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主催講座6「石狩歴史散歩」

第1回「本町地区の碑と開拓の歴史を訪ねて」

2018/07/17

 7月14日(土)、主催講座6「石狩歴史散歩」の第1回「本町地区の碑と開拓の歴史を訪ねて」を行いました。講師は、石狩市郷土研究会会長で場所請負人村山家子孫の村山耀一さん、受講者は33名でした。
 バスで公民館を出発して最初の見学地は八幡墓地です。
◇八幡墓地
①榎本氏女乙女子之墓
石狩役所関係の家族の墓と思われる。
それまで禁じられていた神威岬以北の婦女子の通行が安政3(1856)年に許された。この墓は、その後に建てられており、石狩に残る女性の墓碑としては最古。
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②樺太アイヌ碑(平成14年建立)
明治8(1875)年調印の樺太・千島交換条約により、樺太南部のアイヌ108戸841人は宗谷地方に移り、更に翌年江別市対雁(ついしかり)に強制的に移住させられた。農業に馴染まぬアイヌの人たちは多くが漁場の近い石狩の来札などに居を移したが、明治13(1880)年に流行したコレラや明治19年の天然痘、コレラで多くの犠牲者を出した。アイヌの人たちは、明治38(1905)年の日露戦争講和条約により日本の領土となった樺太にようやく帰ることができた。
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◇本町地区
①レリーフ「先人たちの碑」説明盤(平成2年設置)
石狩の未来を石狩川の流れに託した先人たちの歩みを顕彰するもので、石狩を象徴する鮭と市花のハマナスをモチーフにデザイン化している。
図案:荒井金助(箱館奉行所石狩詰役所役人、場所請負を廃止し石狩場所の改革を行う)、石狩川鮭獲り(アイヌの人々は丸木舟をあやつり生活の根幹となる鮭を獲った)、運上屋(場所請負人の交易所)、北前船(上方から蝦夷地までをつなぐ買積船)と近代貨物船(石狩湾新港に入港する本州からのセメントタンカ―船)、鮭地引網漁、農耕(石狩の砂地水田は、昭和22年以降市内全域に広がった)
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②運上屋(元小屋、平成12年設置)棟
運上屋を模して作られた弁天歴史公園の管理棟。
文化12(1815)年、石狩13場所は村山家が一括請負していたが、各場所に運上屋を設けず石狩河口に共同の運上屋を置き、「元小屋」と称した。
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③太郎代天曝観音碑(昭和18年建立)
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④井上伝蔵句碑(俤の眼にちらつくや たま祭り、平成14年建立)
秩父事件の中心人物・井上伝蔵は伊藤房次郎と名を変えて石狩に潜伏していた。
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⑤石狩弁天社(石狩市指定文化財第1号、昭和42年指定)
元禄7(1694)年、松前藩家臣山下伴左衛門によつて建てられたと伝える。村山家では守り神として大切にされた。主神は弁天さまだが、石狩川の主と伝えられる「チョウザメ」を神格化した「妙鮫法亀大明神」も祀られている。もともとは、今の八幡神社の場所にあったが、明治7年に現在地に移された。
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・鰐口
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・妙鮫法亀大明神(北海道指定文化財)
地元では、鮫さんと呼ばれ「鮭漁の神」として親しまれた。
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⑥石狩海浜ホテル跡地(石狩浜海浜植物保護センター敷地)
建築家・田上義也の設計により昭和12年竣工。戦時下、石狩第二健民修練所となり、昭和20年7月に石狩空襲で全焼。
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※バス車窓から、石狩画廊、無辜の民像、石狩川河口の碑などを紹介
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⑦石狩八幡神社
安政5(1858)年、八幡町に創立、明治7年にそれまで弁天社があった現在地へ。「蝦夷地総鎮守」として札幌神社より古い。
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・石鳥居
もともと弁天社の鳥居だったもので、道内最古の「秋味」の文字が彫られている。
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・御神燈軸石
慶応4(明治元)年に井上弥吉が奉納。現在では燈籠は散逸している。
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・八幡神社碑(昭和2年建立)
戦後の正教分離により一部の文字が消されて「石狩〇〇〇八幡神社」となっているが、元は「石狩郡郷社八幡神社」と記されていた。
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⑧宝珠山 金龍寺(安政4年創立)
函館奉行所石狩役所詰役人・荒井金助の弟、栄太郎を弔う為創立。寺名は、京都の公家が夢に見た龍と荒井金助の金を取って名付けられた。
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・手水鉢
元は弁天社にあった。石狩で一番古い手水鉢。
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・金龍寺の鮫様(龍神・妙亀菩薩・鮫神像)
北海道指定文化財(平成19年)。明治22年に生振村の古谷長兵衛が奉納。
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⑨石狩川河口渡船場跡地
石狩川最下流の渡船場。江戸時代から続き、昭和30年には国営渡船場に指定されて国道となった。昭和34年に鉄製の船が就航して通年運航が可能となった。石狩河口橋の本格運用により昭和53(1979)年に廃止。
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 以上が本日の巡回見学の概要ですが、多くの碑を丁寧に紹介して頂いて、江戸時代から石狩場所として鮭漁で栄えた本町地区の在りし日の姿をよく想像する事が出来ました。

 受講者からはたくさんのコメントがよせられましたので、その一部をご紹介します。
「石狩市民はS51年からで長いですが、大部分が初めての所ばかりで、大変勉強となり、今日の日程大満足しました。事前の計画、種々大変だったと思います。ありがとうございました」
「村山先生の丁寧な説明、詳しい資料は永久保存版ですね。カレッジ1年生なので、過去に見学したであろう個所も再度訪問して頂ければぜひ参加したいと思っています。よろしくお願いします」
「改めて石狩の歴史の深さを知り感銘しました。厚田区、浜益区の探求が楽しみです」
「大変盛り沢山の講座だった。少し数を絞ってじっくり見たかった面もある。バスの乗り降りがたいへん。冷房も効き過ぎ、マイクが聞き取りにくかったところがあった」
「いつもながらのきめ細かな解説、豊富な資料、分かりやすいお話の村山先生のフィールドワーク、大満足の半日でした。ありがとうございました。海浜ホテルの遺構も初めて!さすがに実感できてよかった~!!参加出来て良かったとつくづく感じます、感謝です」
「日頃何気なく見過ごして来ましたが先生の実感のあるご説明をうけ良く理解でき、有意義な講座で次回も楽しみです」




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