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講座14 『いま、日本国憲法を読んでみませんか』

第1回 「いま、なぜ日本国憲法を改正する必要があるのですか」

2014/12/11

 平成26年12月5日(金)講座14『いま、日本国憲法を読んでみませんか』の第1回「いま、なぜ日本国憲法を改正する必要があるのですか」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は北海商科大学教授の堂徳 将人さん、受講者は40名でした。堂徳教授の専門は公民教育学で「公民科」(政治・経済)の「政治」教科の8割は憲法学習であるとのこと、また大学生や高校生に教えている豊富な経験をもっておられることなどもあり、今回の講座は受講者にとって大変わかりやすい明快な講義でした。

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 2年ほど前から自民党を中心に憲法改正に関する論議が活発となってきた。このような政治問題を教育する時には教育基本法に準拠して行うことになっており、まず教育基本法について説明があった。政治教育については「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」とされているので、意見が分かれる政治問題については両方の主張を説明するようにしているとのことでした(教育基本法第14条)。今回の講座でも、第1回目は「憲法改正をしようとして人はどのような考えか」、第2回目は「憲法改正の論点と護憲派の考え」を紹介することになっている。なお、新旧教育基本法の目的と目標についても説明があった(図1)。第1次安倍内閣の2006年に全面改正された改正教育基本法では、第2条に具体的な教育目標が掲げられた。

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 次に、終戦後に日本国憲法がつくられた時の背景や過程について説明があった。米国の初期の対日政策における究極の目的は、「日本国が再び米国や世界の脅威にならないことを確実にすること」であった(1964年8月29日通達)。アメリカ大統領がマッカーサーを連合国総司令官に任命した時、「日本の無条件降伏を基礎とし、貴官の権限は最高であり、日本側からのいかなる異議も受け付けない」および「日本国の管理は日本政府により行われるが、貴官の権利を妨げず、貴官は実力行使により命令を強制できる」と指示した。憲法制定の過程を年表として図2に示した。1945年8月15日の終戦から1946年2月1日までは日本政府が憲法を作ろうとしていた段階、1946年2月8日から同年3月6日の期間はGHQが作成に乗り出し日本政府へ提示した段階、そして1946年6月20日から1946年11月3日の日本国憲法公布までは議会で審議が行われ日本国政府が憲法制定を行った段階である。

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 1946年2月1日に憲法改正調査会の試案である松本案が毎日新聞にスクープされたが、改正の内容は立憲君主主義を基本とするものであった(図3 松本案)。米国はこの案を到底容認することができず、GHQが1946年2月4日から2月12日までの9日間でGHQ草案を作成することになった。作成はホイットニー民政局長官を委員長とする25名の委員で行われたが、草案作成の中心となったのはハーバート大学ロースクール出身の法律の専門家であった。草案作成に当たり、マッカーサー元帥は「天皇象徴制」、「戦争放棄」および「封建制廃止」の三原則を示し、2月12日までに作成することを指示した(図4)。短期間で憲法作成を急いだのは、2月26日の極東委員会(11カ国参加)の前にGHQ単独で決着をつけたいと考えたからである。

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 日本国憲法の精神である前文は、米国の憲法や憲章などを土台とした格調の高いものであった。前文の「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し...」は"アメリカ合衆国憲法"、「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する...」は"リンカーンのゲティスバーグ演説"、「日本国民は恒久の平和を念願し、...」は"大西洋憲章"、「われわれすべての国民は、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに...」は"ルーズヴェルト大統領~世界像の指針~(年頭教書)"、「日本国民は国家の名誉にかけ...達成することを誓う」は"アメリカ独立宣言"を、それぞれ土台としていた。

 1946年3月6日に発表された憲法改正草案の評価は以下の通りである。朝日新聞(1946年3月7日)は天皇象徴制、主権在民および戦争放棄を評価し「憲法改正というよりむしろ新憲法の制定といふべき新しい内容をもつ」と論説し、毎日新聞(1946年3月8日)では東大宮沢教授が平和主義、民主主義および完全非武装と戦争放棄を評価し「政府案は昨年終戦と共に行われた我が国始まって以来の民主革命を成文的に確立しようとするもの」と賞賛した。一方、米国のニューヨーク・タイムズ紙(1946年3月7日)は陸・海・空軍の全面廃止は「余りにユートピア的であって、むしろ現実的な日本人として草案を軽んずるにいたらしめるだろう」と心配し、ニューヨーク・サン紙(1946年3月7日)は日本の国防を兵力によらず世界の平和愛好国の信義に依存していることを「理想主義的献身ともいうべき自己否定である」と否定的な評価を下した。デーリー・ヘラルド紙特派員は、改正憲法は全ての点で立派であり「殊に改正憲法が陸海空軍の永久全廃を規定していることは印象深いことで、これは政治史上大きな示唆を与えるものである」と評価した(1946年3月8日)。

 1946年6月20日から8月24日までの期間に衆議院本会議において修正が審議された。
・前文の翻訳口調の修正(一部可決)
・天皇を元首とすること、戦争放棄(GHQ民政局の圧力により実現せず)
・衆議院・参議院の二院制に関わる修正
・衆議院芦田小委員会の審議において「戦力不保持」に関し「前項の目的を達成するため」の語句を追加(芦田修正)[憲法第9条]
貴族院本会議でも修正の審議が行われた(1946年8月26日~10月3日)。
・シビリアン条項の追加(極東委員会でのソ連案)[憲法66条「内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、文民でなければならない」]

1946年に制定された日本国憲法の歴史的意義は「平和主義」「国民主権」「基本的人権」であるが、さかのぼって見ると、18世紀はフランス革命などにより「自由権」や「主権在民」、20世紀はドイツワイマール憲法の「生存権的基本権の保障」が世界の憲法の主流であった。

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 その後の改憲の動きについては今までいくつかの波があった。1950~60年代は憲法改正が国会に上ってきた段階で、憲法調査会は「天皇元首化」や「再軍備」「家族制」などを取り上げた。80~90年代は、経済大国としての責任から国際協力、人道支援、テロとの戦い、日米同盟などが検討され「9条改憲」の声が上がった。2000年代にはかなりの国会議員が憲法改正に動き、第1次および第2次安倍内閣は「戦後レジュームからの脱却」を唱え、未来志向の憲法に改正することを目指した。
 自主憲法制定国民会議は憲法を改正しないことの弊害について以下を上げた。
・同じ敗戦国であるドイツは第2次世界大戦後58回も改正を行い、イタリアでも15回改正している。
・時代は日進月歩変化しているが、憲法は67年変わっていない。
・憲法制定時の国民が後の時代の国民をしばってはいけない。
・安全保障、環境、プライバシー、グローバル化、権利と義務などにおいて問題が出ており、解釈改憲で補うより方法がない。

次回は改憲を巡る議論のつづきと護憲派の考えを紹介するとのことで、第1回の講座は好評のうち終了した。




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