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主催講座9 「おもしろ、いしかり大百科」

第3回 「石狩に伝わるチョウザメのお話し」

2015/12/25

 1217()、主催講座9「おもしろ、いしかり大百科」の第3回「石狩に伝わるチョウザメのお話し」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は石狩市教育委員会文化財課課長の工藤 義衛さん、受講者は31名でした。

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 以下は本日のお話しの概要です。

 

1.チョウザメとはどんな生き物か

・硬骨魚類に属し、約15千万年前(ジュラ紀後期)の地層からチョウザメ類の化石が発見されている。

・海や湖などの10m以上の水深のある環境に生息。春先、川をのぼって産卵、海へ帰る。孵化した稚魚は、23ヵ月川で過ごし成魚となって海へ帰る。

・現生のチョウザメのうち北海道で見られるのは、チョウザメ属とダウリアチョウザメ属の2属。

・チョウザメ属チョウザメ

 日本海(東北以北)、オホーツク海、北太平洋に生息。北海道の河川で見られたのはミカドチョウザメ。石狩川のチョウザメは絶滅したとされるが、北海道近海では1993年から1997年までに6件の捕獲例が報告されている。

・ダウリアチョウザメ属ダウリアチョウザメ

 日本海やカスピ海などに生息。石狩川河口で稀に捕獲されるのはダウリア。

※産卵する河川は、北海道全域にあったと考えられ、本州の河川でも産卵していた可能性がある。

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・歴史

 文献に現れるのは、18世紀から。主に皮が刀の鞘に使われた。皮は蝦夷地から供給された。

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2.北海道のチョウザメ

・道内全域の遺跡からチョウザメの骨が発見されている。

・チョウザメ由来のアイヌ語地名

 江別(ユベプト)、江部乙、湧別などアイヌ語でチョウザメを意味する「ユペ」が由来となった地名が全道各地に見られる。

・松浦武四郎は、石狩川の流域で石狩とツイシカリ(現当別町)2か所をチョウザメの産地としている。

・石狩川上流に産卵場所があったと考えられる。明治22年の北海道毎日新聞記事に「空知太(砂川市)からおよそ10㎞上流の滝の下でチョウザメが産卵している」とある。

・札幌でも食べられていたが、調理方法は不明。

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3.チョウザメの神様

1)アイヌのチョウザメ

チョウザメはアイヌ語でユペと呼ばれるが、道東部ではオンネチェプ(老大魚)、カムイチェプ(神の魚)、ピシュルカムイ(鋲をもつ神の魚)と呼んだ。

2)石狩のチョウザメ伝説

・村山コトさんの伝承

 わたしの先祖が石狩川で網を建てた頃、川に網をかけると切られてしまうことが続き、伺いを立てると「浜益方面に本拠を置くチョウ鮫が来て邪魔をする」ことがわかり、妙亀法鮫として神に祀ったら鮫が出なくなった。村山では今でも鮫は食べない(田中實氏による聞書き)

・松浦武四郎 1846(弘化3)

 川筋に産するもののひとつとして、潜竜魚(チョウザメ)をあげている。

・依田次郎助1854(安政元)

 河に大きな鮫が主として住んでいる。暑い時は河に浮かぶ背中を見る人もある。大きさは、おおよそ1213間。漁労に差し支えるので、5060年前から石狩の河畔に祠を建てて神として祭り、法鮫妙亀大明神とあがめた。

1855年の石狩

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1856年の石狩

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・妙鮫法亀大明神由来書

 文政元(1818)年春、石狩駐在の松前藩士北村円六の夢枕に「川の主」と名乗る大きな鮫が現れ「自分の居るお堂を建てて欲しい」と頼んだ。続いて大きな亀が現れ、こちらもお堂を建ててくれと言った。最初は断っていたが上役と相談して建てると返事して目が覚めた。そこで、上役の重松伴右衛門と相談して茅葺のお堂を建てた(村山家文書)

・妙鮫法亀大明神

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1825年に奉納。幕末からは、石狩弁天社に合祀

・明治後の鮫様

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 石狩弁天社の鮫様像(鮫様・妙亀法鮫大明神像)と金龍寺の鮫様(鮫様・龍神、妙亀菩薩、鮫神像及び厨子)は、平成19320日に北海道指定有形民俗文化財に指定されている。

・道内の鮫様

 勇波利山権現社地末社「妙亀大神」「法鮫大神」(明治元年)

◇まとめ

・もともと北海道にいない亀が神としてまつられたのは、妙法と云うのは、対(つい)の考え方であるので鮫との取り合わせとして亀が選ばれたのではないか。

・蝦夷地でアイヌと和人は住み分けていたが、石狩のような漁場では両者が同居していて、アイヌの存在が事業(鮭漁)の成否にとって大きな要素だった。

そこで、アイヌと和人が一緒に豊漁を願うために両者が共通して信仰できる鮫様(チョウザメ)を神としてまつる必要性があったのではないか。

・石狩の鮫様は、アイヌと和人が鮭漁を背景に文化交流した証である。

・石狩では、チョウザメについての伝説が文字や奉納物として残っている。

道内他地域ではあまり残っていない。

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   以上が、本日のお話しの概要ですが、工藤さんは「石狩のチョウザメについては、きちんと文字や史蹟が残っていてそれが現在まで受け継がれていますが、これは石狩の特徴であり、これからも大事にしていきたい」と結ばれ、市民が自分たちの町の歴史として作った布の絵本「サケの神様」を紹介して、本日の講座は終了しました。

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  最後に受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。

「面白く、興味深いお話しを聞くことができました。石狩の情報をさらに掘り下げた内容で、さすが百科と感じました。多くの石狩の人にきいてもらいたいと思いました」

「田中さんの独特のな話法による話しはとても面白く勉強になった。工藤さんのチョウザメについて今までも何回か話しを聞いたが、さらに詳細な記録などで勉強になった」

「チョウザメが、石狩の文化として、文字、奉納物として残っていると云う事が分かり大変良かった。布芝居としても残っていて市民が作っているということも分かりこれからも大切にして頂きたい」

13回とも石狩に関係がある珍しいお話しであって私共には真新しい事柄で市民として大変勉強になりました。鮫様は、先住民の文化としてお堂を建て祭ったことは尊敬したいと思います」

 

 




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