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まちの先生企画講座4 『地図の世界は無限大』

第3回 「伊能忠敬、蝦夷地を行く」

2015/02/12

平成27年2月2日(月)まちの先生企画講座4『地図の世界は無限大』の第3回「伊能忠敬、蝦夷地を行く」を石狩市公民館第1研修室で行いました。
講師は前回と同じく、元高校教師の木戸口道彰さんです。受講生は26名でした。

伊能忠敬を知るため今日の講座のキーワードとして3つ上げられました
①敏腕を発揮した企業人
②スーパーご隠居"全国を歩く
③わが国初の実測地図を作る

敏腕を発揮した企業人
伊能忠敬(1745~1818):江戸時代後期の測量家・地理学者で千葉県生まれ。17歳で酒造業、運送業、金融業などを手広く営む伊能家の婿養子に入る。家業を更に発展させ49歳で隠居(隠居時の財産3万両といわれる)。50歳を過ぎてから幕府天文方・高橋至時に師事。1800年から16年間かけて北海道南岸、東北日本海側、三陸海岸、中部、四国、九州と全国くまなく実測量をし、文政元年に73歳で死去するが、地図作成を引き継いだ高橋景保は文政4(1821)年に実測に基づくわが国初の日本地図「大日本沿海輿地全図」として完成し、同年幕府に上呈した。当初江戸時代の国内ではほとんど活用されなかったが、明治に入り政府は伊能図を基に日本全図をつくり、昭和の始めまで100年に渡り使用される我が国の全国地図の基本図となった。

スーパーご隠居全国を歩く
全国を測量するきっかけは当時、歴学者の間では地球の大きさが話題であった。地球の大きさは、緯度1度に相当する子午線の弧長を測ることで計算できるが、当時日本で知られていた子午線1度の弧長はまちまちであった。忠敬は自宅と役所の間の距離から子午線1度の長さを割り出そうとし高橋至時に報告するが、"両地点の距離が短すぎて誤差が大きすぎる、算出するのは乱暴。蝦夷地まで行くのなら別" と言われる。当時蝦夷地はロシアの圧力が強まり、幕府としては蝦夷地の正確な地図が必要になってきていた。高橋至時は蝦夷地測量を願い出、許可される。そしてこの蝦夷地測量事業に忠敬が当てられた。
寛政12(1800)年、忠敬は内弟子ら5人を連れて蝦夷地測量に向かう。忠敬55歳であった。
文政元(1802)年、忠敬はこれまでの測量結果を基に、子午線1度の長さを28.2里と算出し、師である高橋至時に報告した。

わが国初の実測地図を作る
〇「伊能図」とは
伊能忠敬の測量隊が作成した日本地図を、通称「伊能図」と総称している。制作された地図は約400種類、このうち残存しているのは複本、写本、稿本、摸写本として270種類あるいわれている。伊能図の種類は大図,中図、小図の3種類と、その他特別な地図がある。
※伊能大図~ 縮尺3万6千分の1。 全国を214図で作成されている。大図1枚分の大きさはほぼ畳1枚分である。側線に沿って城下、町並み、村落、田畑、原野等の沿道風景を描き、地名、国名、国界、を文字で描き、領主名,領界を記す。

※伊能中図~ 縮尺21万6千分の1。枚数8図(北海道1、北海道2、東北、関東甲信越、中部近畿、中国、四国、九州1、九州2)である。
側線に沿って地名、国名、郡名を文字で記し、国界、郡界、宿駅、お寺、天測地点などを記号で表示している。

※伊能小図~縮尺43万2000分の1。枚数は3図(北海道、本州東部、西南部)2002年には東京国立博物館において、伊能小図3図完全揃いが発見されている。

※主な特別地図として
・「カナ書き特別小図」~シーボルト事件の発端となった地図といわれており、カタカナで地名が書かれている。
・「特別地域図」~第5次測量地域の景勝地を描く大縮尺の風景的要素の強い地図。琵琶湖、厳島、天橋立の3図が現存している。
・「特別大図」~縮尺1万2千分の1で『特別大図』といわれている伊豆7島の地図
・「江戸府内図」~伊能測量隊の最後の仕事として作成された江戸府内の地図。資料的価値の高い実測市街地図
・「官版実測日本地図」~伊能図で唯一刊行された地図で、幕府の「開成所」(東京大学理学部の前身)が慶応2年に発行したもののコピー。幕府お抱えの版木師宮田六左衛門が彫刻版行した。折本にされており、隣接図との接合には、「コンパスローズ」が描かれている。

*最終版「伊能図」大図のその後
忠敬の死後地図作成を引き継いだ高橋景保は文政元(1821)年に完成した「大日本沿海輿地全図」を幕府に上呈した。上呈された伊能図正本は城中の紅葉山文庫に保管されるが明治6年の皇居炎上の際に焼失したとされる。また伊能家で保管していた写しも関東大震災で焼失した。しかし2001年にアメリカ議会図書館で写し206枚が発見され、その後各地で写本の発見が相次いでいる。

〇「伊能図」と間宮林蔵
間宮林蔵は幕末に活躍した探検家、測量家である。樺太やアムール川流域を探検し間宮海峡を確認したことで有名。林蔵は伊能忠敬から測量術の教えをうけ、文化9(1812)年から丸5年を費やし蝦夷地を測量し、そのデータをもって帰府したのは文化14(1817)年であった。このデータが伊能図の最終版完成に極めて大きな役割を果たす結果になった。これまでの定説では、北海道の太平洋側は伊能、残りは間宮の測量結果の合作とされていた。しかし、2014年8月、伊能忠敬研究会(東京)は、伊能忠敬が作った精巧な「大日本沿海輿地全図」の北海道部分は、弟子の間宮林蔵の測量データで作られた可能性が高いという新説を発表し話題となった。
間宮林蔵の晩年は、各藩の情勢調査、密輸の摘発など幕府の隠密の役割も果たしたといわれるが定かではない。

〇「伊能図」とシーボルト事件
ドイツ人シーボルト(1796~1866)は、長崎のオランダ商館付き医師として来日した。出島外に鳴滝館を開き診察を行う傍ら医学を教授した。併せ日本の歴史、地理、風俗など膨大な資料を収集した。文政11(1828)年帰国の際、暴風雨により船が座礁し積荷が流される。船の中に高橋景保がクルーゼンステルンの「世界周航記」等と引き換えにシーボルトに渡した「伊能図」があったことから問題になり、国外追放となった。高橋景保も罪に問われ獄中死している。

今日は、日本で最初に実測地図を作った伊能忠敬のお話でしたが、生い立ち、49歳で隠居し、自分の好きな道を全うした73歳までの後半生、忠敬の測量実績、伊能図にまつわる大変興味深い話をしていただきました。受講生は講座終了後もあまり目にすることのない伊能図に見とれていました。




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