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主催講座6 「文明開化(西欧化)の名のもとで日本人は何を失ったか」

第3回 「北海道で起きた風習・文化の統制について」

2015/08/13

 8月11日(火)、主催講座6 「文明開化(西欧化)の名のもとで日本人は何を失ったか」の第3回「北海道で起きた風習・文化の統制について」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海道教育大学札幌校教授(文化人類学)の百瀬 響さん、受講者は48名でした。

「みなさん、おはようございます。今日は主に北海道の事をお話しますが、その前に全国の風俗統制の都市部と村落部の受け入れ方の違いや新聞が果たした役割、村落部の反対運動についてお話したいと思います」
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1.風俗統制の都市部と村落部の受け入れ方の違い
◇都市部
早い段階で違式詿違条令が適用されたが、その主な媒介は新聞だった。
・官発行の新聞『新聞雑誌』
・民間発行新聞
大新聞(大版で堅い内容)と小新聞(小版でくだけた内容)があった。
◇村落部
・風俗統制受容は比較的遅かったが、富裕層が受容を普及する担手となった。
・庶民は東京見物のお土産として錦絵新聞を持ち帰り、それが受容の一助となった。
・副読本の使用
明治12年、神奈川県では、「違式詿違問答」が全国の小学校で用いられるようになったのがきっかけで、習字手本本として「小学必要神奈川県違式詿違注訳」が発売された。
・各地方条令にない項目
往来での裸体と往来での立ち小便の二項目は、五港の村落型条令に見られない⇒抵抗が大きかった。
・行き過ぎた統制
善悪の区別なく古い風習をすべて(鯉のぼりなどまで)取り締まった地域(新潟)もある。

2.新聞などの果たした役割
◇横浜毎日新聞
・東京土産のひとつ。1870(明治3)年、日刊紙として創刊。当初は、貿易商況記事が主で、官報や国内外のニュース、県内記事を掲載。民権派言論新聞として有名。紙上で文明開化を推奨し、国内の「陋習洗除」に先鞭をつけたことで知られる。近代史の好資料となっている。
・文明開化推奨記事例:明治8年1月13日、太田不動尊へ裸で参ることを小虫に劣るばかものと批判している。
◇『神戸開港30年史』に於ける問題点
往時の行き過ぎた文明開化を一種の宗教だとして「文明開化宗」と批判的に論じているが、混浴の風俗については事実を誤認して非難している(歴史を正しく伝えていく事の難しさを示す例)

3.村落部の反対運動
◇徴兵反対一揆(血税一揆)
旱魃の影響で西日本で頻発。徴兵反対と共に「裸体免除」など風俗統制への反対も掲げられた。
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4.文化変容について
◇文化変容の定義
異なった文化伝統をもつ複数の社会が出会うことで相互に影響しあう際に見られる変化の過程。
・「未開」民族(集団)の西洋文化受容という点では、日本は西洋人の価値感に判断をゆだねたが、周縁の人々(アイヌ、琉球)に対しては、一方的に日本の価値観を押し付ける形であった。
◇Zero point
西洋文化の影響が全くない状態だが、日本と西洋は開国以前にも長崎など数か所で通商をしていたので、ゼロ・ポイントの設定は不可能。
◇Syncretism(習合)
習合とは、文化接触によって生じる2つ以上の異質な文化的要素の混在、共存のこと。
接触形態により多様。
・平和裡
持続的接触の過程で(双方)変化が起きるはずであるが、日本の場合は、片方(日本)の価値観放棄という形をとった。
・受容強制
優位の社会の影響により一方的変化が起きると、その反動(土着主義運動など)も起きる。
◇明治初期の文化変容
・強制支配、征服、殖民地化は免れた。
・比較的スムーズな文化変容であった。
流行語としての「文明開化」(ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする)、変容や従来の価値観の転換への期待など積極的に受け入れる気風もあった。

5.北海道における風俗統制
◇明治期のアイヌに対する文身(いれずみ)禁止(明治4年)は、函館支庁、札幌支庁違式詿違条令(明治6年)根室支庁違式詿違条令(明治11年)より早い時期に行われた。
◇違式詿違条令違反による検挙数
数字を見ると、取り締まりに力を入れた時期と入れない時期があることが分かる。また根室は検挙数少ない。
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◇函館新聞記事に現れた当時の世相
函館新聞は、大新聞と小新聞を折衷した中新聞というべき新聞。堅い記事と柔らかい記事は、フォントを変えるなどした。
・混浴について函館では厳禁されているのに札幌、小樽ではまだ行われていることを伝えている。
・蕎麦屋の主人が立ち小便の男を違式条令違反と咎めてそれを自分の商売に利用した、ことが記事になっている(庶民がしたたかに条例を利用した事もあることが分かる)
◇アイヌの文身
・文身は痛みを伴う行為だが、伝統社会では拒否することは出来なかった。文身は、明治4年に禁止され、さらに明治9年に耳輪と共に厳禁されている。これは、一度の禁止令ではその風習が止まなかったことをあらわしている。明治末から大正期になってようやく拒否することが出来るようになった。禁止令が風習を拒否する自由を与えた面もあった。
・アイヌ風俗への禁止は、禁止を受けたアイヌはそれについてどう考えたのか、と云う考察と共にこれを文明開化の面から考えてみる必要があるのではないか。
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 以上が本日のお話の概要ですが、百瀬さんは最後に「今回の3回のお話をまとめますと、日本の文明開化は、開化の判断を外部(西洋)に委ねてしまったこと、その上で自国の価値観を上乗せしたこと、末端になるほど厳しかったことが特徴といえるます」
「そして風俗の統制の中で、激しい抵抗があったものが、コアの文化ではないかと私は考えたのですが、残ったのが、立小便と裸体では、どう考えて良いのか分かりません。ただ、日常的なものが重きをおかれたと云うことかもしれません。アイヌの場合は、宗教的理由もあって統制されてもなかなか昔からの風習は無くなりませんでしたが、それが徐々にでも廃れていったのは、もしかしたら痛みを伴う風習に対する女性の消極的な反対が後押しをしたのかもしれません」
「多くの外国人が日本の風習を批判し、それを受けて日本はその風習を正そうとしましたが、それがどんどんエスカレートしていき、文化財の流失にもつながっていきます。そのことを危惧したのもやはり外国人でした。日本は、文化について何が美しいのか、何が正しいか、何が貴重なのか、をも外から学んだのです。そうして新しい文化が形成されていきました」
「日本の古い風習を批判する『正しい文明』と『野蛮』と云う考え方と同時に、一方では文明に毒されず自然と共にある日本の文化を残そうとした『醜い文明』と『美しい自然』と云う考え方も外国人にはありました。それが現代の伝統を重んじる考え方につながっているのかもしれません」と話され、
「始めに立ちかえって、私たちは外国人に判断をゆだねてしまった文明開化の中で何を失ってしまったのか、現在の文化をどう考えるのか、どう扱うのか、どう守って行くのか、をこの機会に考えていただければと思います」と結ばれました。

 3回のお話は、日本の文化の変容と云うことについて深く考えさせられるものでした。受講者からも多くのコメントが寄せられましたので、その一部をご紹介します。
「文明開化による古き良き伝統と文化の喪失。明治以降の日本人の精神構造の変化を知る上で興味深かった」
「明治維新後、急速に海外との交流がある中で、一般庶民の生活の変化改善、生活の切り替え、頭の切り替え、考え方の違い、教える方も教えられる方も戸惑いながら大変な時代だったと思いました。良いお話をありがとうございました」
「いかにして大きく変化した文明を遅れないように取り入れたかが分かった。国は、西洋文化を押しつけ庶民に従わせたのがポイントと思う。しかし、庶民はなかなか受け入れなかったと思う」
「幕末から明治初期までの歴史は、ほとんど学校では習わないので、今からたかがか150年前の日本について知らない事が多すぎると感じました。話だけではなかなか伝わらない情報を当時の本(絵本)を資料としてまとめて頂きとても理解し易かったです。百聞は一見にしかず。興味深い講座を準備していただきありがとうございました」
「まとめがとても良かった。アイヌの女性がイレズミをさせられているお話は初めて知りました。女性としてとても悲しい話しでした。禁止されて良かったと思った女性が多かったと思いました」
「この講座は大変興味深いものでした。よくしらないで、文明開化は正しい(?)ものとして考えていたようなところがありましたが、こういう過程があったということ、失った文化もあったと思いしらされました」
 






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