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講座2 『アジア人はるかなる旅~私たちの祖先がたどってきた道~』

第2回「日本列島に住む人々の源流」

2012/06/04

 6月2日(土)講座2『アジア人はるかなる旅~私たちの祖先がたどってきた道~』の第2回「日本列島に住む人々の源流」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、札幌医科大学医学部解剖学講座准教授の松村博文さん、受講者は40人でした。

 松村さんは、「私は、地質学・古生物を専攻し、人類の進化についての骨の勉強をしてきたことから今は解剖学を教えていますが、その傍ら人類学の研究をしています」と自己紹介されてお話を始められました。

 示された本日のお話のテーマは
1.人類の来た道のり
絶滅と生存、多種多様な人類の出現
2.現生人類のOut of Africa
世界への大移動、ユーラシアを横断した2つのグループ、南廻り対北廻り、縄文人はどこから来たか?
3.アジアでの新石器時代の農耕民の拡散
長江大文明の人々の大移動、採集狩猟民との交替と混血
の3つです。
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1.人類の来た道のり
人類は、サル―猿人―原人―旧人―新人と1直線に進化したものではなく、多種多様な人類が誕生しては絶滅してきたとして、幾種かの絶滅した人類が紹介されました。
・ホモ・フローレシエンシス
インドネシア・フローレス島で発見される。身長1m足らず、脳容量380㏄、13,000年前まで生存していた。
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・デニソア人
アルタイ山脈、40万年前にネアンデルタールの祖先から分岐。約3万年前まで生存。
・ネアンデルタール人
大きな立派な鼻、顔面部が前に突き出る、脳が大きい、がっしりした胴体と短い手足等から寒冷適応したのではないかと考えられている。
約3万年前まで生存。

現生人類の遺伝子を調べると、10万年~15万年前のアフリカ人に行きつく。また、古い起源を持つ系統ほどバリエーションが豊富である。
さらに、ホモ・サピエンスとネアンデルタールとが同時代にごく近くで生活していたことを表す発掘例もある。

2.現生人類のOut of Africa―世界への大移動のルート。
○アジアにおける移動についての3つの仮説。
仮説①―南の人類集団から北の集団が分岐した。
東京大学徳永博士他10カ国90名の研究者による55000種余りのSNP(一塩基多型)分析によると、全アジア集団が東南アジア単一起源。アジア人の中で、東南アジア人は変異が大きく古い集団であり、北東アジア人は変異が小さく、新しい集団である。
仮説②―Out of Africaは2度起こった。
1回目は、7万年前に脱アフリカした集団がユーラシア南縁を経てサフル大陸(今の オセアニアを形成している国をカバーする大陸)へ。
2回目は、3万年前に脱アフリカした集団が同じくユーラシア南縁を経て北上し北東アジア・アメリカへ。
仮説③―ヒマラヤより西側で、東南アジア方面に南下したグループと北東アジア方面に北上したグループに分かれた。
その理由は、アジア人の北と南ではミトコンドリアDNAがかなり違うことによる。
○考古学からのアプローチ
・オーストラリアから5万年前の石器が出土していることから、オーストラリアには5万年前には進出。
・マレーシア内陸部の出土石器が74000~71000年前に大噴火したスマトラ島トバ湖火山灰に覆われていることから、7万年前には人類はマレー半島まで到達していた。
○東南アジア全域に居住した農耕以前の人たちは、どんな人々だったか?
・タンパン文化―75,000万年前~
・ホアビン文化(ヴェトナム)―20,000万年前~8,000年前 中石器時代
主として片面加工の礫石器、洞穴・岩陰に居住、埋葬様式は屈葬。今のマレーシア人とは違う。
・Negrit
・サフールランドに渡ったグループ
○歯の形態による解析
・北東アジア人とペルー人は、遥か遠い地理的距離にも関わらず歯の形態がほとんど同じ。
・北東アジア人と東南アジアのホアビン文化とは地理的距離が近いにも関わらず全く異なった歯の形態を示す。
・北東アジア人(アメリカ先住民を含)と初期の東南アジア人(メラネシア人を含)は遺伝的にかなり隔たった関係であることを示唆している。
以上のことから、東南アジア人が北上して北東アジア人になったのではなく、ユーラシア北廻り横断ルートをたどって進出したグループ(マンモスハンター)があったのではないか、と推測される。
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3.新石器時代の農耕民の拡散、南廻り、北廻りグループの出会い
○ヴェトナム・マンバック遺跡(新石器時代後半・3500~3700年前)からは、少数の彫りの深い顔立ちの人骨と多数の平坦な顔立ちの人骨が出土。
・新石器時代(3800年前)~初期金属器時代(2000年前)に中国南部に南下してきた北方アジア人的特徴を持つ農耕集団が大規模にさらに南へ移住して、先住のホアビン文化のようなユーラシア南廻りの採集狩猟民と混血や交替が起こったことがわかった。
・この関係は、日本での縄文人と水田耕作をおこなう弥生人との移行で起こったことと平行現象といえる。
○縄文人と弥生人
・縄文時代後期(4000年前)頃は大陸からの人の移住は少数だったと思われる。
・弥生時代(2800年前)大規模な大陸から西日本への移住があった。
・日本では、北に南方系、南(沖縄を除く)に北方系の人が住むと云う南北逆転現象(二重構造モデル 埴原和郎提唱)が起きている。

まとめ
○南廻りルート
・アフリカを出た人類は、インドを経由して8万年前にはスンダランド(東南アジア)、5万年前にはサフルランド(オーストラリア、メラネシア)へ進出、以降5000年前までに東南アジア広域に狩猟民として広範囲に居住した。2万年~7000年前のホアビン文化はその代表。その流れは日本列島にも波及(沖縄の港川人1.8万年前)そして縄文人へ(但し縄文人は北廻りグループと若干の混血がある)
○北廻りルート
・元々はマンモスハンターだったと思われる人達がシベリア・ステップ地帯を東進。3万年前の旧石器時代に細石刃文化とともに少数は日本列島にも進出、ベーリンジアを経てアメリカ大陸へも渡った。
・最終氷期に寒冷地適応し東アジアを南下。
・長江付近で稲作農耕技術を獲得して高い人口増加率を保持するようになった。
・言語・家畜・農耕をセットとして、中国南部、台湾を経てさらに東南アジアへ拡散した。
・日本列島へは、山東半島から朝鮮半島経由で進出したが、それは、縄文後期から徐々に始まり、弥生時代になって大規模となった。

以上が今回のお話でしたが、アフリカを出た人類がどの様にしてアジアに広まって行ったのかについてよく分かる講義でした。
受講者からも

「人類について系統的な話しを聞くことができて大変良かった」
「極めて興味深く拝聴いたしました。特に人類学の最先端科学を学ぶことができました」
「人類の移動や歴史についてやや分かりました。最後の部分で、日本人のルーツが説明されましたが、改めて関心をもって調べてみたいと思います」
「日本列島に住む人々の源流についてもう少し詳しく聞きたかった」
「人類学の分野がこんなに進歩をとげているのかと思い驚かされた。私の浅い知識ではとても追いつかない進歩でした。さらに勉強し、知識を深めたい」
「知らないことだらけの自分発見です。半世紀も前の学生時代に戻った様なワクワク感で楽しませて頂きました」
等などのコメントが寄せられました。







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