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主催講座11「北海道の美術を学ぶ~木田金次郎の岩内を訪ねて~」

2019/10/22

10月16日(水)、主催講座11「北海道の美術を学ぶ~木田金次郎の岩内を訪ねて~」を行いました。受講者は50名でした。8時30分石狩市公民館を出発してバスは、朝里川温泉から毛無峠を経て赤井川へ抜け岩内町へ。見学先である「岩内郷土館」と「木田金次郎美術館」での学習の概要を紹介します。
・道の駅あかいがわで休憩
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・車中でスタッフによる解説
木田金次郎と有島武郎との関係や岩内町大火について他
◇岩内町郷土館
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〇敷地内にある碑
・野生ホップの発見の地
明治4(1871)年岩内で、アメリカ人開拓使アンチセルによって野生ホップが発見された。それをキッカケに北海道でビールの醸成が行われるようになった。
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*アスパラガスが日本で初めて栽培されたのも岩内町
・にしん街道の碑
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〇岩内町郷土館 ぱとりあ岩内 見学
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館長の坂井弘治さんに解説していただきながら見学しました。
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郷土館は昭和46(1971)年町制施行70周年を記念してつくられた。
〇松浦武四郎岩内へ
・安政3(1856)年に松浦武四郎が初めて岩内を訪れた時の様子を、山岸正巳画伯が描いた700号の大画
・説明文「安政3年4月27日松浦武四郎は、スイド、サケノカロ、和人、常吉、富次郎の4名を伴い磯谷から雷電の難所を超えて岩内の地に立つ」
(館長の説明)実際には、アイヌは岩内に入っていない。疱瘡が流行しているということで、雷電の洞穴に隠れていていた。
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岩内では、1954(昭和29)年の大火によって古い文書が残っていない。
・松浦武四郎の絵地図によると、当時はニシンよりタラが多かった。
〇天保の大飢饉後人口が増えた
青森、秋田の農民が岩内にやってきて漁業を始める。昭和29年の大火後都市計画によって整備されるが、この地域は住民の反対で昔のまま残った。
〇ニシン建網漁のしくみ
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・300m~500m沖合に網を建て、ニシンが産卵のために来るのを待ち構える。ニシンが来ると船頭が船尾でタモを立てて陸へ知らせる。その合図で船が駆けつける(石狩厚田で何代も親方をやっていた岩内の住人から聞いた話)
・枠船と組み船の共同作業でにしん漁を行う(沖上げ音頭)
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・ニシンつぶしと加工
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・陸揚げされたニシンは3日ほど寝かされ、腹が柔らかくなり数の子が固まった頃に処理作業を行う。
・ニシンつぶしは女の仕事、親指でニシンの腹を裂き、えら・数の子・白子を取り出して、脇に並べた3個のテッコに入れる
・後背地の狭いところでは、ニシンを袋網に入れて港内で保管する
・岩内には番屋はない→人口が多く労働力が十分あった。
・船頭は雇うが、旅館に泊まればよい
・前浜は建網禁止→北前船入ってくるので邪魔。刺し網はよい。
〇富豪番付 (漁業家番附)
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・西の横綱 岩内 梅沢六兵衛 東の横綱 浜益 佐藤松太郎
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・国産最古のリードオルガン
明治38(1905)年製造、ニシン場の親方が檀家の寺に売ったもの。
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〇厚田、浜益の絵地図
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〇岩内大火の跡
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なぜ復興が早かったか→漁業や商業の力がしっかりしていた
・岩内の大火は、洞爺丸事件の影に隠れて誰にも知られなかったが、1961(昭和36)年、文芸春秋の文化講演会が岩内で開催され、直木賞作家水上勉が来られた。その後、「飢餓海峡」が世に出ることになって岩内大火が知られることとなった。
〇岩内大火と映画「飢餓海峡」
岩内を訪れた水上勉が、洞爺丸事故と岩内大火を題材とした小説『飢餓海峡』を1962年に発表。1965年に映画化。
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坂井館長さんの熱心な解説、ありがとうございました。
◇木田金次郎美術館
昼食は、美術館のご厚意により館内を開放していただきました。
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昼食後、開催中の開館25周年記念特別展示「東京の木田金次郎」を、当館学芸員岡部卓さんの解説で見学しました。明治・大正・昭和と岩内で描き続けた木田金次郎の東京との関りを紐解くお話でした。
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〇東京との接点
・木田金次郎は、岩内の旧制小学校卒業後、明治41(1908)年、東京・開成中学校に進学
・明治末期の岩内では、こどもを札幌や東京の進学校に出すほどニシン漁が栄え、漁家や商家の経済力があった。
・金次郎は次男で、実家は海産物商と船主
・金次郎の下宿先
東京市下谷区豊住町(現台東区下谷1丁目)上野駅近く
・現存する一番古い作品「風景」1910年
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・この頃、上野の杜で開催されていた西洋からの帰朝者らによる絵画展に足を運び、西洋近代美術の息吹を直に感じ取っていた。その中には有島生馬(有島武郎の弟)や南薫造等がいた。
・下宿先での人間模様
小学校時代の担任であった恩師、柏村信(岩内で学費を稼いで東大生となった)を頼って同じ下宿で生活していた(後列左側が木田)。
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〇岩内に住んで
・1910年、実家がニシン不漁で経済的に思わしくなくなり岩内に呼び戻される。
・金次郎は札幌に留まり、自分の絵を携えて有島邸を訪れ、以後交流が生まれる。
・1919(大正8)年、岩内で漁師をしていた金次郎が、自分のデッサンを東京に住んでいた有島さんに送る。
・有島武郎東京で木田金次郎展覧会を開催
有島は仲間や知人に紹介する機会を設け、展覧会での売り上げの大半を木田に送った。
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〇本格的に絵の道へ
・大正12年、有島武郎45歳の時に新聞記者と心中する。この時木田は30歳。漁師をやめ画家として生きる道を選択する。
・描かれている風景はほとんど岩内の風景である。その画風にはゴッホのような斬新なタッチがみられる。
・それは、有島武郎との交流、東京での生活、様々な新情報を得て西洋近代美術を地方で表現し続けていたことによる。
・余談:石狩の町長であった斎藤英二さんは岩内出身で、お父さんは岩内の画家で木田金次郎の後輩にあたり、一緒に絵を描いていた。
・昭和29年、岩内大火により木田は家財もろとも作品も焼失。
・苦難を乗り越え3日後から書き始めた。
〇3時間の展覧会
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1957(昭和32)年、北海道銀行頭取島本融等の尽力で、北海道銀行東京支店で「木田金次郎油絵小品展」が開催された。会期は土曜日の午後3時間。のちの全国巡回展へ向けての足がかりとなった。
・日本橋高島屋で作品展
1959(昭和34)年日本橋高島屋にて朝日新聞主催で開催
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〇作風の変化
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太陽が青色や緑色で描かれた作品が大火以降の特徴。高村幸太郎の論文の影響が感じられる。
〇所蔵画数
・開館当初90点しかなかったが、現在170点
・道内外で所持する方々から寄贈され増加している
〇2階展示 木田金次郎ゆかりの品々が展示されている
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岡部さんによる解説を通して作品を眺め、岩内で生涯創作を続けた木田金次郎の思いに触れることができました。

以上で、岩内町の歴史と文化、芸術の一端に触れる講座を終了しました。外は曇天から小雨に変わる中14時帰路につきました。
〇仁木町きのこ王国で休憩
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きのこ王国で休み、フルーツ街道を経由して予定より早く公民館に無事帰着しました。

最後に、受講者から寄せられた感想の一部を紹介します。
「見学先の両館ともに説明者がつき充実した内容でした。移動距離も考えられ時間配分も適切と感じました。両館を見学することで相乗効果があったと思います」「郷土館大変良かったです。館長さんの説明に引き込まれユーモアにあふれとてもよかった。絵に疎い私ですが、美術館の学芸員のわかりやすい解説で絵を見せていただきありがとうございました。とても良い一日でした」「木田金次郎と有島武郎とのつながりが大変興味をひきました。是非『生まれイヅル悩み』を再度読むことに致しました。それぞれの町を知ることによって石狩への想い、郷土愛が一層強くなったと思います」「木田画伯のことはよく知らず、少し予習をしてきましたが、実際の絵は想像以上でした。岩内から開成中学に何故進学できたのか理解できました。木田金次郎さんの行動力とご苦労なしには成功することは出来ず、人とのつながりを大切にする人柄も見たような気がします。見応えありました」「お天気にも恵まれ岩内郷土館及び木田金次郎美術館等を巡り、各所で担当の方のご説明を下さり気持ちの良い美術関係のバスでの美の学びの講座、内容豊かな学びの恵みのある行事であり、運営委員の皆様へお礼と感謝申し上げます」「秋の一日岩内ツアーに参加できたことに感謝します。二つともにたっぷり説明頂き、様々な知識を得ることができました。個人で入館しても全く得られず、団体ツアーの強みであり、石狩市の力の賜とお礼申し上げます」等々




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