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開校10周年記念講座「明治4年、私塾からはじまった石狩小学校~八幡小学校との統合を前にして~」

2019/02/08

 2月2日(土)いしかり市民カレッジ開校10周年記念講座「明治4年、私塾からはじまった石狩小学校~八幡小学校との統合を前にして~」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、石狩市郷土研究会会長の村山耀一さん、受講者は59人でした。
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 講座に先立って、石井滋朗運営委員が「数字で読み解く市民カレッジの10年」と云うテーマで市民カレッジ10年間の受講者数、HP閲覧数などのデータを紹介、併せてHPの機能について説明しました。
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 以下は、講座の概要です。

石狩小学校は、昭和31年7月に完成した北海道で最初の円形校舎の学校で、平成31年2月現在現役として使用されている。しかし、2020年4月1日に八幡小学校と統合し校舎も使用されないので、2020年3月31日をもってその歴史を閉じることになっている。
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1.石狩改革と「教導館」
・安政5(1858)年
石狩改革を行った幕府役人の荒井金助は、教育にも力を注ぎ「教導館」を建てた。これが、石狩の教育の始まりと云われている。

2.石狩教育所開設と鵙目(もずめ)貫一郎
・明治4(1871)年
有志者により、横町の借用民家で児童20余名の寺子屋が始められた。これが、石狩町の教育の始まり。
・明治6(1873)年
明治5年の「学制」発布を受けて、「公立石狩教育所」が開設。これは、安政時代の「教導館」、明治4年の開拓使立資生館、官立函館学校に次ぐもので、道内有数の歴史を誇る。明治6年までに札幌本庁管内で創設された公立教育所(学校)は、わずか12箇所。
・明治8(1875)年2月
船場町の民家を仮教育所としたが、同月鵙目貫一郎が弁天町の元本陣跡に開設。
△鵙目貫一郎
仙台岩出山藩士。明治3年に藩主伊達邦直と共に渡道。鵙目は病弱のため当別開拓には同行せず小樽へ。明治5年、小樽で「鵙目塾」を開設。明治6年「鵙目塾」は「小樽郷学校」として開校、鵙目は初代校長を務める。7年、小樽郷学校は、「小樽教育所」(後の小樽市量徳小学校)と改名。鵙目は健康上の理由で辞職。明治8年1月に石狩で教育所を開設することを伊達藩同胞吾妻謙から知らされ応募、採用される。几帳面な人柄で、諸事の詳細な記録「鵙目貫一郎日記」を残す。
・明治9年
石狩市街で大火発生、教育所も類焼。鵙目は、川向うの八幡町の「当別物揚げ場」に仮住まいし、臨時の家塾を開く。同年、官給、区費の各郡教育所教師に対する新教育伝習が行われ、鵙目も受講。
・明治10年
鵙目貫一郎死去(享年37歳)。当別東裏墓地に埋葬される。
3.明治期の石狩小学校
・明治10(1877)年
教育所は、親船町説教所(能量寺)に移転。
・明治11年
弁天町に新築(今の番屋の湯辺り)
・明治12年
「公立石狩学校」と改称。
「学制」が廃止され「教育令」が制定される。
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・明治13年
六科(読書・習字・算術・地理・歴史・修身)を指導できる正則小学校と具備できない変則小学校に分けられた(札幌本庁管内の正則小学校は石狩小を含む10校のみ)
・明治19年
「若生分校」を設置。
・明治23年
「教育勅語」」発布。
・明治24年
校長が置かれた。石狩小の初代校長は、全道に高名な岡藤崎太郎。
・明治28年
「石狩尋常高等小学校」と改称。
・明治30年
「石狩水産補習学校」併置(全道で初めての補習学校)
・明治32年
三代目校長に得丸迅能(トキヨシ?)赴任。「石狩小学校生徒訓練の要目」(目上を敬う気持ちや自主性を強調)を発表。「高岡分校」設置。
・明治34年
4月より尋常科は修身、国語、算術など8科目で修業年限4年。高等科は、修業年限2年(翌年から4年に)。「高岡分校」が「高岡尋常小学校」として独立。
・明治35年
道庁訓令で「実業補習学校規定実施方法」が定められる。
・明治36年
「若生分校」が「若生尋常小学校」として独立。四代目校長、渡辺永助赴任。
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△渡辺永助
井上伝蔵と親交。考案した「わたなべ式計数器」は特許を取り、道内の小学校で用いられた。尚古社社員で俳号は「人也」
・明治38年
「石狩商業補習学校」併置。
・明治41年
「発泉分教場」を設置。

4.大正から昭和初期の石狩小学校
・大正5(1916)年
校旗制定。
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・大正7年 校章制定。
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△水泳の歌
水泳講習会(大正末期~昭和13年頃が最盛)が行われ、「水泳の歌」と云う歌があった(吉岡玉吉氏の歌声、吉岡氏の歌を採譜した高橋たい子氏の歌声が流されました)
・大正12年
「若生分教所」が独立して「若生尋常小学校」となる。
・大正15年
「石狩青年訓練所」併置。
・昭和5(1930)年
「石狩実業補習学校」併置。
・昭和11年
青年訓練所に代わる「青年学校」を併置。
・昭和16年
「石狩国民学校」と改称。
・昭和18年
校歌制定。
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△校歌
明治5年の「学制」制定以来、教育の門戸が開かれ様々な生徒が集まる中、校歌は価値観や思想を統一する有効な手段として効果があった。また、昭和20年まで行われた認可制度の過程で、忠君愛国の思想を盛り込むように指導された、と云われる。

5.全道初の円形校舎で最後まで現役
・昭和22(1947)年
「石狩国民学校」を「石狩小学校」と改称。「石狩国民学校高等科」は、「石狩中学校」となる。
・昭和31年
7月に全道初のコンクリート円形校舎が竣工(総工費2,200万円)
・平成8(1996)年
市政施行により「石狩市立石狩小学校」と改称。
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・平成31年2月
現役の円形校舎として存続。開校146年目。
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・2020年4月
八幡小学校との合併のため、円形小学校は使用されないことになる。

 以上が講座の概要ですが、村山さんの詳しいお話を聴いて、石狩の教育の歴史や石狩小学校の歩みが大変良く分かりました。又、お話ぶりも軽妙で、会場は真剣な中にも和やかな笑いに包まれていました。
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 感銘を受けた受講者からは、たくさんのコメントが寄せられましたが、そのいくつかをご紹介します。
「ユーモアあふれるお話に引き込まれました。石狩の教育の歴史を知ることができ、また楽しく受講させて頂きました。ありがとうございます」
「本件の記念講座については、資料も解りやすく村山先生のお話も非常に解りやすかった。また、石狩の教育のルーツ(歴史)を知って、驚いた次第です。村山先生の話術、さすがです、おもしろい」
「やっぱり村山先生の講義は面白い!特に校歌のお話は楽しかった。昔は著作権はなかったのですね。時間が短く残念でした」
「石狩の教育が明治の初めから道内の他の地に比べて素晴らしい教育者のおかげで発展し今日に至っていることをお聞きして何か誇らしく思いました。教育の大切さを知りました」
「興味深い歴史のエピソードがちりばめられ、多くが初めて知る内容で大変勉強になり面白かったです。特に鵙目貫一郎の話は素晴らしかったです」
「大変わかり易く興味深かったです。井尻家や当別・伊達藩の話も出てきたり、本筋以外も興味深く聞きました。ウィットに富んだ村山先生の話も楽しかったです」
「いしかり市民カレッジ10周年おめでとうございます。充実した内容にひかれて札幌から入れて頂いています。20年50年100年と続いてくれる事を願っています」

 
  

 




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