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講座7 田中實さんが語る「いしかり 人物語~歴史を彩った人々」

第1回 町村敬貴~アメリカの技術で石狩に牧場を

2010/08/25

 8月24日(火)講座7 田中實さんが語る「いしかり 人物語~歴史を彩った人々」の第1回 『町村敬貴~アメリカの技術で石狩に牧場を』が花川北コミュニティーセンターで行われました。

801.JPG 田中實さんが語る「いしかり 人物語~歴史を彩った人々」は昨年も大変好評だったシリーズ講座ですが、今年度は、第1回町村敬貴 第2回飯尾圓什 第3回浅見仙作 という予定になっています。受講生の期待度も高く、募集予定30人のところ、47人が受講されました。

 田中さんの講義は、主人公にスポットライトをあてるだけではなく、その置かれた環境や時代背景までもじっくり説明されるのが常ですが、今回も先ず、町村牧場のあった樽川地区の歴史から話を始められました。詳細な資料を添付されているのもいつも通りです。

 樽川地区は明治18年に山口県からの移民が入植、当時は今の北防風林のような森林で、熊も絶えず出没したとのこと。

 樽川地区と町村家とのつながりは、敬貴の父・金弥(札幌農学校2期生で、エドウィン・ダンのもとでアメリカ式大農経営法を身につけた)が明治30年にこの地を買い求めて120町歩の農場を創設したことが始まりだそうです。

 町村敬貴(ひろたか)は明治15年、金弥の長男として誕生(道知事を勤めた金五は金弥の五男)明治39年、札幌農学校農芸科を卒業(体格良く運動も得意、実習では誰にも寄りつかない牛が敬貴だけにはなついた)同年酪農業実習のため渡米しました。

 渡米後は騙されて1年ほど漁業に従事したが、40年ウイスコンシン州ラスト牧場で酪農業実習。43年ウイスコンシン州立農科大学に入学。
いったん帰国して(ラスト牧場から入り婿の話があり日本へ呼び戻されたもの)志津夫人と見合い、結婚後、再渡米。

8004.JPG 大正5年、10年に及ぶ米国滞在から帰国、東京で牛乳搾取販売業を開業。翌年、父が買っていた石狩郡樽川の地で町村牧場を創設します。樽川は泥炭地のため、高岡から粘土質の土を運んで客土したり、水はけをよくする工夫をしたりと努力し、2度渡米して、優良種牛移入にも努めました。昭和3年6月には年間搾乳量が世界第2位の乳牛(4歳)を産み出しました。しかし、昭和3年9月、泥炭地での農場経営に限界を感じ「どんなに悪くともよいから、ほんとうの土のある所へいきたい」と江別町対雁に移転しました。

 町村牧場移転後も、樽川の酪農家は乳質改善に努めて、樽川の牛乳はおいしい、との評価を受け、樽川地区は北海道酪農の先進地でしたが、昭和46年、石狩湾新港開発の用地買収により多数の農家が土地を手放すことになりました。

 町村敬貴は、酪農のパイオニアとして、乳牛ホルスタイン種の導入(日本の乳牛の90%は町村牧場の種牛の血が入っている)や土地改良の研究に一生をささげ、死後、北海道開発功労賞を贈られましたが、奇しくも、時の北海道知事は、弟の金五でした。

  昭和54年、日本の酪農業発展に多大な貢献をした町村牧場の創業60年(町村農場80年)を記念して、かっての牧場があった地(現南線神社内)に「町村農場發祥之地」碑が建立されました。

 田中さんは、このような大筋の話の合間あいまに色々なエピソードを交えて、話されるので、受講生はどんどん引き込まれていきます。
 例えば

・町村牧場に勤めた高橋正(次回の飯尾圓什の時にも登場する)は、花川小学校高等科のころ、町村牧場の建築中の牛舎の屋根が風で飛ばされ  そうになっているのを知らせたお礼として、カレーライスをごちそうになり、こんなうまいものがあるのかとびっくりしたこと。
・敬貴は昭和22年に参議院議員に当選したが、牛にすまないから、と1期で議員をやめてしまったこと。
・敬貴の妻志津は、初めて東京から軽川(手稲)に着き、牧場へ向かう時、馬車の揺れのひどさに耐えられず、足袋裸足で1里余の道を歩いて  ようやくたどり着いたこと。
・金五が子供の頃、アメリカへ旅立つ敬貴を横浜まで見送りに行ったが、その時小さなかけらを貰って食べたバナナの味が忘れられず、大きく  なったらきっとバナナをまるまる1本食べられるような人になりたいと思ったこと。
・横田めぐみさんのお祖父さんは新琴似に住んでいて、もともと南線の方であること。
 などなどです。

 そうして、これもいつものように、決められた90分でぴったり話をまとめられたのでした。

 これに対して、受講生からは

「石狩の酪農業の先人の苦労が偲ばれた良いお話でした」

「田中先生の持っている多くの知識の中から、エピソードを交え、町村敬貴の人物史をわかりやすくご講演下さったことに感謝致します。これ  からも石狩の歴史を色々と教えていただきたいと思います」

「家内の母と同じ年(大正15年生まれ)の田中先生のお元気さに圧倒された1時間半でした。いつまでもお元気で御活躍される事を心から祈念  いたします」

「町村敬貴氏の事だけでなく、関連する色々な話を聞くことが出来て大変面白かった」

「田中先生の講座はユーモアがあって、今回も楽しみにしておりましたので、思っていた通りの講座で本当にありがとうございました」

「町村敬貴さんを中心に金五さん金弥さん、横田さん等エピソードを交えてとてもわかりやすくお話して下さいました。次回が楽しみです」

「日本の酪農の発祥地をこの勉強を通して知りました。エピソードを挿入され、楽しい勉強でした」

「田中先生の語りはとてもユーモアに富み、裏話などもまじえてとても楽しく受講できました」

「大変面白いお話で時間が短く感じました」

 などの声が寄せられ、皆さん大変満足されたようです。

 次回は、砂地造田に挑んだ飯尾圓什についてのお話です。




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