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主催講座6 「石狩歴史散歩」

第1回 「~『新港・花畔』地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて~」

2016/07/14

7月9日(土)、講座6「石狩歴史散歩」の第1回「~『新港・花畔』地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて~」を行いました。講師は石狩市郷土研究会会長で場所請負人村山家子孫の村山耀一氏、参加者は26名でした。
今回の講座は、碑や遺跡をバスで巡りながら、当時の人々の地域に対する思いや碑文に込められた願いを感じとる歴史散歩です。
その概要を紹介します。
公民館について
今出発した公民館は、元花川中学校校舎です。昭和22年新制中学校として建てられ昭和62年3月に閉校になり、4月から公民館として活動をはじめ、今年で29年間も頑張っていることになる。
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いしかりと石狩川の関わり
さて、石狩は何といっても石狩川と関わりが深い。源流は大雪山麓の石狩岳に発し、現在は260㎞程で北海道最長の川です。江戸時代村山家が請負った石狩13場所というのは、石狩川の支流を含めた全体をいう。わかりやすく言うと、明治2年開拓使が治めるようになり、北海道と改名し11国が出来た。その中に石狩国があり、その範囲が石狩川の支流も含めた非常に広い範囲が含まれている。石狩川はアイヌの時代から明治の開拓の時代になっても重要な河川であった。歴史の中では、何度も何度も洪水に見舞われ、特に明治31年の洪水では花畔や生振では4m以上水位が上がったといわれている。これをきっかけに石狩川の蛇行を直線化しようということで、生振捷水路(大正7年から昭和6年)が完成し直線化された。残った蛇行の跡が三日月湖となって、農業の水源や観光資源として活用されている。さらに予想以上に水位が上がった場合のために放水路が建設され、昭和57年に完成した。川の博物館の所にあるコントロールルームで制御されている。
石狩川歴史の森碑
新港南1丁目28-24(川の博物館敷地)
石狩川は明治までは、原始の森を流れる川であった。明治以降開拓が進むが、道路ができるまでは石狩川の水運を利用して奥地へと開拓していった。林業、鉱山資源、農業資源の開発が行われ、そのために石狩川の水質が汚染され、明治の後半には鮭が激減する。しかし現在は水もきれいになり鮭も帰ってきた。
北海道開発局石狩川開発建設部は「水と文化と緑」とを考えた環境整備を図っていこうということでこの碑が建てられた。
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単床ブロック(ヨーカンブロック)
このブロックは岡崎文吉博士が開発・実用化し、大正11年頃に布設されたもの。石狩川の護岸堤防ののり面貼り付け、自然を生かした治水工法である。
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GLAY EXPO GLOBAL COMMUNICATION
新港南3丁目706 (青葉公園内)
平成13年(2001)夏、青葉公園を会場に、函館出身の人気ロックグループ「GLAY」が10万人を超えるコンサートを開催した。それを記念したサイン入りモニュメントである。日本初のオールナイト野外ロックコンサートとして平成11年から始まった。平成27年まで17回を迎えた。
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開港記念碑
新港中央1丁目(道道225号線沿い)
戦後食糧難の時に、戦後第1代町長飯尾円什は水田造りに力を入れた。昭和30年代には穀倉地帯に発展した。ところが減反政策、炭鉱閉山、札幌冬季五輪などの状況により札幌に人が集まるようになる。住宅事情の変化等のタイミングに乗り、昭和40年には新札幌団地の分譲が始まり、昭和45年石狩湾新港の建設が閣議決定され石狩湾地域周辺の開発が進んだ。石狩は苫小牧を例に、砂浜海岸を堀込港にすることになった。北海道、小樽、石狩との関わりの中で旧小樽内(樽川の一部)を小樽に譲渡して現在は銭函となっている。新港は計画ではもう少し伸びるはずであった。この記念碑は平成6年、港が見える公園予定地であるはずの地に建てられた。現在は草木繁り道路からは見えず忘れ去られようとしている。
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樽川発祥之地碑
新港西2丁目784番地(樽川公園内)
樽川という地名の原点は、現在の新川の河口にオタルナイ(小樽内)川があって、そこが地名の発祥であり樽川の発祥の地でもある。新港との関係で小樽市に割譲されたので、地域の人々は移住をしなければならなくなった。
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我等先祖の地を離れここに集まって明日の営農を拓く 碑
花畔北13線6号
この碑は、昭和46年、樽川と花畔の新港地区にかかった方61名が、新港建設に理解を示して新たな土地を求めて活動を始めた。翌年組合を結成し、この地に100町歩の土地を確保し区画整備事業を起こし、その目的を完遂した。はじめは今の市役所のあたりにあったものが、都市計画の中で現在地に移設された。現在は木の陰になり目立たなくなっている。
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はまなす国体記念プレート
花畔337番地(スポーツ広場)
平成元年(1989)第44回国民体育大会(はまなす国体)のソフトボール会場となった。はまなす国体石狩町実行委員会はこれを記念して開会式の前日9月16日に関係者も出席して除幕式を実施建立した。
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同時に記念植樹も行われ、参加した44都道府県の代表者によってエゾヤマザクラ44本が2列に分けて植樹されている。
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旧水田電気揚水ポンプ
花畔北10線 農住団地内
この地域は、後の町長飯尾円什が昭和3年に初めて水田を進めたところで、水田発祥の地です。ここには「創田の碑」があったが、現在は花畔神社境内に移設されている。この揚水ポンプは、戦後の食糧難の時代に米の増産が奨励され、造田事業が大々的に行われた昭和30年代の最盛期に活躍した。そのポンプがこうして形を残していることは貴重な歴史遺産である。以前は鉄さびで赤くなっていたが、3年ほど前に腐食防止のために塗装されたそうである。プレートには「ゐのくちポンプ」1952年(昭和27年)製造とあったが、塗装によって見えなくなっている。
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花畔神社
花畔573番地
花畔神社は創立当時花畔北8線にあった。昭和48年石狩湾新港開発により、この地にあった花畔瑞穂神社(花畔573番地、今の市民図書館辺り)太田神社(花畔北3線、丹野商店の辺り)の三社を合祀してここにある。瑞穂神社の本殿は了恵寺境内の宝物殿の中に瑞穂堂として保存されている。
第一鳥居(1番手前にある)花畔神鳥居。第二鳥居(真ん中にある)花畔瑞穂神社鳥居。第三鳥居(1番奥にある)太田神社の鳥居
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花畔神社境内には記念碑など多くの碑が移設建立保存されている。
地神塔と後方に三社の碑 
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社誌碑
昭和48年9月 
この地に社殿を新築し三社を合祀した
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開拓百年
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記念碑
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創田之碑と紀念碑
・記念碑(左)
今回見た中で最も古い碑で明治32年建立。
明治27年、石川県より37戸の団体が移住した記念碑。最初元花畔北6号にあったが昭和47年に北10線農住団地に移設され、平成18年に現在地に移設された。
田之碑(右)
平成18年、水田発祥の地(北10線、揚水ポンプ設置場所9)より移設された。同じ台座に「十線用水組合の碑」も置かれている。
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〇開拓碑
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石川県開拓百年
平成6年石川県人開拓百年を節目に先駆者の偉業と功績を讃える
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〇明治三十八年戦没紀念碑
日露戦争戦没者慰霊のための碑、明治40年建立。
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戦没者慰霊平和祈念碑
太平洋戦争戦没者35名の英霊に敬弔の意を表すとともに、平和社会実現のために邁進することを誓って、平成9年に建立された。
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花畔神社本殿
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花川小学校校庭
花川小学校(花畔572番地)
明治6年教育所開設以来今年で、143年を迎える。
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開港百年
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ふしぎな石
花畔市街地渡船場のあったところのポプラの大木の根元に置かれている。護岸工事の時に出土されたと聞くが、時期・場所は不明。
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イチョウの二本木
石狩市指定記念樹保護樹林 (昭和61年10月12日指定)
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歴史と伝統を守り輝く花小っ子 
平成5年 開校120周年記念 平成5年9月 
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花畔銭函運河間運河のなごり
花川北7条3丁目 石狩市民図書館東側
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岡崎式コンクリート単小ブロック説明盤
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花畔銭函間運河跡碑
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石狩図書館前にある碑
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メモリアル時計塔
平成15年石狩青年会議所創立20周年記念事業の一環として市内小学生から募集した児童のデザインを基に、道教育大学札幌校佐々木けいし助教授が製作
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鳥の碑 
平成12年市民図書館会館に合わせて建設された。本郷新の作品
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◇最後に
花畔神社境内に移築された「花畔瑞穂神社」は、こども未来館の西側付近にあった。戦後の食糧不足を補うため大規模造田事業が実施され、ここ花畔の農民も畑作酪農から水田耕作へと変化した。市街地住民の間に神社建立への要望が高まり昭和26年に創立され、心の支えの場となった。昭和30年代末から工業団地の造成、昭和46年石狩湾新港開発計画によって、花畔村、樽川村一円の民有地は買収され、計画地外へ転出を余儀なくされた。
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◇公民館9時出発。訪ね歩いた碑の一つひとつに、関わった人々生命の息吹を感じることができたのではないでしょうか。身近にありながら知られていない碑、大切なのに忘れ去られそうな碑、新しい発見のあった3時間の歴史散歩であったようです。
◇受講者から寄せられた感想(概要)
・この地に生き闘ってきた人々の思いを感じる機会となった。多くの市民に聞いてほしい、知ってほしい内容と思う。
石狩に居ても知らない所ばかり。資料もよくわかりやすい。個人では来られないところが多い。樽川公園の碑は可愛そう。お蔭さまで石狩を語る資料をいただきました。参加して良かった、ありがとうございました。
・希望や要望
次は水路の話を。市民のために史跡めぐりのスタンプラリーで石狩の良さを理解してもらう企画を。
順路図に碑の番号が入っていると良かった。
歴史のある石狩地区と東区と本庁(中央区)との関係。
道、道路、交通手段等々を訪ねてみたい。
石狩の歴史を受け継いで欲しいのでこの講座は是非継続してほしい。
                        




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