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主催講座2「アイヌと縄文」

第2回「アイヌと縄文」

2019/06/10

 6月3日(月)、主催講座2「アイヌと縄文」の第2回「アイヌと縄文」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、前旭川市博物館館長で札幌大学教授の瀬川拓郎さん、受講者は57名でした。

 前回はお話の途中で時間切りとなりましたが、その分は資料を読んで補って下さいとの要望があり、今回は2回目の資料についてのお話となりました。
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 「今回は日本文化の中の縄文と云うお話です。前回はアイヌの人達の歴史を考える際のキーワードは、縄文人、縄文文化だ、とお話しましたが、実は日本の文化の中にも縄文は大きな影を落としているのではないでしょうか」

◇縄文人の世界観について
考古学・神話伝説・民族誌から復元して、いまなお生き残る縄文の思想を明らかにする。その方法として、縄文人を共通の祖先とする日本列島人(アイヌ、本土人、琉球人)三者の共通する観念の中に縄文の世界観を見出すことができないか?
1.古代海民とアイヌの共通する神話・伝説
〇古代海民の神話・伝説
「肥前国風土記」佐嘉郡
嘉瀬川の川上に世田姫と云う石神があり、この神のところへ海の神(鰐魚・ワニ)が流れに逆らい小魚をたくさん従えてやってくる。人がその魚を恐れ畏めば災いはないが、捕って食うと死ぬことがある。
「出雲国風土記」仁多郡、恋山の地名由来伝説
和迩(ワニ)が阿伊の村にいる神・玉日女命を慕って川を遡ってやってきた。玉日女命が石で川をふさいだので和迩は会う事が出来ず愛しく思っていた。だから恋山といった。
※ワニとは何か
全国各地の漁民の間では、サメ、シャチ、ジンベエザメ、クジラなどが、豊漁の神「エビス」と総称されていた。ワニは、特定の種にかぎらないエビス神的な性格を持つものの総称ではないか。ワニが漁撈にかかわって尊崇される存在ならば、その伝説を伝えてきたのは海民。
〇アイヌの伝説
・沖の神であるシャチは、山の神の娘に会うため高山へ向かい川をのぼる。途中、神々から妨害を受けながらも土産を持って娘の下へ向かい山の神にほめられる
・シャチの神は、オキクルミ神の妹神に会いたくなり川をのぼる。家には誰もおらず川を下って帰るが、妹神が夢に現れ、私を恋い慕っても夫婦にはなれない、私の事は忘れてシャチの女神を妻とせよ、と云う。
※シャチ
アイヌにとってシャチは海の神で、クジラや魚をもたらすエビス的存在。
※なぜ高山へ向かうのか?
アイヌにとって高山は、死霊の世界の出口と考えられている。
※洞窟を他界の入り口とする観念
縄文時代からあった洞窟と死者の深い関係は、その後も北海道、南島、本土の海辺の人々の間で受け継がれてきた。
〇共通する伝説が意味するもの
アイヌと古代海民に共通する伝説は、海の神が高山山頂に座す亡き妻を訪ねる、他界への往還伝説とみられる。「出雲風土記」やアイヌ伝説にある、山の女神が川をのぼるワニ(シャチ)を阻止するのは、夫を他界に迎え入れないため、と理解できる。
※同じ構造を持つ世界観・他界観は、奄美や沖縄など南島にもあり、日本列島周縁の人々の世界観・他界観であったことが分かる。
2.なぜアイヌ・南島・海民なのか
〇アイヌ・南島・海民は、縄文習俗であるイレズミを近代まで伝承
九州の海民は、縄文習俗である抜歯も近代まで行う。
〇九州西海岸の海辺には、縄文語としてのアイヌ語地名が残る
志登=shitu 山の走り根。浦志=urai-ush 簗が多い川。波呂=par 河口。伊都=etu 岬の根元。網田=ota 砂。など
〇弥生時代以降も九州西海岸の海民には、縄文人の形質を留める
・長崎市深堀遺跡、五島列島の遺跡
・「魏志」倭人伝の記述
〇奈良時代まで残存した縄文人的形質
・松浦郡値嘉(現在の五島列島)の島の漁民は顔かたちが隼人に似ていて、言葉も土地の人々とは異なる(肥前国風土記)
・南九州山間部の古墳時代人(隼人)の骨は、長崎県など九州西北部の人々と同じ縄文人の形質的特徴を持つ
※縄文の習俗を伝え、漁撈や狩猟など縄文伝統の生業に従事する人々が伝えた共通の伝説は、縄文起源の伝説だったのではないか?
3.縄文起源の世界観・他界観
・海と山の神が往還する世界
・祖霊の世界である山と生者の世界である海をつなぐ、生と死の循環する世界
4.縄文の世界観を伝えてきた人々
〇修験道との関係
・修験道における山は「死の世界」「死者の世界」として他界とむすびついており、出羽三山では、麓で亡くなった人の霊が山頂にとどまるという信仰があり死者供養が行われている
・修験者の伝説
妻を訪ねて洞窟から地底の世界へおもむいた夫が、山頂から神になって現れるモティーフは、アイヌの他界観と一致。
※狩猟民や海民と深い関わりを持ち、海辺や高山山頂を他界とみなして修業を行う修験者も、縄文の世界観・他界観を伝えてきたか?
5.古代神道と縄文の世界観
〇出雲大社と縄文の世界観
出雲大社は、中世には高さ48m、古代には96mあり、長さ100mの階段が架けられていたと伝えられる。高層の神殿はいわば人工の山。
出雲大社は海民の神殿であり、縄文の世界観を具現化する装置だったのではないか
〇大山祇神社、沖の島
縄文の世界観とつながる。
〇動物供犠
律令国家の神祇官に属す卜部は、動物を用いた占いと動物供犠の祭祀に従事する動物と深く関わる人々で、海民性、縄文性が強い。
〇呪術・祭儀と縄文
縄文性をとどめた人々には、呪術と芸能の力があり、王権を守護する呪術的性格を持つものとして、王権の存続に不可欠だった。
5.農耕民と縄文の世界観
山と平地の「二元的」な世界観、往還する神の世界観は、縄文の世界観の構造を継承するが、海の神は失われ、海から続く世界である川は、海の神に帰属しない「無主地」となって農耕民の世界に取り込まれる。
6.来訪神(まれびと)の世界観
海と山の神、祖霊と生者が交感する縄文の世界観を伝えるものではないか。
7.生き残る縄文の思想
海民の社会では、自由の尊重、社会とのゆるやかなつながり、売買を嫌って贈与する、平等な分配などが尊重された。この海民の生き方は、アイヌや南島という縄文の習俗をとどめた人々の気風でもある。自殺率の低い自治体のトップ10はすべて海辺の町。新潟県から沖縄県に所在する「生き心地の良い町」はほとんど「島」であり、海民の世界だった。
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◇縄文文化の現代的意義
海と山の二元的世界からなる縄文の世界観は、海中に屹立する山脈という日本列島の風土に育まれたものといえる。海と山の空間的な構造に生と死が投影されたものが、日本列島人の基層的な思想となっているようだ。縄文人は、弥生人に淘汰されたのではなく、縄文文化も弥生農耕文化に上書きされたのではなかった。日本列島には、失われたかにみえる二千年以上前の縄文の思想がいまなお息づいているようだ。もう一度縄文というものを見直してみる必要があるのではないか。それこそが、縄文文化の現代的な意義といえるのではないか。

 以上がお話の概要ですが、縄文の世界観はどんなものか、またそれが今も私たちの中に残っていることが良くわかりました。

 最後に受講者から寄せられたコメントの一部をご紹介します。
「お話を聞いて縄文の世界観に引き込まれました。お話がわかりやすく聞きやすかったです」
「出来れば3回くらいに分けて、アイヌのお話をもう少し詳しく伺いたかった」
「興味が尽きない程深く話を聞くことができた」
「非常に話が丁寧でわかりやすかった。話が上手で良かった。今後は北海道アイヌの歴史についてもお話頂ければ幸いです」
「アイヌの歴史を知りたかった。思想にかたより、伝統や文化は不明のままだった」
「瀬川氏の考古学を超えた考え方もあると感じた。今後の考古学の拡がりを期待していきたいと思います」
「縄文文化が現代までも続いていて残っているとの話を大変興味深くお聞きしました」






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