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主催講座5 「アイヌとは?その歴史~『古代』から『近世』のアイヌの歴史~」

第2回 「イシカリ近郊のアイヌ社会」

2016/07/19

7月14日(木)主催講座5「アイヌとは? その歴史~『古代』から『近世』のアイヌの歴史~」の第2回「イシカリ近郊のアイヌ社会」を行いました。講師は、北海道大学大学院文学研究科准教授の谷本 晃久さん、受講者は62名でした。

 谷本さんは、本日は、石狩近郊と云うべき石狩川下流域(石狩、札幌、江別地域)のアイヌ(石狩アイヌと総称)の近世の生業構造を踏まえた上で、彼らの近代への対応と行動について、特にサクシュコトニ川筋に本拠地を置いた琴似又市に即して考えていきたいと思っています、と言ってお話を始められました。
 
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1.近代石狩アイヌの行方
1)幕末の石狩川下流地域付きのアイヌ(安政3≪1856≫年)
石狩地域・・トクヒタ(徳鐚)29戸、ヒトエ(美登位)3戸。
札幌地域・・サツホロ(札幌)31戸、ハッシヤフ(発寒)29戸、ナイホウ(苗穂)2戸、シノロ(篠路)11戸。
江別地域・・ツイシカリ(対雁)22戸。
但しこの数字は地付きアイヌ人口のみ。実際にはそれに加えて中川・上川アイヌの出稼者がいた(出稼者は59%ほど)
2)出稼者の形態
雇と自分稼があった。
3)石狩川下流地付きアイヌ集団が迎えた近代
石狩では、明治の初めまで、和人、アイヌがそれぞれの風俗を保ちながら協働で仕事をしていて、豊川アンノランのように漁業権を確保し富豪であった人もいた。
・上川、中川アイヌ
多くは帰郷のうえ農耕を前提とした集住へ(明治20年代~)
上川アイヌ・・近文(給与地)36戸、忠別(御料地)2戸。
中川アイヌ・・下徳富(給与地)11戸~20戸、雨龍伏古(「号外旧土人地」、横須賀農場)4~10戸。
・石狩川下流地付きアイヌ
札幌市域・・茨戸から生振、近文へ。
江別市域・・樺太アイヌが強制移住させられた(江別太⇒対雁)、対雁地付きのアイヌの行方は不明。
石狩市域・・石狩郡の人口推移は、明治2年8戸23人⇒明治24年14戸52人。明治33年の記録では、生振村には、在来のアイヌが数戸。石狩市街には、対雁から移住した樺太アイヌが35戸121人。
 
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2.幕末維新期の石狩アイヌ琴似又市(札幌市民第1号とも云われる)の行動について
1)出身地
琴似村居住の家筋ではなく、下カハタ場所(浦臼)「平土人」イコンラム家に生まれる。
2)幕末における教養形成
15歳で石狩浜で幕府役人に仕え、「言語其他常人ニ異なる事なし」と言われるほど和語、和風所作を身につけていた。
3)明治初期の又市の行動
宮中「拝参」と東京「留学」後、琴似村「役土人」「乙名」に登用される(琴似川流域の乙名の家筋ではない者が開拓使との関係で身分上昇)
又市は開拓使とアイヌ(地域住民)をつなぐ存在だった(近代国家とアイヌ社会との仲介者として機能)
4)琴似又市の生活基盤
サクシュコトニ川での漁業。当時は札幌地域の川筋にそれぞれアイヌの家があり土地も所有していた。
5)経済基盤の消失
明治11年、漁業資源維持と云う理由で札幌郡でのアイヌの鮭鱒漁が全面禁止(開拓使布達甲第四三号)されて、札幌市内で漁業を営んで暮らすことが出来なくなった。
6)鮭鱒漁禁止令後
又市家のみならず琴似村、発寒村、札幌村の全戸が石狩川本流筋の茨戸、石狩方面へ移住。
琴似家等は一時石狩川河口の漁場権益を確保したものの、樺太アイヌの移住によりそれを失い、明治20年代には近文「給与地」へ移住せざるを得なかった(琴似家、茨戸家、藤戸家、能登三九郎家、能登モトアンノ家など)
 
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以上が本日のお話の概要ですが、谷本さんは最後に、石狩近郊のアイヌの人達は、このように不本意ながら本来住んでいた地ではないところに住まざるを得なかったのですが、それでもそんな中で、近代化を伴いながら文化や伝統をつないできたのです、と結ばれました。

2回のお話を聴いて、アイヌの人達の歴史や生活について古代から近代までの流れが大変良く分かりました。

受講者からは、たくさんのコメントが寄せられましたので、その一部をご紹介します。
「ずっと疑問に思っていたことが分かりよかったです。大変勉強になりました」
「本日も谷本先生の熱いお話は心に残りました。アイヌの精神的な強さの源がよくわかりました」
「アイヌと和人との関係では迫害しか覚えがなかったが、歴史背景では和人との協調労働があることを知った。石狩アイヌの生活様態を知る事ができ大変参考になりました」
「熱い講義でした。アイヌ民族の文化・歴史を大切にしていきたいと思いました」
「これまでの講座ではアイヌの居住数等は解明されることがなかったが、今回で初めて具体的な居住数が明治され、当時の生活様式等が理解でき大変参考になりました」
「自分が住む花川がアイヌの歴史と深く関わりがあったなど知らない事ばかりの深い内容でした。まだまだ知りたい〝吸収力"が湧く内容です。判りやすい解説を、ありがとうございました」





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