がありました。
①十線農住団地内にある「旧水田電気揚水ポンプ」
・所在地 花畔北十線農住団地内。
・昭和27年製造。  プレートが塗りつぶされているが、その前の写真から判別できた。
昭和30年代の水田最盛期に活躍したポンプが残っているのは重要な歴史遺産。
・砂地を水田にする取り組みは当時町議(能量寺住職・後の町長)飯尾円汁の呼びかけではじまり多くの反対の中、昭和3年農民が自力で、僅か1年で水路を作りコメ作りに成功し有数の穀倉地帯となっていく。記録映画「砂と闘う」に詳しい。
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②花畔神社
 花畔神社は昭和48年石狩湾新港開発により、この地域にあった三社(花畔神社・花畔瑞穂神社・相馬妙見太田神社)を合祀、現在地に社殿を新築し、夫々の御祭神を祀っている。
境内には三社にあったそれぞれの鳥居、狛犬、手水鉢、社誌を移設、新港地域にあった記念碑などが多く移転されている。そのうち21の碑について説明された。
花畔の方々は石碑で歴史を残そうとしていることは素晴らしいこと。子孫も意識してくれることと思う。
・花畔神社碑
・社誌碑ー昭和48年建立、三社合併移転合祀。
・地神塔ー明治33年建立、立江寺と旧花畔神社にあった地神塔を合体建立した。
・馬頭観世音-昭和2年建立、大正11年競馬場開設、草競馬が行われた。
・花畔開拓50年記念碑-大正9年建立、明治5年岩手県南部団体が入植し村名が付けられた。
・開拓百年碑-昭和45年建立、町村金吾書、、平成6年町青少年センターから移設し台座更新。
・開拓碑-昭和60年建立、明治4年岩手県団体39戸129人が入地し花畔村が開村。
・紀年碑-明治32年建立、明治27年石川県団体37戸が移住した。
・創田の碑-昭和5年建立、農住団地にあったが平成18年移設。
・北十線用水組合碑-昭和50年建立、昭和2年組合設立し昭和50年解散、48年間にわたる砂地水田の歴史を終えた。
・記念碑-昭和50年建立、昭和5年花畔土功組合設立し砂地造田の基礎を確立した。後に花畔土地改良区へと組織変更。昭和46年事業終了。 
・明治卅七八年戦役紀年碑-明治40年建立、日露戦争、寄付者に似鳥の名。 ニトリと石狩の関係。
・戦没者慰霊平和祈念之碑-平成9年建立、35名の英霊を弔い、平和への誓い。
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③花川小学校
・石狩で最初の小学校、開校148年。円形校舎で有名な石狩小学校より2か月早く開校。
・歴史と伝統を守り輝く花小っ子-平成5年建立、開校120年記念行事として、碑文は児童から募集。
・イチョウの2本木-昭和3年11月御大典記念植樹として、校庭周囲にアカシア、松、ポプラ等千数百本が植樹された。寄贈されたイチョウ二本が玄関前に植えられた(昔はこちらが玄関?)。
〇石狩市郷土研究会では50年記念事業として、石狩市内にあった全ての小学校の校歌を収録したCDを作成した。校歌には石狩川、手稲山、日本海など地域の情景がこめられ、何度も歌い誰でも思い出せるもの。イチョウの木の下で、花川小学校校歌を歌詞を示しつつ、ラジカセで拝聴しました。
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④花畔銭函間運河跡碑ー平成8年建立、札幌原野は沼沢地と泥炭地、低湿地が大半を占めているため、排水と併せて運輸の便に供するため建設されたのが「札幌・茨戸間運河」と「花畔・銭函間運河」である。「札幌・茨戸間運河」は現在の創成川である。この二つの運河を通じて、札幌と銭函を舟によって直接結ぶことが可能であった。明治28年起工、明治30年竣工した。両運河の設計者は石狩治水事務所初代所長の岡崎文吉博士。博士は石狩川治水の祖と呼ばれる。
・治水工場跡地-岡崎式コンクリート単床ブロックの製造工場の説明版と単床ブロック施工事例。
・図書館のあたりに花畔瑞穂神社があった。
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⑤花畔志市街地渡船場-石狩川を挟んで右岸地域と左岸地域を結ぶため最盛期6カ所の渡船場が運営されていたが橋の完成とともに順次廃止された。
・顔型石-おもしろい石-花畔渡船場近くのポプラの根元にある。由来不明だが有名スポットにできないか。
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⑥旧道経由-新港南(旧花畔)地区は石狩における工業立地のはじまり。石狩木材工業団地から始まった。北洋材輸入のため茨戸川水面を利用した貯木場、後背地の企業立地の開発計画を具体化し昭和38年ソ連材を輸入したのが最初。その後木材工業団地造成、昭和42年北海道コンクリート製品株式会社が操業した。     
・花畔墓地には金子家文書で有名な金子家の墓あり。
⑦サーモンファクトリー佐藤水産を一代で築いた佐藤三男の経歴を紹介。塩鮭を五番館で扱ってもらい儲けた恩で、サーモンファクトリは五番館をイメージし銘版も貼り付けている。
村山家との関わりも紹介ー村山家が明治42年網元を廃業するとき吉田庄助に全てを譲った。
・鮭供養の碑ー鮭の町石狩という割に鮭に関する碑が少ない、全3基のうちここに2基ある。右側のものは様似に工場にあったものを津波被災を機に移設したもの。
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⑧花畔北13線6号「我等先祖の地を離れここに集まって明日の営農を拓く」昭和51年建立。 
・移動中、北14線防風林北側を指し、「このあたりが横田めぐみさんの祖父の開拓地でした」
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⑨紅葉山公園付近 「南線地区開発記念碑」-昭和47年建立。南線地区は昭和24年には250㏊の水田地帯だったが、昭和39年新札幌団地に、46年に北海道住宅供給公社に団地用地として売却、昭和46年に落水閉鎖式を行った。
・「旧紅葉山小学校」(石狩市学び交流センター)には勤務経験もありましたが、供給公社のデザインで団地内にあったことから学校の存在感が薄く使い勝手が良くなかったとのこと。
 廃校となった紅葉山小学校の校歌を拝聴。ここにある紅葉山は紅葉山砂丘のこと。
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⑩花川中学校開校30周年記念碑
・旧花川中学校(現在の公民館)にあったものを移設したもの。碑文の「創造」は素晴らしい言葉。
自主性を尊重し制服の決め方も生徒の意見で決めたと聞いた。
ここでも花川中学校校歌を歌詞の解説を聞きながら拝聴した。
・植民区画整理にふれ、樽川村花畔村合併時、国道(手稲線)から一括して呼んだ「南線」の由来の説明もあった。
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⑪トーテンポール- 外国とのつながりとして紹介。キャンベルリバー市から寄贈されたもので、足下にある石は交流する親善大使の子供達が持ってきたもの(自分の名前が書いてある)。
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⑪飯尾円什像-砂地を水田に変え穀倉地帯とした貢献。戦後発展に尽くした。飯尾円什ではじまり、飯尾円什で終わる本日の研修を終わります。
・制作は本郷新で彼の作品は石狩に3体あり。無辜の民、図書館前の鳥の碑と飯尾円什像です。飯尾円什像は死後の制作のため、息子さんの骨格を参考にしたとのエピソードも披露して終わりました。
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本日のアンケートのコメントをいくつか紹介します。
・石狩に長く住みながら知らないことばかり、大変有意義でした。
・大変よかったです。次回を楽しみにしています。
・村山先生の講座いつも楽しみにしてました。資料もとても詳しくわかりやすいので帰宅後改めてゆっくり読み返してみるのが楽しみです。これからもぜひ続けてくださることを希望します。
・花川に住んでいながら、この土地の歴史など本当に知らないことが多いのに驚きました。今日、バスで色々なところを見せていただき勉強になりました。村山先生ありがとうございました。
・毎日見る風景の中に多く歴史があることを学んだ。
・すばらしい資料と的確でわかりやすい解説さすが!!ありがとうございました。勉強になりました。石狩(本日は花畔、新港、南線地区)の歴史が非常にコンパクトに身近に感じられました。心にとどめておきます。感謝!!
・すばらしい資料はぜひ一般市民も閲覧できるようにして欲しいと思います。村山先生の的確な説明で石碑も大いに意味を増します。石狩全市民が受講すべきシリーズで今後もずっと継続を希望します。
・暑い中先生ありがとうございました。しばらくぶりの課外学習とても良かったです。次回を楽しみにしています。貴重な資料ありがとうございました。
                                                        




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