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主催講座7 「今年は、戦後70年~歴史の記憶を風化させないために~」

第2回 「小学校教師ら大量検挙~故三浦綾子さんの小説『銃口』の題材になった北海道綴方教育連盟事件」

2015/08/07

 主催講座7「今年は、戦後70年~歴史の記憶を風化させないために~」の第2回「小学校教師ら大量検挙~故三浦綾子さんの小説『銃口』の題材になった北海道綴方教育連盟事件」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海道新聞社釧路支社記者の佐竹直子さん、受講者は46名でした。

「みなさん、こんにちは。釧路からやってきました佐竹です。札幌は、暑いですね。私は2年前の8月20日に、偶然私が獄中メモと呼んでいるあるメモを見つけました。それは、作文教育を一生懸命やっていたと云うだけで50人以上の先生が逮捕された事件に関するメモでした。それから私は、自分の時間のすべてを費やしてそのメモの解読と取材に当たりました。そして、去年の今頃は取材した事をまとめた本を書いていました。それこそ仕事が終わったあとどこへも行かず一所懸命になって書き上げたのですが、そんな本など売れるわけがないと言われました。ところがどうでしょう、おかげさまで、この度第3版が増刷されることになりました。これはきっと、私のお話を聞いたみなさんが、自分も佐竹さんと一緒にこの話を伝えなければ、と次の読者へ次の読者へと次々に伝えて下さった結果だと思います」佐竹さんはそう言って本日のお話を始められました。
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「私の長い間の取材は、宿題を託されたと云う想いで続けてきました。託したのは、小学校の教師で昭和15年11月21日に釧路で突然逮捕された坂本亮さん。戦後は札幌に住み、北海教育評論と云う出版社の社長も務め、2007年に99歳で亡くなった方です」

「本日はこの『綴方教育連盟事件』についてお話しますが、実は今回は、私の記念すべき20回目の講演なんです」
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◇「北海道綴方教育連盟事件」
・1940(昭和15)年11月21日、釧路で坂本亮さんが逮捕されたのを皮切りに、翌年4月までに56人の先生たちが治安維持法違反容疑で逮捕された。これは、子供たちに自分の生活をありのままに作文に書かせる「綴方教育」に励んだことが、「貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を自覚させ、階級意識を醸成した」容疑とされたもの。
・上記は、「国体」の変革や私有財産制度の否認が目的の結社や行動を罰するために制定された治安維持法が拡大適用された典型的な例。
・坂本さんら起訴された道内各地の12人は釧路の刑務所に拘留され、43年7月に釧路地裁で11人に執行猶予付き懲役刑が確定した(一人は公判前に死亡)。
・起訴された先生たちは、大半がその後教壇に戻ることはなかった。
・この事件は、旭川出身の作家・三浦綾子の長編小説「銃口」の題材となっている。

「2013年夏に私は終戦特集記事の担当として、戦後行われた教科書の墨塗りについて調べていました。元教員の方に墨塗りの体験についてお話を聞いて、さて帰ろうとした時ふとその方が、戦時中に自分の教員生活の中で一番深く心に傷を受けた事があったんだよ、と、綴方教育連盟事件のことを話してくれました。それを聞いて私は大変びっくりしました。そしてその事について調べ始めたのが、この事件と関わるようになったきっかけです。実はその方の先輩こそ坂本亮さんだったのです」

「先ず逮捕された先生たちの人数を『特高月報』で調べ直すことから始めました。すると、逮捕された先生たちの所在地が全道にわたることが分かりました」

「坂本亮さんがどんな容疑で逮捕されたかと云うと、教科書通りではなく先生が工夫して子供たちの創意や想像力をかきたてて生活の事を書かせたことが、貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を自覚させ、階級意識を醸成する事だとされたのです」

「それでは、容疑の証拠とされた学級文集とはどんなものだったのでしょう。実際にその一つを読んでみます」と、佐竹さんは、貧しい中に息子を中学にやろうとする父親の事を書いた文章を紹介されました。

「この文集を当時の学級にいた方に見せると、この文集のどこが悪いの?と質問され、答えられませんでした。私は、その答えを見つけるために調べ続けました」

「この事件の事を書くには、坂本亮さんのお名前を公表する許可を得なくてはなりません。そこで、私はご遺族に公表の許可を求めました。許可を頂いた時、家には古い文集なども残っていると聞かされ、2013年の8月にお宅を訪ねました」

「そして、大きな書きつけを見つけたのですが、それは逮捕された先生の一覧でした」

「さらに、かなりボロボロになった小さなメモ状の物を見つけました」

「それには、警察と云う文字が見え、たたく、蹴る、座らせる、おどかす、などと云う文字がありました」

「これはきっと何か重大な事が書いてあるに違いないと思い、興奮してカメラを持つ手も震えるほどでした。読めないので、専門家に解読してもらおうと頼んで廻ったのですが、誰ひとり引き受けてくれる方はいませんでした」

「よしそれなら、いっそのこと自分で読み解いてみよう、と思い立ちました」

「思い立ったものの、私には治安維持法や当時の司法制度はおろか綴方教育連盟のことも何も知りませんでした。そこで一から勉強しました」

「そして、2カ月半かかってようやくおおよそ読む事が出来ました」

「そこには、特別高等警察(特高)や検事に暴力や脅しで捜査当局に都合のいい供述を強いられ、裁判所の予審判事にも調書を改ざんされていった過程が記されていました」

「私がなんとか大筋を読んだ物をもう一度研究者に見せると今度は真剣に取り合ってくれ協力も得られて、3カ月でようやくきちんと読み解くことができたのです」

「この32頁にわたるメモは、元教員の故松田文次郎さんが、網走刑務所釧路支所に拘留中、公判対策として秘かに弁護人に当てて書いたと思われる物でした。このような獄中で書かれたメモが見つかることは、全国的にみても珍しい事だそうです」

「このメモのことを調べている時、ちょうど国会で特定秘密保護法案が審議されていました。私は、治安維持法の事を調べたばかりでしたので、治安維持法の時と似ている、と感じました。1925年に制定された治安維持法も、当初は共産党や革命的労働・農民運動の取り締まりを目的としていましたが、3年後に『目的遂行罪』が導入され、1930年代になると、適用範囲が教育や文化活動にまで拡大されて、国民の思想・信条や言論の自由が抑圧されたのです」
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「実は、この事件に関する連載は当初4回の予定でしたが、結局31回続けることになりました。読者からの要望が強かったからです。連載を再開した時、坂本亮さん以外の先生にも目を向けました」

「そして、強要されたと思われる依願退職願いや家族にも隠すようにしまわれていた調書の写しなども見つけました。三浦綾子さんが『銃口』を書く時に取材に応じた方もいました」

「調書の写しは、751頁もあって全然読めませんでした。遺族も読めないまま保管されていました。そのことを、ある講演の時にお話をしたら、読んであげましょうと名乗り出て下さった方がいました。しかしその方も結局は読めなかったのですが、読める人を見つけて下さいました」

「30頁ほど読めるように書き直したものを遺族の方にお送りしたら、大層喜ばれました」

「遺族にしてみれば、たとえ認めたくない真実が現れたとしても、一緒に解明しようとしてくれた人がいたことに感激してくれたのでしょう」

「また、子供達の作文を治安維持法違反の証拠に仕立てあげるのに苦労する判事の事を書いている物もありました」

「さらに、取り調べをした側の人の証言も見つかり、本には載せています。カセットテープに録音されたその肉声は、淡々とした調子で悪びれた様子はありません。国家が人をそのように仕向けることの恐ろしさを感じました」

「逮捕され起訴されて有罪判決を受けた11人の大半は、その後教壇には立っていません。教員時代の事は思い出したくもない、と云う心境でもあったようです」

「最初に逮捕された坂本亮さんは、その後釧路を離れ北見の軍需工場で働き、戦後は札幌で北海教育評論の社長を務めました。その教え子たちが還暦になった時、坂本先生を招き、ホテルの一室にかってのひなた学級を再現しました」

「私は、その時きっと坂本先生が事件の事を話したに違いないと思い、教え子たちに聞いてみました。すると、教え子たちは、そんなことはまったく覚えていない、ただ、坂本先生がもう一度教壇に立ってくれたことだけが嬉しかった、と言いました」

「それで、私は悟ったのです。子供たちにとっては治安維持法のことなどより、ただ大事な坂本先生が自分たちの前から突然居なくなって、その後二度と戻らなかったと云うことの方が大事件だったんだと」

「そして、この事件が子供たちに深い傷を負わせた罪深さを改めて感じました」

「どうして、先生たちは突然逮捕されたのでしょうか?私はその疑問をずっと抱えていました」

「ところが、その疑問を解く糸口を与えてくれた人に出会いました。ありのままに描いた絵を咎められて有罪となった方です」

「松本五郎さんと云うその方は、こうおっしゃいました。『私たちを有罪にすることで、物言わぬ国民をつくることが狙いだったのではないでしょうか。思想犯は非国民と云うレッテルを貼れば、誰も何も言えなくなります』」

「私はこの言葉に、現代にも通じるメッセージを託されたのだと感じました。獄中メモを見つけたことも、これはきっと何も知らない、何の先入観もない私に託されたものだと思いました」
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「また、メモの傍らでもうひとつ見つけた物があります。坂本先生、と云う文集です」

「これは、病気だとされ、戻ってこなかった坂本先生について子供たちが書いたものです」

『ある日、友達と一緒に坂本先生の家に行きました。先生はまだ帰っていませんでした。僕はとてもがっかりして、家に帰っても先生のことが気になって仕方がありませんでした。先生、早く病気を治して戻って来て下さい』

『先生がいなくなって毎日さびしいです。卒業式が終わっても先生は帰ってきませんでした。卒業式の後、家に行ってみると錠がかかっていました。先生に会いたいのに会えないのは、情けないです。』

「その他にも子供達の涙の痕が見えるような文章がたくさん並んでいました」

「私は、この文章を何度も何度も読み返し、この事件のことは絶対あきらめないで調べ続けるぞ、と思ったのです」

 佐竹さんは、こう言って、本日のお話を結ばれましたが、メモは自分に託されたメッセージだと云う使命感を持って調べ続けた佐竹さんの熱い想いがひしひしと伝わってくるお話でした。

 受講者にもその熱い想いが伝わって、たくさんのコメントが寄せられましたので、そのごく一部をご紹介します。

「佐竹さんのお話、終始胸にせまり、涙があふれました。よくここまで調べ、発表して下さった、という感動(心揺さぶられる思い)です。情熱あふれる記者魂、何と魅力ある道産子の女性かと思いました、素晴らしい講師でした。思想統制の恐怖、今まさにその時代に入っていることに胸が悪くなる思いです」
「綴方事件の事はなにひとつ知らずに今日のお話を聞きました。子供達の書いた坂本先生への想いの作文が子供の心を素直に伝えていて胸がつまりました。この子たちのような想いを二度とさせてはいけないとも思いました」
「佐竹さんの熱い思いと取材姿勢に感動しました。私も小学校の教員でしたので、綴方教育事件があったことは知っていましたが、当事者一人一人の記録や心理に分け入ったお話には初めて接しました。記録をひもとくことの重要さを感じましたが、その根底に心優しく子どもと深く関わった先生方の情熱が時代を超えて人を動かしたように思います。悪法がまかり通る危険を感じる今、佐竹さんのご努力と今後への挑戦を祈っています」
「講師の熱意あるお話を聞かせてくれたことに感激。戦後70年の今日、戦争の記憶がうすれているが、我々の時代は、体験した事を直接聞いた年代である。これからの人達に伝えるのが我々の役目と思った」





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