いしかり市民カレッジ

トピックス

トップページ トピックス 主催講座12 「北海道150年物語」


トピックス

主催講座12 「北海道150年物語」

第2回 「北海道の開拓とお雇い外国人~欧米文化の移植~」

2016/10/26

 10月21日(金)講座12「北海道150年物語」の第2回「北海道の開拓とお雇い外国人~欧米文化の移植~」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は北海道博物館学芸主査の三浦泰之さん、受講者は50名でした。
 今回は、お雇い外国人たちが北海道開拓に果たした役割と、文明開化といわれる世の中で開拓使とはどういう存在であったのか、という二つの話題が中心です。 

 以下、その概要を紹介します。
 
16,12,2,1.jpg
はじめに 
◇お雇い外国人とは?
・明治期に近代化に邁進した日本において、官公庁や企業などに雇われた外国人のこと。
先進諸国に追いつき追い越せと「富国強兵」「殖産興業」を掲げた明治政府において、欧米の知識や技術を吸収して近代化を図るために雇われた。
・ユネスコ東アジア文化研究センター編『資料御雇外国人』(小学館、1975)によれば、明治元年(18689)~明治22年(1889)における総数は2,299名。その内、中央省庁雇いの1,364名の内訳表1(出典:札幌市1991年)
 
16,12,2,3.jpg
 
16,12,2,2.jpg
・開拓使も西洋近代技術による北海道開拓を進める上で62名を雇用(実際には78名)
開拓使に雇われたお雇い外国人
◇お雇い外国人雇用の背景
*明治3年(1870)5月9日、樺太専務の開拓次官黒田清隆の「十月建議」
①大臣を総督とする鎮府を石狩に置き、全道を統括すべきこと
②樺太開拓使は石狩鎮府に統轄すべきこと
③全道を朝廷に収め、諸県を分立すること
④北海道・樺太の年間予算を150万円とすること
⑤大臣・納言が実地検分して、一定不易の開拓方針を樹立すべきこと
⑥開拓経験の豊かな外国人を招聘して開拓方針を確立すべきこと
⑦留学生を各国に派遣すべきこと
⇒政府は、この黒田の建議を受け入れ、黒田に「外国人雇入」や「開墾機械は米国へ注文」などを指示。
・明治4年(1871)1月4日、黒田はアメリカなどに向け横浜を出航。
・明治4年(1871)3月26日、アメリカ合衆国農務長官ケプロンを「教師頭取兼開拓顧問」に雇い入れ決定。年俸10,000円(現在換算5千万円~1億円)
・明治4年(1871)7月7日、ワーフィルド(測量・土木系主任技師)、アンチセル(地震・鉱物系主任技師)、エルドリッジ(秘書兼医師)を伴い来日。
 
16,12,2,4.jpg
◇なぜアメリカに?
北海道との気候風土の類似性、いわゆる「西部開拓」の経験を重視。
 
16,12,2,5.jpg
◇ケプロンの開拓構想
*「開拓使顧問ホラシ・ケプロン報文」からその要旨をまとめると、以下の通り。
①基礎的画策
・気候,地勢、地質、物産などの調査
・地形測量や開拓地の区画設定
・交通,運輸の整備
・移民の諸権利を保護する法規の制定
・衣食住などの生活文化に係る旧慣の変革
②基礎的画策を踏まえた上での諸産業の振興
・農業では欧米農法の導入
・林業では単純な原木供給から製造加工品生産への転換
・漁業では旧来の独占的・略奪的漁業を廃し、漁場の開放や資源保護、そして、加工品の開発と移輸出市場の拡大
・鉱業では資源調査、開採への民間資本の導入
・工業では機械生産の導入と、北海道固有の原材料を活かした自給と移輸出の拡大
⇒開拓使は、ケプロン構想を援用しつつ、官営主義・保護育成主義のもとで、政策を展開。北海道の自然・地理的状況の科学的調査、札幌の都市建設、さまざまな官営工場の設立など、経済・産業面のみならず、文化的な面でも大きな影響を与えた。
◇開拓使のお雇い外国人
*国籍別・職種別の特徴
 
16,12,2,6.jpg
*お雇い外国人の内訳
①開拓使の初期にケプロンの統轄の下で職務に従事したグループ(32名)
【アメリカ】
・開拓顧問...ケプロン
・学校教師...ランドルフ、ベーツ、ロックウェル、コーウィン
・気船乗組員...アスキンス、ウィルソン、クラーク、ロウランド、ピアソン、ブレンチスト、ピィターソン、アーメス、クラーク
・測量・土木...ワーフィルド、Jクラーク、デー、ワッソン
・地質・鉱物...アンチセル、ライマン、マンロー
・農業・牧畜...ボーマー、セルトン、ダン、ティロル、ブラウン
・皮鞣...ウェルフ
・機械、工作...ホルト、Sクラーク
・缶詰製造...トリート、スウェット→(開拓使石狩缶詰所)
・医師...エルドリッジ
 
16,12,2,8.jpg
 
16,12,2,7.jpg
②W.S.クラークの指導下で札幌農学校教師に赴任したグループ(6名)
【アメリカ】
・学校教師...W.Sクラーク(教頭)、ホイラー、ベンハロー、ブルックス、カッター、ピーボディ―
 
16,12,2,10.jpg
 
16,12,2,9.jpg
③官営幌内炭鉱のグループ(11名)
【アメリカ】
・鉄道建設...クロフォード、ブラウン、ハロウェイ、マキューン、レーノルズ、ホイラン、ストリクランド、ウイン、ゴージョダウス 
【イギリス】 
パリ
*幌内から札幌、小樽手宮までを鉄道で結ぶ(明治15年11月開業)
16,12,2,11,1.png
開拓使独自の見解で雇用されたグループ(29名)
【中国】13名  清国から出稼ぎ的に入る。
・皮鞣...2名  ・通訳...1名   →函館に
・農夫...10名→明治9年、札幌丘珠に入植。范永吉、許士泰の二人は日本に帰化。
【その他の国】 前記 表-2参照
※当初契約年俸は、10,000円のケプロン、9,600円のファン・ゲント、7,200円のW.Sクラーク以下、69円の中国人農夫までさまざま。
※当初契約期間は最長で3年、平均で2年1か月。再雇用もほぼ短期。
西洋近代技術を積極的に導入した開拓使への〝視線〟
◇明治初期の「文明開化」社会における開拓使の位置・役割
*開拓使が東京に設置した官園を素材に、少し広い視野で開拓使の位置・役割について探る試み。
◇開拓使東京官園とは?
*設置の意図
・欧米から様々な動植物の良い種類を導入し、北海道の開拓に役立てる。直接北海道に移しても合うかどうかわからない。まず東京で試み、北海道の風土に合うかどうか実験して後、函館七重の試験場に移し、順次道内各地に普及させる。また、実習生を入れ、西洋の農業技術を学ばせ、北海道に技術や農法を広める。
*開拓使東京官園(東京農業試験場)の推移
・明治4年(1871)9月に設置。東京出張所農業課が管理。
第1号官園...青山南町(元、伊予西条藩松平家上屋敷 約40,000坪)
第2号官園...青山北町(元、山城淀藩稲葉上屋敷 約50,000坪)
第3号官園...麻生新笄町(元、下総佐倉藩上屋敷 約47,000坪)
東京官園がどのような役割を果たしたか、幾つかのエピソード紹介
◇事例1 開拓使東京官園の回想
*「開拓使の官舎生活」(篠田鑛造『明治百話』四条書房、1931年、引用は岩波文庫版)
◎開拓使について、「文明開化の魁」、「開拓使が文化の率先、欧米物の輸入の功績は、決して明治史から没すべからざるものであろう」、「文明開化の欧米風が吹きまくっていた」など、文明史的に評価している。
◇事例2 ケプロン日誌と開拓使東京官園
*ホーレス・ケプロン『ケプロン日誌 蝦夷と江戸』(北海道新聞社、1985帰国後、1884(明治17)年に回想録風にまとめた内容。
◎ケプロンには、西洋の近代的な農業技術の導入は、北海道の開拓にとどまらない意図があったこと(その意図が達成されたか否かは別にして)がわかる。
◇事例3 開拓使東京官園についての新聞記事
◎開拓使東京官園の活動実態と、官園への〝視線〟の交錯がうかがえる。
①『郵便報知新聞』明治5年(1872)11月付、第29号
②『新聞雑誌』明治6年(1873)3月付、第81号
③『郵便報知新聞』明治6年(1873)3月付、第43号 
④『日新真事誌』明治6年(1873)3月17日付
⑤『東京日日新聞』明治6年(1873)11月17日付
◇事例4 ある外国人が見た開拓使東京官園
*C・ホイットニー『勝海舟の嫁 クララの明治日記』(上・下、中央公論、1996年)
・クララ・ホイットニー(明治19年(1886)に勝海舟の三男と結婚)
・クララの父、ウィリアムが東京商法講習所の教師として来日。
・日記を書き始めた明治8年(1875)、クララ14歳。
・勝海舟の三女、逸子(お逸)は、クララと同ない年で親友。
・日記には当時の日本風俗、市井の生活の様子が細かく描写。
◎散策の場、買物の場、異文化コミュニケーションの生まれる場など、東京に滞在もしくは寄留していた外国人たちにとって、東京官園が持った意味がうかがえる。
 
16,12,2,12.jpg
◇事例5 開拓使東京官園への府県からの注目
◎新潟県より東京官園の人材及び種子類の提供依頼があったこと、豊岡県より、東京官園の見学依頼があったことなど、開拓使の先駆的な取り組みへの府県からの注目の存在がうかがえる。
→開拓使東京官園は北海道開拓のための「外国種輸入の中継所ならびにその試験場」として歴史的に評価されてきた。しかし、ケプロンは、当初構想において開拓使東京官園に北海道開拓に限らない文明史的な役割を果たせることを意図していたし、北海道開拓とは別の意味合いで、時代的にも注目を集めていた。
⇒北海道開拓を主目的として導入した西洋近代技術が、北海道開拓への役割以外にも、近代日本社会においてどのような意味を持ったのかを追及する作業は、黎明期の近代日社会や文化を考える上で重要な課題の一つである。

 以上が本日のお話の概要ですが、受講者からは、「今回も楽しく、とても分かり易く大満足でした。」などの感想が寄せられました。要約して幾つか紹介します。
・150年前のダイナミックでパワーあふれる北海道の姿を思い描くことが出来た。未開の地北海道の開拓、人材育成、産業振興に果たしたお雇い外国人の貢献が現在の北海道であった事を深く感銘を受けた。多くの外国人の力を用いて、北海道開拓が行われたことを改めて認識できた。「開拓使官園の回想」「ケプロンの回想録」「クララの日記」などゆっくり読んでみたい。等々。




 




CONTENTS コンテンツ

カレッジ生募集中 E-mailでお問い合わせはこちら

いしかり市民カレッジ事務局

〒061-3216
石狩市花川北6条1丁目42
石狩市公民館内
Tel/Fax
0133-74-2249
E-mail
kouminkan@city.ishikari.hokkaido.jp
このサイトは、さくらインターネットのサーバで動いています。

ページの先頭へ

ご意見・お問い合わせプライバシーポリシーサイトマップ