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主催講座14 「北前船ものがたり」

第2回 「北前船の活動範囲と地域社会への影響」

2016/12/09

 平成28年11月30日(水)講座14『北前船ものがたり』の第2回「北前船の活動範囲と地域社会への影響」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は小樽商科大学グローカル戦略推進センター地域経済研究部学術研究員の高野宏康さん、受講者は63名でした。
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 高野さんは北前船の船主集落として知られている石川県加賀市橋立町のご出身であり、本講座の話し手として将に相応しい講師をお迎えしたことになります。最初に、自己紹介とご自身の研究について話されました。研究テーマは「小樽・後志の歴史文化の発掘と地域観光資源化」で、地域に貢献するグローカル型大学の小樽商科大学において、「北前船」や「マッサン」、「潮まつり」、「商店街」などの具体的テーマに取り組んでいるとのことでした。
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 高野さんのお話しの概要を以下に紹介致します。

 最初に、高野さんの出身地であって「北前船の里」といわれている加賀橋立について説明があった。橋立は大正5(1916)年発行の月刊誌「生活」において「日本一の富豪村」と紹介されており、船主集落の富の象徴である赤い屋根瓦の家が今も多く残されている。
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1.北前船について
 前回の復習として、「北前船とは?」について説明があった。北前船は、近世から明治期にかけて、日本海と瀬戸内海を結んで大阪と北海道(蝦夷地)の間を商売しながら航行する買積船のことである。船型としては北国船、羽賀瀬船、弁財船、西洋型帆船、合の子船などがあるが、汽船は含まれない(牧野隆信の説)。運行形態は買積、船主は北陸出身者が中心であるが、それ以外の例もある。地域によってはベンザイ船、千石船、バイ船などとも呼ばれている。
 北前船をタイトルに使った最初の本として越崎宗一著の『北前船考』(1957年出版)がある。越崎は1968(昭和43)年に厚田村史編さん委員会紙「弁財船」25号にも「北前船往来」という文章を寄稿している(下の写真参照)。越崎は小樽市生まれで元小樽博物館長であるが、実家は石川県で加賀市大聖寺出身である。
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 北前船の船型としては、弁財船、北国船、羽賀瀬船、西洋型帆船あるいは合の子船などがある。弁財船の例として八幡丸(1357石)を以下に示すが、船首のそりを強化した"ずんぐり型"が特徴である。
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 北前船の歴史的流れとしては、近世以前に北海道から京都へ海産物が運ばれるなど日本海沿岸諸港での交通が結構あったが、近世になって米を京都・大坂・江戸に廻送するようになり、加賀藩は陸上ルート(加賀→敦賀→大津)に替えて下関廻りで大坂に至る海上ルートを開拓した。この海上ルートの開拓は、河村瑞軒が「西廻り航路」を開拓する33年前の寛永16(1639)年のことであった。近世初頭には近江商人がアイヌとの交易などで大きな利益を得ていたが、その船(荷所船)の船員は北陸の船乗りが中心であった。18世紀頃に北陸の船乗りが近江商人から独立するようになり、買積船という形での北前船の活動が活発化した。
 北前船の航路としては、大坂を基点として瀬戸内海から日本海諸港を経て北海道を往復する西廻り航路が中心であったが、国後や択捉で獲ったシャケや鱈を運ぶ船が三陸の太平洋側を通って江戸に入り、東海から紀伊半島沖を通って大坂に至る東廻り航路を取ることもあった。
 北前船の各地での積荷としては、以下のようなものがある。北海道の積荷は肥料になるような海産物が多くあった。
 大坂:木綿、酒、糸、雑貨など
 瀬戸内海諸港:塩、紙、竹、砂糖、生蝋など
 小浜、敦賀:わら製品(縄、むしろ、俵など)
 福浦、輪島、直江津、新潟、佐渡:米、酒など
 北海道:海産物(身欠きニシン、ニシン〆粕、数の子、昆布、鰯粕、鱒、鱈など)

2.北前船の活動範囲
 北海道における活動は近世では江差、松前、函館などの道南が中心であったが、近代になると北海道開拓のための物資輸送や人の移動などが増え、小樽などにも寄港するようになった。活動範囲を示す地図の1例を以下に示す。北海道に限ると石狩や厚田、浜益、増毛などにも寄港していたが、これらについては今後研究する必要がある。
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 北前船の活動は、現在の「日本」の領域にとどまらず海外にも及んでいた。例えば、幕末の加賀藩で活躍した銭屋五兵衛(1773~1852)は、タスマニアや鬱陵島あるいは北米まで足を延ばして密貿易を行なっていたという伝説があるが、のちに海外貿易の先覚者として再評価されるようになった。司馬遼太郎の小説で有名な高田屋嘉兵衛(1769~1827)は択捉島の開拓に尽力した。また、北前船頭であった高野愛吉(1884~1964)は北洋漁業に転換し、択捉水産株式会社で活躍した。高野愛吉は加賀橋立の出身で、今回講師の高野宏康さんの曾祖父に当たる人物である。この他、根室や千島で漁場を経営し後に函館財界の重鎮となった平出喜三郎(初代)(1841~1907)や北洋漁業で母船式沖取漁業を推進した平出喜三郎(二代目)(1876~1931)などもいた。両人とも橋立の出身である。

3.地域社会への影響
(1) 船主集落の特徴
 船主集落としては、前述した加賀橋立の他に瀬越(加賀市)や河野(福井県南越前町)もあった。加賀橋立については、北前船研究の第一人者である牧野隆信によって詳しく研究されている。19世紀以降には巨大な「北前船主型民家」が多数建設され、北前船の衰退後も家屋や石垣が残されている。船主達は学校や銀行の設立あるいは文化人の排出などでも様々な影響を及ぼした。北海道においても、函館弁天町の厳島神社の鳥居は「加州橋立浦廻船中」、江差鴎島の弁天社鳥居は「加賀橋立船頭中」の寄進であると記されている。

(2) 寄港地との関わり
 北前船は小樽にも寄港し、随分賑わったとされている(以下の小樽港の写真参照)。小樽では北前船主が関わった石造倉庫(小樽倉庫、大家倉庫、右近倉庫、広海倉庫、増田倉庫など)が多く建設された。下の写真の倉庫は明治24(1891)年に大家七平によって建設された大家倉庫で、腰屋根のある石造倉庫が特徴的である。大家七平は加賀市瀬越の出身で、大家倉庫の建設の他にシベリア諸港との航路開拓や日本火災海上保険株式会社の設立等で活躍した。また、橋立出身の西出孫左衛門と西谷庄八は明治23年に北海道初の営業倉庫として小樽倉庫を建設した。現在は小樽市総合博物館などとして利用されている。屋根のしゃちほこが特徴である。小樽には、加賀の北前船主が小樽滞在中に宿泊した旧塩田回漕店の別邸(現・夢二亭)なども残されている。北前船主は旧第四十七銀行(のちの北陸銀行)の設立にも協力した。
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 北前船の目に見えない影響としては、北陸にルーツを持つ文化や菓子店などが挙げられる。「高島越後盆踊り」は、明治10年代の大火を契機として新潟から高島に移住した人達が伝えたものである。また、小樽には北陸にルーツのある菓子店が多くある。例えば、小樽の洋菓子喫茶店「あまとう」は石川県加賀市大聖寺(吉崎)出身の柴田昇が創業したもので、北前船寄港地である加賀から岩内、利尻を経て小樽に移り住み、菓子店を開いた。同じように、富山県氷見市出身の光清四が開いた「ケーキの館」も有名であった(2013年に倒産)。ほかにも、新倉屋、杉本花月堂、水晶堂など小樽の老舗菓子店はいずれも北陸にルーツがある。

 北前船の目に見える痕跡として、船絵馬や笏谷石(シャクダニイシ)がある。船絵馬は北前船主たちが奉納したもので、小樽で最も古い龍徳寺の金比羅殿に8枚の船絵馬があることが最近確認された。厚田にもあるようだが、今後調査する必要があるだろう。また、越前で産出した笏谷石が寿都町のカクジュウ佐藤家(明治10~20年建設)の基礎石や玄関の縁石などに使われている。ここは北海道有形文化財に指定されており、今も見学できる。
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 最後に、北前船の現代的意義についても触れ、北前船の歴史遺産を「日本遺産」として登録する取組みが始まっていることを述べられ、講座は終了しました。北前船について幅広く、また奥深く掘りさげた貴重なお話しでした。

 受講者の感想や意見として以下のようなものがありました。
・前回は北前船の歴史的な面、今回はさらに進んだ現代までの様々なつながりや活用方法などのお話しが聞けて、大変興味深かったです。有難うございました。
・北前船の最盛期は明治期だったこと、北洋漁業にもつながっていること、小樽には関連施設として運河倉庫群、銀行や菓子店など多く残っていることなど、興味深く聴けました。
・北前船が明治大正まで活躍していたこと、北海道開発に北前船主が大きな力を発揮していたことがわかりました。今まで気にとめていなかった北前船主のこともわかって、素晴しい内容でした。
・今こそ再評価し遺産として保存しなければ歴史的財産が失われてしまうと感じた。北前船を訪ねてのツアーにも参加したい。
・資料の「いまに生きる『北前船』の記憶」を読んで、北前船の里(筆者の出身地)のことや町が生んだ賢人の足跡と記憶を未来へ伝える努力が必要だと感じました。
・今日の講座を聞いて石狩弁天社にある絵馬も北前船の船絵馬なのか?




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