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講座2≪プロフェッサーコース≫日本・北海道の畑作史~畑作日本一への軌跡

第2回 日本・北海道の畑作史~馬鈴しょ、てん菜

2011/06/12

 
 6月11日(土)主催講座2《プロフェッサーコース》『日本・北海道の畑作史/畑作日本一への軌跡』の第2回「日本・北海道の畑作史~馬鈴しょ・てん菜」が市民図書館視聴覚室で行われました。講師は前回も紹介しましたが農学博士・技術士で現在北農会農業技術コンサルティングセンター幹事の佐藤久弥泰さんです。受講者は22名でした。

 佐藤さんは前回と同じくパワーポイントを使い配布資料に沿って説明をされました。

2-2-10.jpg1馬鈴しょについて

 「馬鈴しょの歴史」
 馬鈴しょのふるさとはロッキー山脈からアンデス山脈高地の野生種が祖先と見られ南米のチチカカ湖周辺が原産地といわれています。
紀元前500年頃インデオが突然変異や選抜を繰り返し現在の馬鈴しょの原型となった。
ヨーロッパへの最初の伝播はスペインである。スペインを介してドイツ、イタリア、等へ伝わった。わが国へは慶長年間にオランダ人によって持ち込まれた。北海道での栽培は1706年に瀬棚で松兵衛なる者が開畑し馬鈴しょを栽培した。又最上徳内が寒冷地適作物として先住民に奨励した。天保の飢饉では冷夏にたえ真価を発揮したことが記されている。開拓の発展と共に栽培が広がり、函館開港を機に外国船への食料供給として馬鈴しょの需要が高まったが本格的に栽培されたのは開拓使が設置されてからである。
品種の輸入試作や品種改良の結果、北海道の気候、土壌に適した作物となり本道の基幹作物に位置づけられるようになった。
「男爵薯」は七重に農場を持っていた川田龍吉が英国から導入し栽培、周辺に広まった。その中から良質なものを選び、正式に「男爵薯」と名づけられ、今も栽培が続いている。

2-2-11.jpg「馬鈴しょ事情」
 2007年の統計であるが国内生産量は287.3万t (内北海道224.2万t 78% ) 輸入量1273t (ポテトチップ原料)となっている。
用途別需要ではデン原用として944.7千t (47%) 加工食品用として400.7千t(20%)生食用として300.0千tとなっている。
作付面積は1940年の83,500haをピークに2008年は55,000haとなっているが10aあたりの収穫量は950kgから3900kgと品種改良によって高収量となっている。
馬鈴しょの作付面積による主要品種としてコナフブキ、男爵薯、トヨシロ、メークイン等がある。この4種でわが国の作付面積の75%を占める。

2-2-12.jpg2てん菜について

「てん菜の歴史」
 てん菜はサトウダイコン、ビートともよばれる。暖地にはサトウキビ、寒地にはてん菜が栽培される。原産地は地中海沿岸とされる。飼料ビートからショ糖を取ることは18世紀頃に成功したが、産業的には成り立たなかった。当時のショ糖含有率は3%程度であった。
ナポレオンがイギリスとの戦争で大陸封鎖をおこない、中南米からの砂糖が途絶え砂糖価格が高騰した。この結果てん菜から砂糖をとる産業が急成長し、育種(品種改良)も進められた結果糖度も高まり、現在の15%を越える糖濃度を達成した。そのためてん菜は最も効果的に育種(品種改良)成果の上がった作物といわれる。

「日本での栽培」
 日本でのてん菜の栽培は1870年に東京府開墾局で試みられその後東北、北海道で試験栽培されるようになった。北海道では1878年開拓史が札幌農学校に試作依頼し20トンを収穫したのが最初である。その後勧農局直営のてん菜糖工場を伊達市に建設したが経営は収支を賄えず民間会社を設立するも事業に失敗する。又札幌にも製糖工場が建設されたが上手くいかず解散した。その後暫くてん菜糖業は中断したが第1次世界大戦で砂糖が窮乏し製糖産業が注目され再びてん菜栽培が始められた。その後昭和36年には安定多収技術である「紙筒移植栽培法」が開発され生産量を飛躍的に延ばした。
北海道のてん菜栽培は試験栽培から130年余幾多の苦難を乗り越え北海道に適した作物として助成政策を受け拡大、維持し基幹作物として位置付けられてきた。

 「てん菜の特性」
 一般的には1年栽培で秋に収穫する。収穫した根は製糖工場で砂糖に加工する。
茎葉は飼料、緑肥にする。砂糖を取った絞りかすは飼料として利用する。
北海道では馬鈴しょ、豆類、麦類と共に畑作4品といわれる。

「わが国の砂糖事情」
 国内生産量:83万t 国内総需要量:230万t 自給率:36%(てん菜80% サトウキビ20%) 1人当たり消費量:19.9kg となっている。

2-2-14.jpg 最後に馬鈴しょの機械化された耕作手順を見ながら説明を受けました。

 以上早いピッチで説明されましたが、やはり2品種を説明するには時間が不足だそうです。

 その後、質問に入り、馬鈴しょの名前の由来はやはり馬につける鈴かららしい事。種芋を分割して植えるのだが芽の数が多いと芋の大きさは小さいこと、イモの名称は何か蔑視されている感があるがそれは米主体の文化なのでそのように感じるのではないかなど、たくさんの質問に答えられていました。さらに詳しく知りたい方はHPで「馬鈴しょの博物館」見ると参考になるとの事でした。

 

 


 




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